第17話 萌芽ー7

 その日の夜。俺はいつも通りサクラの部屋で、座学を始めた。

 最初はデバイスの使用法に始まり、表計算ソフトの使用法、そして報告書の製作法を教えた。余裕が出てくると簡単な計算法と、スケジュールの作成と管理を教えた。それも自習が可能なまで成長すると、最早俺の出番は終わりだ。


 サクラは提出した問題をすべて終え、デバイスを閉じた。

「ふむ。問題を全て解き、自分で問題を作成できるようになったな。これは応用ができるという事だ。素晴らしいぞ」

 サクラが照れながらも微笑み、期待に目を輝かせた。


「次は何でしょうか? 何をすればいいのですか?」

 俺は思わず、浅くため息をついた。

 サクラは相変わらず自分が無く、俺のいう事だけを淡々とこなすだけだ。

 それは自分が無いという問題の他にも、無責任な姿勢の表れだともいえる。

 俺がやっているから大丈夫。俺がやっているから間違いない。そんなもの根拠のない自信と五十歩百歩だ。

 そろそろ自立させないといけない。


「好きにすればいい。最低限のことは教えたし、お前はもう自分で学習することができる。そうして自分を育むといい」

 俺はそういうと、自分のデバイスを閉じた。サクラの奴は次の課題を期待していたらしく、肩透かしを食らって目を丸めた。


「あ……え? あの……では何をすればいいのでしょうか? 次の御指示を」

「当分俺が教えることはない。自分で好きなことを学ぶといい。やりたいことがあるだろう。実現させたい夢も、試したいことも。それをするといい。分からないことがあればアイアンワンドを使え。お前も今日から使えるようにしておく」

 サクラは目の敵にしているアジリアと同じように、アイアンワンドを使えることが嬉しいのだろう。花のように咲いた笑顔は、すぐに曇った。


「あの……では、引き続き教えを乞いたいのですが。私はナガセのようになりたいです。ナガセは信頼してくれているから、私に様々なことを教えてくれているのですよね。そしてこなしていけば、ナガセと同じくらい……ナガセと同じ人になれるのですよね。ナガセと一緒になれるのですよね?」

 サクラは俺と同じ存在になって、一緒にいようと思っているらしい。だがそれはもはや人ではなく道具だ。

 俺はお前に『サクラ』になって、のびのびと生きて欲しい。


「それは無理だ。お前はもう自分で物を考えることが出来る。甘えは許されない。自分で物を考え、自分で責任を取るべきだ。お前にそれが出来るから、俺は信頼し、教えられることを教えた。お前は立派に育ったから、もう一緒にいるのも終わりだ」

「え? あ……へ?」

 サクラは今までの努力が水泡に帰したかのように、目を白黒させて狼狽えた。

「じゃあ、私はどうしたらいいのですか? その……どうすればいいの!」


 サクラは口調を変えて声を大きくすると、俺の裾に縋りついてきた。

 その手を握るということは、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓うことだ。

 俺は汚染世界を生き抜いた化け物。その手を握る資格も、覚悟もない。


「焦らなくてもいい。じっくり、ゆったり、時間をかけて、自分を見つけるといい。それだけの時間は俺が確保してみせる。お前は俺より自分を見ろ。俺も明日からはピオニーに教えなきゃいかんしな」

 しれっと、他の子の名前を出した。もちろんピオニーには保存加工の方法を教えるが、サクラのようなマンツーマンにはならないだろう。ピオニーは自分で献立を考え、皆の栄養管理ができるほど自立しているからな。


「ほ……他の子に教えに行くのですか?」

 サクラが行き場の失った手を膝の上に乗せて、握り拳を作り上げた。

「そうだ。俺は『皆の』先生だからな。いつまでも独りにかかり切りという訳にもいかないし、誰かを贔屓するわけにもいかない。できる者から順に、できることを教えている。だからアジリアとサクラを優先した」


 サクラはまるで鈍器で殴られたように黙り込んだが、そんな辛そうにしなくてもいいと思う。このユートピアには、俺以上にいい男はきっといるだろうから。

 サクラの瞳が色を失い、何か答えを求めるように虚空をさまよう。やがて何も見つけることができなかったのか、視線は膝の上に落ち、彼女の肩は震えだした。

「そ……そうですよね……ナガセ。そろそろ寝ます。失礼して頂いてよろしいでしょうか?」

 彼女はきつく目を閉じながら、必死で取り繕った声で俺に言った。

「ああ、長くすまない。お休み」


 俺はデバイスを持ち直し、部屋を出てドアを閉めた。俺はドアに向き直り、深く、胸の内にある黒いもやを吐き出すように、ため息をついた。


 戸板一枚を隔てて、泣き声が室内から響いてきた。

 俺はその声から逃げるように、廊下を早足に歩き始めた。

「アイアンワンド……俺はサイテーか?」

 あの覗き魔はきっと、今も俺を監視している。

『サー。そういう事は、マムに聞いて下さい』

 やはりな。

「お前に聞いている。もうとぼけるな。アイアンワンド。『お前』は確かに存在する。俺はサイテーかと聞いている」

『サー。なぜ機械の私にお尋ねになるのですか?』

「汚染世界で生きているとな、人間らしさっていうやつを忘れちまう。俺は人を殺し過ぎた」

『はぁ……サー。公平さを保つためには仕方ない事かと。ですが、紳士的とは言えません。サーは、公平さを保ちつつ、マムを愛することが出来たはずです。故にサーはサイテーです』


「そうだな。そういう風に責められると気が楽だ」

『サー。サイテーです』

「もう一つサイテーなことをする。アイアンワンド。付きあってもらうぞ」

『サー。マム・サクラに連続したストレスを与えるのはどうかと。焦ってらっしゃいますか?』

「焦らん方がおかしい……だが急いてはいない。サクラは乗り越える」

『サー。イエッサー』



 翌朝、俺は朝食の支度をしようとするピオニーを止め、昼食の準備もさせなかった。ピオニーはその理由を聞いてきたが、俺は夜に御馳走を振る舞うとだけいっておいた。


 アジリアはそれだけで全てを察したらしい。俺がピコに朝食をやりに行くと、彼女がいた。アジリアは自分の手で直接ピコに餌を与えながら、その毛並みを優しく撫でていた。

「やるのか……?」

 俺は腕を組んで鼻を鳴らした。

「俺を止めるのか?」

「ピコを苦しめるならな……」

「薬を使う……意識のないうちに終わらせる」

「お前はなにもわかっていない……」


 アジリアの手から餌が無くなり、ピコがせがむようにその指を舐めはじめる。アジリアはくすぐったそうに微笑んだが、それはとてもやるせないものだった。

「ピコは体調が悪い。他の女たちにそう知らせてくる」

 アジリアはピコから目をそらせると、俺とすれ違うようにドームポリスに引き返していく。

「ああ……そうしてくれ」


 俺はピコに近づいて、その丸い瞳を覗き込んだ。

 ピコのやつめ、嬉しそうに尻尾を振り、首を擦り付けてくる。

 俺も初めて見る動物に舞い上がり、結構な時間を共に費やしたからな。俺の様な人間にもなついてくれた。それに同じ痛みを受けなければアンフェアだ。


「すまない……すまない……」

 懺悔の言葉を一方的に投げつけて、その毛並みに指を走らせる。

 そんなことを続けていると、ドームポリスからたくさんの足音が響いてきた。振り返ると女たちが駆け足でピコを取り囲み、心配そうにその様子をつぶさにみはじめたのだった。


「ピコ! どうしたの!」「アイリス早く来い!」「わたしに命令しないでくれますか……それはナガセの特権です」「うるせー! 早よ来い!」

 アイリスが救急箱を片手にピコに近づき、触診をしたり、体温を計ったりした。

 冷静なお前がそんなに慌てふためくとはな。手が微かに震えている。

 やがてアイリスはほっと胸をなでおろし、耳から聴診器を外した。


「特に……問題ないみたいですね。心音は安定していますし、異物も飲み込んでいません」

 パギが俺の袖を引っ張り、不安そうな眼で俺を見上げた。

「ナガセ! どうしたの? また草を吐いちゃったの?」

「パギ。今日の仕事はしなくていい。お前らもピコと遊んでやれ。見張りのシフトを変わろう」

 俺は五月雨に搭乗すると、塀の外で停まり一人で警戒を始めた。


 異形生命体の襲来に備えつつも、彼女たちの様子が気になるな。

 バックカメラで盗み見ると女たちがピコに寄り集まって、踏んで柔らかくした草を与えたり、身体をもんだりしていた。

 何人かはピコの安全を確認すると、振り返りながらもドームポリスに戻っていく。残りは遊ぶパギとピコを、遠巻きに眺めていた。

 潜在的な母性が呼び覚まされたのかもしれない。女たちはまるで息子のように、ピコを可愛がっている。


 最初ピコは、俺があげた草を食べて腹を下した。草が硬かったのと、鹿の食用に適さなかったからだ。女たちはそれを見て慌てた。俺が『死なすな』と言ったからだが、徐々に彼女たちはそのか弱い鼓動を繋ぎ留めるために、必死になっていった。

 草を柔らかくするため汗を流し、ピコが食べやすい餌を探すように俺に頼んだ。ピコが雨晒しになっていると、力を合わせて小屋を作った。怪我をすると、徹夜で看病していた。


 正直。俺も殺すのは忍びない。

 こうなったら薬を使って、安楽死させてもいいかもしれない。俺はピコを殺すことで、彼女たちに命の大切さを学ばせたいのだ。アジリアがピコの体調が悪いと言ったおかげで、投薬で死なせても女たちはさほど違和感を抱かないだろう。


 アイリスもまだ医者の卵だ。何とでも誤魔化せる。ナイフで殺すのと変わらずに、彼女たちは命の大切さを知ることができるだろう。それにピコを奪われた彼女たちの傷心は計り知れない。これからの活動に支障が出たら大変だからな。


 だが――殺さなければ意味がない。

 俺がこの手で、奪わなければ意味が無い。

 その理由は単純にして明快だ。安楽死させたら、彼女たちは新しい鹿を飼いたいとせがむかもしれないからだ。それでは失ったことを悔やんでいないし、ピコの代わりとなる生贄を求めているのと変わらない。

 俺はそのような横暴を嫌悪し、否定するようにしなければならない。その暴力の連鎖を、ここで完全に断ち切らなければならないのだ。


 その為なら俺は彼女たち全員を敵に回しても構わない。

 待てよ……アジリアがわざわざ『ピコは体調が悪い』と俺を助けるような発言をしたのは、安楽死させるよう仕向けるためだったんじゃないのか?

 ピコと触れ合う女たちを見せて、情に訴えようとしたのではないか?

「女狐め……俺が後ろから刺されるのはそう遠くないな」

 そういえば女たちの中に、サクラの姿が見えないな。自分のしでかしたことだが……心配だ。


『サー。侵入者を確認。マシラ十二匹。ムカデ二匹。ジンチク三十三匹です』

 アイアンワンドから通信が入る。レーダーには赤い光点がきらめき、敵の状況を映し出した。

 ここ最近、異形生命体の襲来と、その数が増加している。

「来たか……やっこさんも飢えているらしいな」

 俺はスロットルをアイドルからミリタリーに入れると、八八式を構えて迎撃の準備をした。


 八八式の残弾も残り少なくなっている。これからはアメリカのMA22戦歩ライフルを使わざるを得ない。

 これは二十ミリと戦歩ライフルにしては小口径で、貫通力を重視している。人攻機相手には有効だが、異形生命体相手にはあまり役に立たない。内臓の位置が安定していないので、弱点を狙うことが出来なからだ。それに八八式のように、その破壊力で足止めすることが出来ない。利点があるとすれば、小口径ゆえに携行弾数が多い事だろうか。

 今戦闘記録を元に、サーモグラフから敵の内臓位置を予測するソフトを開発している。それと組み合わせれば、効果的に運用できるようになるだろう。


 バックカメラをちらと見ると、アジリアが弾薬箱を抱えて見張り台から姿を現した。

 同時に堀からマシラが数匹這い上がる。

 俺はマシラの腕を狙って八八式のトリガーを絞り、その腕を吹き飛ばした。マシラがバランスを失って転倒したところを、躯体こめかみのスポッティングライフルをお見舞いしてやる。

 マシラは黒点を穿たれ絶命した。


 次にジンチクの群れが這い上がってきた。数は十一匹。それはアジリアが機関掃射で薙ぎ払う。七匹が絶命し、三匹が新たな腕を生やして接近を続ける。一匹は近場のマシラの肉に食らいついた。俺は残りのジンチクを、スポッティングライフルで撃ち殺した。

 やがてマシラの第二波が襲いかかって来る。その数六匹。

 一気にカタをつけようとしても、この数はさばききれない。飛びかかってくる数を減らすために、マシラの腕を吹き飛ばすことに集中した。


 一匹、二匹と、腕を吹き飛ばされ、マシラが倒れていく。そして左腕を失くした四匹目が地面を転げた時、不意にアラートがなった。

 なんだと――場所は背後からだ!

 反射的に躯体に回避機動を取らせ、うつ伏せの状態で背後に銃口を向けた。

 一体……何をしていやがる!

 倉庫からはよたよた歩きで、人功機が出撃している。


 外装はアメリカのカットラスだ。水陸上での駆動を得意とし、腰部と足首にフロートを兼ねた安定翼がついている。腰の後ろにはロケットがあり、その上にバッテリーパックと主翼がついていた。これで水陸上を滑るように走ることができるのだ。


 カットラスは八八式を装備していやがるが、銃弾が装填してある証拠に先端部が赤い警告灯を発している。この銃口を向けられたから、五月雨のアラートが鳴ったのか!

 カットラスの出撃に、ピコと遊んでいたパギは慌てふためいて塀の近くに逃げた。

 もしやアジリアかと、見張り台に視線を投げると、彼女は機関銃から手を離し、唖然とカットラスを見ている。

 アジリアでないとすれば、後は一人しかいない。

「サクラぁ! そこを動くな!」

 俺はスピーカーに向かって吠えた。だがカットラスは止まらない。まるで出来の悪い機械人形のように、のったのったと俺の方に近づいてくる。


 熟練度が低い証拠だ。人攻機の歩行は、オートメーションで歩容を管理することで行われる。コンピューターが搭乗者の入力と、バランサーの要求を折衷し、歩容を完成させるのだ。しかし熟練度の低いパイロットは、フットペダルの踏みが甘くバランサーの要求が優勢になる。故に一歩ごと踏みしめる、静歩行になってしまうのだ。


 こんなデクノボウに出て来られてはたまったものではない。邪魔だ!

「ナガセェ!」

 アジリアの怒号が飛んだ。レーダーを見ると、背後から赤い光点が迫ってきている。その数三体。

「クソッたれェ!」


 俺はバックカメラを睨むと、迫りくる片腕のマシラにマーカーをつけた。そしてトリガーを引きながら、地面を抉るようにして無理やり五月雨を反転させた。

 モニタの映像がぶれ、五月雨の脚が土砂を巻き上げる。トリガーは硬いまま一向に引けなかったが、銃口がマーカーをつけたマシラを向いたとき、引き金が軽くなった。


 八八式の銃声が響き、真正面のマシラが蜂の巣になる。マシラは肉片をまき散らしながら失速し、地面に叩き付けられた。残りの一匹はアジリアが撃ち殺す。そして最後の一匹が、仰向けになる俺の五月雨に覆いかぶさってきた。


 スポッティングライフルを乱射して迎撃するも、マシラは血潮を上げるだけで止まらない。

 マシラは着地と共に、拳を五月雨の胸に叩き付けてきやがった。装甲が軽くたわみ、コクピットが激しく揺れる。だが俺の命までは届かない。

 片腕を失ってバランスが取れず、満足に殴ることもでないらしいな。このまま撃ち殺してやる。


 マシラは五月雨からすぐに離れると、真っ直ぐドームポリスへと突進していく。

「まずい! 女たちが――女たちが!」

 マシラが飛び退る寸前でその腕を掴み、地面に引き倒す。五月雨でマシラを睨み付け、スポッティングライフルをひたすら撃ちまくった。


 銃弾の嵐を受けてマシラの身体が跳ね上がり、まるで電撃を浴びたかのように痙攣する。そして操り人形の糸が切れたかのように、突然痙攣が止んだ。

 やっとくたばりやがったか。

 脅威的な俺を叩きのめせる状態にあっても、ドームポリスを襲うのを優先したか。

 女たちが目的だな。そう言えば一番最初の交戦時も、仲間を吹き飛ばした俺より、追いかけているサクラを優先していたな。何か理由があるのか。


 もう少し考えたいが、異形生命体はまだ残っている。五月雨を立たせると、堀の方に向き直り、突撃してくる異形生命体に銃撃を加える。


 背後からは重い何かが倒れ、地面を揺るがす大音が響いてきた。

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