第14話 萌芽ー5

 ドームポリスへと帰還すると、女たちが畑でキャリアを出迎えた。

 サクラがキャリアを畑の脇に停めると、寄り集まって車体にべたべた触り、中を覗き込んだりし始める。やがてしとめた鹿を目ざとく見つけて、歓声を上げた。


 俺は銃座に誰も触れないように、サクラに見張るよう言いつけてから、荷台から小鹿だけを降ろした。その細い首に農作業に使うロープを巻き付けて、手短な杭に括り付けた。


 女たちは小鹿に興味しんしんのようだ。眠りこけて腹を僅かに上下させる動物に寄り集まり、頬をつついたり、腹を撫でましたりし始める。

「あったけぇ~」「毛皮ふわふわだぁ」「しっぽ見てよ。ピコピコしてる」


 やがてプロテアが小鹿を指していった。

「ナガセ。これどうするの? 食べないの?」

 俺は適当なバケツに、草刈りでできた枯草を放り込み、小鹿の目の前に置いた。

「食べるけどもっと太ってからだな。今日からこいつを育てろ。死なせたら駄目だぞ」


「へ? なんで。そんな手間かけずに殺せばいいじゃん」

 プロテアは意味が分からないように真顔で聞き返してきた。

 そうだろう。お前らにとって、鹿とは歩く肉だからな。殺してただの肉ににしなければ、食うことはできないからな。


「可愛いもんだぞ。撫でてみたらどうだ?」

 俺はそれだけ言うと、キャリアに戻った。

 サクラも小鹿が気になって仕方がないようだ。彼女はしっかりと銃座を見張りながらも、そわそわとみじろぎをしていた。


「サクラいいぞ。良くやってくれた」

 運転席に乗り込むと、銃座からキャリア内に飛び出しているサクラの足を叩いた。サクラはするりと銃座から降り、俺に一礼すると他の女に混じって小鹿に触り始めた。


 俺は背後からの和気あいあいとした声を聞き流して、キャリアをドームポリス内のコンテナに戻した。

 親鹿を解体してしまいたいが、女たちには見せたくないな。彼女たちが小鹿に夢中になっている隙に、コンテナを密室にして手早く済ませてしまおう。


 操縦席から降りたところを、仏頂面のアジリアが待ち伏せていた。彼女は酷く困惑した様子で、俺と、小鹿のいる方角を、交互に見やっていた。


「どういうつもりだ……? 鹿を飼うなんて……いまそんな余裕があるのか?」

「彼女たちには命の大切さについて学んでもらう」

 俺はそれだけをいうと、アジリアを無視してコンテナの壁にかかったロープを手にした。解体するためには吊るさないといけないからな。


 アジリアはジト目で俺を睨んでいたが、やがてスンと鼻を鳴らし、何かに気付いた。彼女はキャリアの荷台に走っていくと中を覗き込む。そしてキャリアを思い切り蹴り飛ばすと、俺に怒りで震える指を突き付けた。


「お前……本っ当にサイテーだな……」

「お前はまともな人間らしいな。子持ちを殺してはいけないことを知ってる」

「だから育てるのか!? お粗末な償いだな化け物! 次は何を教えてくれる!? 子持ちを殺しても平然とできるメンタルか!? そうやって……他の女も化け物にするつもりか!?」

「二度言わせるな。命の大切さについて学んでもらう。それだけだ」

 アジリアの奴、俺が何をしようとしているか勘づいたらしい。その顔から表情がさっと消え、やがて畏怖と嫌悪にぐしゃぐしゃにした。


 アジリアは俺の脇をすり抜けて、小鹿の元へ走ろうとする。逃がすつもりだろうがそうはさせん。その首根っこを掴んでコンテナに引きとどめると、必死で暴れて俺の手から逃れようとする。最終的には大声を上げて、女たちの注意を集めようとした。


 台無しにされたら困る。

「アイアンワンド。このコンテナを閉鎖」

『サー。イエッサー』

 コンテナのシャッターが閉まり、俺とアジリアが暗闇の中に取り残された。

 すぐに中の照明が点灯するが、その僅かな暗闇の合間に俺はアジリアをコンテナの壁に押し付けて、身動きができないようにしていた。


「あいあんわんど! 開けろ! 今すぐ開けるんだ!」

 アジリアが悲鳴を上げるが、アイアンワンドはアジリアを無視した。追い詰められたアジリアは、擦れた悲鳴を上げながらも睨んできた。俺はその視線を真正面から見つめ直し、鼻先がくっつきそうなほど顔を近づけた。


「お前も世話に加われ。サボったらお仕置きだ」

「私は嫌だぞ! 勝手にしろ! おい、ここから出せ!」

 確かに俺はとてつもなく残酷なことをやろうとしている。

 しかしユートピアで生き残るためには、絶対に必要な経験だと確信していた。

 俺は――彼女たちが良い成長を遂げるためなら、喜んで悪魔となり、禁断の果実を与える覚悟を決めていた。


「お前は俺ばかり化け物と責めるが、公平に話を進めようじゃないか。さて、少し昔の話をしよう。俺がここに来る前、締め出した女は何と命乞いした?」

 アジリアの瞳が絶望と悔恨で暗くなり、気が狂ったように髪を振り乱しはじめた。彼女を押さえる腕に、より力を込める。


「サクラから聞いたぞ。食料収集の際、皆で行って殺されるより、一人で行った方が安全だと貴様がいったそうだな。ドームポリスの扉の前に、白骨がいくつも転がっていたぞこの化け物め」

「貴様に関係あるかァ! 黙れェ!」

「他の女に飯を取りにいかせ、お山の大将は檻の中で見物か。いいご身分だ」

 いきなりアジリアが馬鹿力を発揮し、俺の拘束をはねのけて思いっきり頬を殴ってきた。口の中が熱くなり、唇の端から血が垂れた。


「十回行く内、半分は私が行ったんだ! それ以上は無理だった! わたしは精一杯やった! 私のできうる限りをやった! 貴様のように力を持てあまし、命をもてあそぶような化け物と一緒にするな! さぞかしいい気分だろうな! 神様気取りで知識を与え、女たちが道具を使えるようになるのを見るのは!」

 親指で口から垂れた血を拭い、舌でぺろりと舐めとる。

「俺はゴッドではない。レッド・ドラゴンだ」

 俺は親指で唇を拭い、血を吹き取った。


「人間は一歩間違えるだけで、簡単に化け物へと変貌する。俺は――今までそんな人間を数多く目にし、その末路を見届けてきた。だからお前たちが道を踏み外さないように、あらゆる努力をするつもりだ」

 汚染世界での経験が脳裏に甦り、俺は嫌悪感に眉根を寄せてしまう。

 地球を汚染しきるほどの破壊。禁忌を犯してまでの生存。そして狂った倫理が支配する社会。

 ここはユートピア、全ての人間の理想郷だ。

 この安寧の地で、破滅を迎えた人類の過去を繰り返させてたまるか。

 何の因果で俺がここにいるかは知らん。だが俺にできることは、彼女たちが笑って青空を拝めるようにすることだ!


「それは違うな! お前と過ごすことで、女たちは変わっていく! 皆お前に似ていく! 皆お前についていく! 眉一つ動かさず化け物を撃ち殺し、子持ちを殺しても平然とするお前のような化け物にな! お前の存在自体が害悪なんだ!」

 アジリアはズボンに手を突っ込み股を探ると、黒光りする拳銃を取り出して俺に向けた。

「出ていけ!」

 冷静に拳銃を見つめると、それはよくある九ミリ拳銃で、銃把に弾倉があるタイプだった。銃口が僅かに上を向いているが、それはマガジンに実弾が装填してあり、重心が後ろにあるからだろう。安全装置は解除済み、射線から俺の額を狙っていることが分かる。


 アジリアに銃をむけられていなかったら、俺は狂喜した事だろう。

 よくぞここまで成長したと。

「断る。俺はここにいる全員を、人類の元に送り届ける」

 アジリアは親指でハンマーを起こした。

「なら、お前に学んだこと、ここで使わせてもらうぞ。これからも使わせてもらうぞ。お前のような化け物を殺すためにな!」

 彼女が引き金を絞ろうとする。俺は手の中に持っていた、小鹿から抜いた麻酔弾を指で弾いた。


 麻酔弾は壁に当たり、小さな音を立てた。経験の少ないアジリアは過敏に反応し、音のした方向に拳銃を向ける。その大きな隙を突いて、俺はアジリアに肉薄した。

 銃のスライドを動かせないように掴み、ハンマーに小指を挟んだ。そして彼女の体の外側に自分の身体を捻じ込む。これで撃たれる心配はない。

 アジリアの首にひじ打ちを食らわせて、ふらついたところを拳銃をもぎ取る。そして地面に叩き付けると、関節を極めて床に伏せさせた。


「おイタが過ぎるな」

 アジリアは苦悶の表情を浮かべながら俺を睨み上げると、魂を絞り上げるような声を出した。

「出ていけ! 頼むから出て行ってくれ! お前を殺せる頃には私はもう化け物だ! これ以上わたしを化け物にするな! もう一杯なんだ! たくさんなんだ!」

 俺は溜息をついてかぶりを振った。


「さっき機関銃を撃った時に、もっと……と思っただろ。もっと強く。もっとたくさん。そしてもっと早く。力を欲しただろ。だから人攻機に乗りたいと口にした。それが急にどうした?」

「わたしは……お前をころしたい……だから使う。道具を使える様になろうとした。だけど――これは誰にでも使えてしまう! こんなもの使えたら! みんな殺し合う! 奪い合う! もう私には止められない!」


 アジリアは人間の本質を知っているようだ。しかしこれ程の倫理感があるのなら、仲間を見捨て、弱ったものを切り捨てたことが、トラウマになっているはずだ。サイコパスには見えないし、きっと引きずっているだろう。

 残念ながら俺は汚染世界を生き抜いた、完全なサイコパスだ。彼女のケアはできそうにもない。早いところ他の人類を見つけ出して、彼女たちを預けないといけない。


 俺がアジリアから手を放すと、彼女は跳ね起きてすぐに俺から距離を取った。

 俺という化け物を目の当たりにして、恐怖に揺らめく彼女の瞳に、俺は少なからず安堵した。

「……その通りだ。俺はお前と同じことを危惧している。だが、人間として生まれた以上、その力からは逃れられない。人間は道具を使わずにいられないし、作らずにいられないのだから。だから我々は何に重きを置くか、何を尊重すべきか、何を守るべきか、失って知るべきだ」


 俺は拳銃のトリガーに指をかけると、アジリアに歩み寄っていった。彼女はコンテナの壁に背中を張り付けて、恐怖に縮み上がっている。

 銃口をアジリアに向ける。

「そして、恐怖から目を反らさず、脅威から逃げず、自制と自信を持って、強く生きていくべきだ。二度と失わないためにな」


 ここはユートピア。取り返しのつかない過ちを経て作られた世界。

 過去のしがらみから解放されても、人間としての業からは逃れることはできない。

 俺は人類の罪科と、アジリアの無力、その両方に向けていった。


 俺は拳銃からマガジンを抜き、薬室の弾丸を排莢した。そして銃をくるりと回して銃身を握ると、銃把をアジリアに向けた。

「携行を許す。お前は――あいつと違って俺を殺してくれるな?」

 アジリアは狐に化かされたように、間の抜けた顔をして俺を見つめていた。そして俺の顔と拳銃との間で何度も視線をさまよわせる。


「早くとれ」

 アジリアがゆっくりと拳銃を握りしめる。俺は空いた手にマガジンを預けた。

「あいつとは誰だ……サクラか……?」

 アジリアが武器を手にした両手を握りしめて聞いてくる。

 それに答えるつもりはない。余計なことを口走ってしまった。

 さっきから喫煙室にいるみたいに、安物の煙草の匂いが鼻から離れない。

 俺が裏切り者として残虐に殺した、昔の仲間が愛飲していた銘柄だ。

 その幻覚が俺に正常な判断力を失わせていく。


 俺は淡い期待を抱いている。こいつなら俺を殺してくれるかもしれない。あいつらにできなかったことを、果たしてくれるかもしれないのだ。あの時殺されていれば、俺は人類の英雄なんかに選ばれなかったのだ。

 胸の内に欲求が渦巻く。このまま押し倒して、首を絞めたい。

 だがまだだ。今のままでは殺してしまう。もっとアジリアが強くなり、俺の全てを否定できるようになるまで、待たなければならない。俺は辛うじて自制を聞かせた。


「アジリア。お前が自分の意思で、正義を貫くのは大いに結構だ。だが今回は邪魔をするな。邪魔をするのであれば貴様を排除する」

 平静を装って淡々といったが、アジリアは俺の中で膨れ上がりつつある狂気に気付いているようだった。俺に投げられた時より、俺に銃を向けられた時より、恐怖を感じているようだ。四肢を戦慄かせながら、蛇に睨まれた蛙のように、俺の瞳から目を離せずにいる。


「返事をしろ」

 殺気を放ちながらアジリアににじり寄ると、アジリアは小さくこくりと頷いて見せた。この涼しい時期に汗まみれになって……そんなに俺が怖いか……。


「昔のことを引き合いに出して悪かった。アイアンワンド。コンテナを開けろ」

『サー。イエッサー』

 コンテナが解放される。アジリアは俺から目を離さないまま、逃げるようにコンテナを出ようとした。

「アジリア。俺はミスを犯した。子持ちかどうか確認しなかった」

 俺はそんな彼女に正直に話した。

「知るか……それで同じ痛みを分かち合おうと? きさまと罪悪感を共有するつもりはない」

 アジリアはそういうと、ドームポリスの中へと駆けていった。


 アジリアも恐らく悪夢を見るのだろう。閉じた扉の向こうで叩き殺され、生きたまま食い千切られる仲間の悲鳴を聞いているに違いない。だが一人で抱え込もうとしている。理解者が必要だ。だが俺は相応しくない。

 そこで俺は恥の余り顔を手で覆った。


「俺は……なんてことをしようとしたんだ……守るべき一般市民に対して……俺は……」

 俺はこのユートピアにいても、過去から逃れられずにいるようだな。

 まぁ当然か。今の自分を形作るのは、過去の行いだ。振り返ると、俺の歪んだ人生の記憶が思い起こされる。俺が俺である限り、その足跡は途絶えることはない。

 存外。彼女たちに記憶が無いのは、そこに理由があるのかもしれない。


 新しい世界で新しい人生をか。夢のような話が目の前にあるが、俺が御相伴にあずかることは無理のようだ。

「アイアンワンド。このコンテナを閉鎖。それと外部連絡。運転を教えるのはまた今度にする」

『サー。イエッサー』

 俺は荷台から鹿を降ろすと、排水溝の近くまで運び解体を始めた。

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