第36話 アップグレード

「ウツロくん、君は、自分が生まれてきたことを、不幸だと思うかい?」


 浅倉喜代蔵あさくら きよぞうはそう問いかけた。


 その内容を受け、ウツロには心の奥底からわき上がるひとつの言葉があった。


 父さん――


―― よいかウツロ。たとえどんなときであっても、そのまなざしをくもらせてはならん ――


 実の父であった似嵐鏡月にがらし きょうげつからうけたまわった教えだ。


 道を踏みはずした――


 目の前にいる男、浅倉喜代蔵はそう言った。


 確かにそうかもしれない。


 でも、でも……


 父さんは、この世を去る直前ではあったけれど、人間の心を取り戻した。


 その父さんを侮辱ぶじょくするとは……


 不思議にもこのときウツロは、心から恐怖や焦燥しょうそうが消え失せていた。


 それはいかりによる気つけの効果だったが、そこにくもりがあるというわけではなかった。


「浅倉先生」


 彼はりんとして、眼前がんぜんの中年男を見つめた。


「……」


 浅倉喜代蔵はその瞳に、晴れわたった空のような輝きを見た。


「俺は、俺という存在は、呪われています」


 ウツロはそう言い放った。


「ほう、ではやはり、不幸だと?」


 浅倉喜代蔵は視線を反らさず、そう聞き返した。


「はい、幸福か不幸かと問われれば、不幸だと思います」


「ふうん、それはなぜ? 具体的に教えてくれるかな?」


 ウツロはを置きながら話を続ける。


「俺は、実の父である似嵐鏡月の手によって、この存在を陵辱りょうじょくされ、人生を奪われました」


「……」


「そしてあまつさえ、間接的にとはいえ、その父を死のふちに追いやったのです。呪われている、俺という存在は……」


 彼は呪詛じゅそのような言葉をそらんじながらも、そのまなざしから輝きを失わない。


 浅倉喜代蔵はまだ続きがあると思い、黙って聞くことにした。


「しかしながら先生、それはそれです。何者にも過去を変えることなどできない。過去を呪うことはすなわち、自分に対して指を差しているのと同じこと、少なくとも俺はそう考えます」


 浅倉喜代蔵は指をあごに当てた。


「しかるに先生、たとえ俺の過去が、いや、この存在そのものが呪いに満ちていようとも、それと向き合い、進めべき道を見出みいだしたい、俺はそう考えます。幸か不幸かと問われれば不幸でしょう。それはいい、しかし……」


 ウツロの瞳孔どうこうが収れんする。


 それはあたかも、彼が進むべき道と呼ぶものを指し示すように。


 浅倉喜代蔵は自分が気圧けおされていくのを感じた。


「幸福とはどこかに落ちているものではない、作り出すものだと俺は思います。それはむしろ不幸から、苦痛から、苦難から……仮に永遠につかめないとわかっていても、それをつかもうとする気負きおい、それこそが人間という存在ではないでしょうか!?」


 彼はそう喝破かっぱした。


「……」


 浅倉喜代蔵は思った。


 それは決して絶対的な解答ではない。


 だがこの少年は、そんなことは知りつくしている・・・・・・・・


 解答とは出すものではない、更新するものであるということを。


 自分と似ている。


 かつて病床びょうしょうにあり、苦難と向き合うため、延々えんえん思索しさくを続けていた自分と――


 彼の心には不思議な満足感があった。


「ふっ」


「いかがでしょうか?」


 浅倉喜代蔵は口角こうかくゆるめてほほえんだ。


「ま、合格ってことにしておこうか。面白かったよ、ウツロくん。久しぶりに刺激的な体験だった」


「……」


 浅倉喜代蔵は視線をはずして電子タバコを一服した。


「俺はてっきり、まず幸福だと置いてから、お得意の人間論を披露するんだとばかり思ってたが……いやいや、意外。面白い、君は本当に面白いねえ」


 どうやらこの場はなんとかしのいだようだ。


 ウツロはホッと胸をでおろした。


「アップグレードしたんだね、君の人間論。どう、命が助かった気分は?」


「死んだってかまわない、そう思いました。俺がいまの段階での最高を出せるのならね。結果、うまくいったというわけです」


「ぷっ――」


 浅倉喜代蔵は電子タバコを口から話して吹き出した。


「ははっ、こりゃやられた! ひひっ、一本取られたよウツロくん! ははっ、ひひっ、ああ、おかしい……」


 彼は体を揺らしながら笑っている。


「いやいや、似てるよウツロくん、君は俺とね。俺も思索が好きでね、ガキのころから、どうでもいい考えをこねくり回したりしてるんだよ」


 浅倉喜代蔵はひとしきり笑うと、また電子タバコを一服した。


「いやあ、君とは馬が合いそうだ。これはお世辞じゃないよ? 俺が人間を気に入るなんて、珍しいことなんだ。閣下の命令とは関係なく、俺のほうが君に興味がわいてきたよ」


 彼は電子タバコをふところにしまうと、立ち上がって作業着の土ぼこりを払った。


「はあ、目的は果たしたし、俺はこの辺で失礼するね。閣下にはよろしく伝えておくから、そこは安心して」


 手ぬぐいを首からはずして顔をく。


「だけどねウツロくん、君は俺と似ていると言ったが、それはベクトルのようなもので、大きさが等しいとしても、向きが真逆なんだ。君の人間論は光のほうを目指しているが、俺は逆なんだよ。闇のほうへちていってるってわけ。かしこい君なら、何が言いたいかわかってくるよね?」


「道具というものは、使う者次第しだいということでしょうか?」


「ははっ、さすがだね、そのとおりだよ。う~ん、いい気分だ。君をこの世から消すなんて、とんでもないことをすることだったよ。いや~、危ない危ない。ただし……」


 浅倉喜代蔵は振り返ってニヤリと笑った。


「いまは、という意味だよ? それだけは絶対に忘れないようにね?」


 長靴を畑にうずめながら、のっしのっしと歩いていく。


「ふふっ、龍影会りゅうえいかいはおそろしい組織だよ~? あ、組織名、言っちゃった。ま、いいか。これは内緒だよ、ウツロくん?」


 龍影会――


 この国を影で支配するという組織。


 その名前が、龍影会……


 ウツロは思った。


 わざとだ、この男、わざと組織名を教えたのだ。


 ナンバー2である元帥ともあろう者が、こんな単純な間違いをするはずがない。


 何が目的だ?


 俺を混乱させたいのか?


 いや、この男のことだ、これも何かの試金石かもしれない。


 たとえば俺が、このことを自分の胸にしまっておくか、誰かにしゃべるかどうかの……


 そんなことを巡らせていると、浅倉喜代蔵はピタリと足を止めた。


「ああ、そうだ……」


 彼はまた振り返って、不気味にほほえんだ。


「さくらかんの中に、木馬がいるよ?」


 ウツロはゾッとした。


 なんなんだこの男……


 木馬だと?


 トロイの木馬の意味か?


 すなわち、さくら館の中に組織のスパイが存在するという示唆しさなのか?


 いや、でっちあげかもしれない。


 何らかの意図で俺をかく乱するための……


 ウツロは混乱して、ねめ下ろしてくるその顔を見つめた。


「ふふ、君とはまた会えそうな気がするよ。じゃあね、毒虫のウツロくん・・・・・・・・?」


 浅倉喜代蔵は畑から上がって、道路のほうへ向かった。


 そこには見覚えのある青いスポーツカーが。


 フェラーリ・スパイダー。


 妹である浅倉卑弥呼あさくら ひみこがさくら館に来訪したとき、門前にとまっていた車だ。


 彼女も来ているのか?


 いや、誰か運転手の立場の人間が付き添っているのかもしれない。


 いずれにせよ、組織の人間である可能性は高いだろう。


 ウツロがまた思考回路を動かしていると――


「――っ!?」


 背後から強烈な殺気。


 辺りを見回したが、ネギ畑とスタッフたちがいるだけで、それらしい人物は見当たらない。


 しかしその殺気には覚えがあった。


万城目日和まきめ ひより……」


 学校のロッカーに仕込まれていた脅迫文、そしてトカゲの爪のような謎の物体。


 そこから感じ取った殺気と、まったく同じものだった。


 ウツロは焼けるような胸騒ぎがした。


「何か、とんでもなくおそろしいことが、起ろうとしているのかもしれない……」


 謎の組織のことだけでも重荷であるのに、それに加えて万城目日和の存在。


 ウツロはひざをついたまま、ネギ畑の片隅かたすみでうなだれ、しばらく土くれの地面を見つめていた――


(『第37話 龍影会りゅうえいかい』へ続く)

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