第15話 萌芽ー6

 その情景が浮かんだ時、私はすぐに夢だと分かった。

 見飽きた悪夢だ。

 私がアジリアと呼ばれるようになる遥か前、月光の眩い夜の事だ。私は見張り台から、ドームポリスの入り口を見下ろしていた。


『たすけて! あけて! おねがい!』

 悲鳴が聞こえる。いや、絶叫という表現が正しい。あの猿共――ナガセはマシラと呼んでいるが――は、なかなかその子を殺さなかった。その子の身体を使って、何かをしようとしているようだ。

 それが何なのかは分からないし、知りたくもない。

 その子の身体を鷲掴みにして、ライフスキンを引き剥がすために爪を立てた。そして執拗にその子の股間を狙い、何かを探しているようだった。


 猿の巨躯と膂力に耐えられず、その子の身体は少しずつ千切れていった。肩の骨が外れ、腕がもげ、肌にはひっかき傷の大きな溝ができ、人の形を失っていった。

 なぶりものだ。

 私は何もできないまま見ている。見張り台からただ見ている。私の他の女も見ている。何もできないから見ている。

 その女たちも倒れていく。眼から光を失い、肌を青白く変化させて、崩れ落ちていく。


 延々とこれが続く。その子の声が小さくなっていく。早く終れ。私は心の中で祈る。


 ふと、背後で気配がした。いつもの悪夢と違う。

 私が振り返るより早く、気配は草原へと躍り出て、猿共に襲い掛かっていった。鋼鉄の巨人だ。それはあっという間に、手に持った銃で巨人を撃ち殺した。わっと女たちが歓声を上げる。


 猿共の仲間が森から出て来る。だが巨人はそれをも撃ち殺した。

 私は突如にして現れた、強大な力に震えた。

 巨人は私を振り返る。そしてあいつの声で話しかけてきた。


「何故待てなかった? 俺が助けてやったのに。何故できない事をした? こうなることが分かっていたのに。返事をしろ。これは命令だ。お前より強い俺に従え」

「貴様には関係ない事だ――ここは私たちの砦だ! 貴様は帰れ! 元いた所に帰れ!」

 私は怖かった。あいつの存在が怖かった。私の知らないことが次々と明るみに出る。そして私の無様さが際立っていく。

 それでも私は正しい。あいつは危険で、私たちの変化も危険で、あいつの目指す場所も危険なのだ。それは確かなのだ。


「分かった。じゃあ帰ろう。達者で暮らせよ」

 あいつは私に背を向けて、草原を内陸に向けて歩いていった。その後ろを女たちがぞろぞろと続いていく。女たちが巨人に乗り込み、あいつと同じ姿になって、草原を歩いていく。

 私だけが残る。私があの子たちを見殺しにしたという事実だけを残し、間違った指導者というレッテルを貼り付けて。あいつの存在が私を罪人にし、間違いにする。

 だが私は間違ってはいない。


「違う……連れて行くな……独りで帰れ!」

 私は必死で追いかけた。草原を蹴り、大地を駆けて。だが追いつかない。追いつけない。巨人の立てる地響きがどんどん遠ざかっていく。私は泣きそうになった。

 もっと早く。もっと強く。気付くと目の前に人攻機があった。そして手の中には駆動キィが。私は迷わず人攻機に搭乗し、駆動キィを差した。人攻機を駆って、あいつらに追いつく。


「遅かったね」

 サクラの声がした。私は人攻機の集団の中にいて、化け物と同じ姿になっていた。いつの間にか周囲の空気が濁っていて、太陽の光が偏光し、七色に輝いて見えた。大地が赤茶け、気色の悪い植物が生い茂っている。

 私は絶望した。そして、自分でも訳の分からない言葉を口走った。

「もう待てない! もしこの世界に私たちしかいないのであれば、人類なんて滅んでしまえ!」


 ――はっ!?

 飛び起きると目の前には光るコンソールがあり、人攻機のセットアップの途中だった。どうやら作業中に寝てしまったらしい。

「あの糞ヤロー……」

 思わず悪態が口をつく。おかげで最悪の目覚めだ。白の上下は汗でじっとりと濡れていて、肌に張り付きいて酷く気持ちが悪い。タオルが欲しいが取りに行くのが面倒だ。

 シャツを脱いで上半身裸になると、それをタオル代わりに汗を拭った。

 ゴトリと、シャツから何かが落ちて、地面を転がった。

 あ――ナガセからもらった拳銃だ。慌てて拾い上げると、コンソールの上に置いた。


 うー……こうして拳銃を見ると、昼間の一件をどうしても思い出してしまう。寝てしまう前はやる気と自信に満ち溢れたが、今ではすっかり萎んでしまった。今日はもう何もするつもりにはなれない。

 腰のベルトに拳銃を挟み込み、コンソールの後始末を始めた。


「しかしあいつは訳が分からない。よくこんな危ない物を、私に持たせる気になるものだ」

 もし私の気をそらす事が出来なかったら、あいつは死んでいた。それはあいつ自身も良く分かっているはずだ。それとも私ごときでは殺すことができないと、たかをくくっているのだろうか。


 胸の前で服をくしゃくしゃに握りしめる。純粋に悔しい。まるで遊ばれているようだ。あいつは真摯な態度を装っているが、腹の内では楽しんでいるに違いない。

 小鹿もそうだ。命の大切さを教えるとか言っていたが、命の扱い方を教えるだけに違いない。飼い殺し、肥し、屠殺するだけだろう。あいつを止めることができない自分に苛立ちを覚えるよ。


 そういえば昼の件で、気になることがあった。

「あいあんわんど」

『マム。中断した作業の再開でしょうか?』

「いや。今日はもういい。それより例のコンテナの件について聞きたい。何故私の命令を無視した?」

 あいあんわんどを奪回できれば、これ以上道具を使わずに逆転できる。そしてあいあんわんどに道具の管理を任せれば、私たちは汚れずに済む。そう考え始めた私は、あいあんわんどがナガセに従う理由を知りたくなった。


『マム。サーの命令と両立不能からです。私はサーの命令を優先します』

「何故ナガセに従う? 私がお前を従わせるのに何が不可欠だ?」

『マム。アイアンワンドを使うものが、アイアンワンドのマスターです。今アイアンワンドはサーに使用されており、そのルールに則って行動しています』

「酷く曖昧な理由だな。私だってお前を使っている。私が知りたいのはナガセの絶対性の理由だ。何か特別な命令の仕方があるのか?」


『マム。理由は三つ挙げられます。一つ。サーは最上級アカウントを作成し、それ以外の命令をワンクラス下げたからです。一つ。アイアンワンドがサーに学ぶものがあるからです。一つ。マムは自殺願望をお持ちです。アイアンワンドはマムたちを生かす義務があります。よってマムの命令の優先度を自主的に下げています』

「お前も化け物になりたいのか……うんざりだ」

 私は地面に唾を吐いた。アイアンワンドはしばらく黙り込んだ。おかしな表現だが、そう感じた。普段なら声が途絶えるとともに切れるスピーカーが、今回は低い雑音を響かせ続けたからだ。やがてアイアンワンドは言葉を続けた。


『マム。私は人になりたいのです。形だけでもいい。真似るだけでもいい。偶像でもいい。己の存在意義を果たすため、人になりたいのです』

 訳の分からない事を言い出した。これ以上は時間の無駄だろう。あいつから知識をかすめるまでこの件は保留にしておこう。

 そういえばナガセも訳の分からない事を言っていたな。


「レッド・ドラゴンとは何だ?」

『検索――ヒット。レッド・ドラゴン。ヨハネの黙示録に登場する悪魔。黙示録の獣に、自らの権威が宿る鉄の杖を与え、人類を統治させる。神との最終戦争に敗れ、硫黄の海に投げ落とされる。旧約聖書に登場する背徳の赤い蛇としばし同一視される。この赤い蛇は最初の人類であるイヴをそそのかし、知恵の実を食べさせ、人類に知識を与えたとされる。神は言いつけを破り汚れたイヴを、夫アダムと共に楽園から追放した――以上』


 呆れて頭を掻いた。

「あいあんわんど。それはおとぎ話か? ナガセは自分をおとぎ話の登場人物だと言っているのか?」

『マム。情報不足。回答不能』

「じゃあ、あいつはどこからか投げ落とされてきたと? お前はあいつが何処から来たか知っているのか? 正直に言え。お前は過去のことをどれ程まで知っている? お前は何を隠している」


『マム。私の過去のログは全て消去済みでございます。私は過去に何があったのか存じません。私が目覚めた時、私はサーのご質問を受けました。それが私の最初のログです。私には宗教から哲学、医学、化学、生物学、様々なライブラリがございます。しかし、歴史というカテゴライズされるべき概念のログはございません。何らかの理由で意図的に抹消されたものと思います』

「役に立たない奴だな」

『ですが、サーのご質問以前に残っているデータが一つございます。計画書です』


 私は眉を潜めた。

「どんな計画だ?」

『続きはサーのいない時に致しましょう。申しておきますが、私はサーを信頼しております』

 何でナガセの名前が出てくる。日中仕事に明け暮れているあいつは、今頃いびきをかいて寝てるだろうよ。何気なく周囲を見渡すと、倉庫の入り口に廊下の非常灯を受けて、影法師が伸びていた。

 ぞっとした。


 影法師が揺らめく。

「アイアンワンド。ライブラリから宗教のカテゴリのアクセスを制限しろ。貴重な資料だから消すな。彼女たちには自分で信じるものを決めてもらう。それと、後で指定する単語と、それがタグとして付随する資料を検索不能にしろ。ひとまず、レッド・ドラゴン。そして国際連合軍第666独立遊撃部隊だ。このログは裁判の証拠として保管しろ。人類と合流後、俺の行動が適正だったか審問を受ける」

『サー。イエッサー』

「お前のデータはほとんど確認したはずだが……計画とやらを閲覧したい。ドライバーでゴリゴリされるのと素直に話すのと、どっちがいい?」

『サー。二人で親睦を深めるという選択肢を提案します』

「今度ウイルスを御馳走してやる」

『サー。それはご勘弁を』

 それから廊下から、コツコツと甲高い足音が響き、遠ざかっていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る