Crawler's

水川 湖海

第1話 導入

 彼方遠くに、黄緑色に輝く太陽が見えた。


 日の光は空気を漂う化学物質や粉塵に反射して、七色の軌跡を描いている。空はまるでオーロラの絨毯が敷かれているかのようだった。


 空を漂う雲も、多種多様だ。黒い重金属雲は、異常なまでの電気を蓄えこみ、稲光と雷鳴をとどろかせている。青色の雲もある。何を含んでいるのかは知れないが、ロクでもないものに違いない。


 それらが鈍重に風に流れ、軽薄に風に散らされ、空のキャンバスに色どりを加えた。

 神の園のように、神秘的な光景だった。


「これが環境汚染の結果でなければな……」

 俺は誰にいう訳でもなく、そう独りごちた。


 ここは太平洋上、ハワイから東に二〇〇〇キロ地点の空だ。

 俺は多脚制御式戦闘車両——人功機を駆って、腐り落ちた世界を飛んでいた。人を模した躯体の肩には、二基のロケットが取り付けられており、白い煙の尾を空に残していく。


 ちらりと時計を見ると、作戦開始の時間が迫っていた。焦る気持ちがスロットルレバーを押し込もうとするが、自制心で懸命に抑え込んだ。


 もうすぐ地球は崩壊する。ポールシフト爆弾で地磁気を狂わせ、大陸をマグマに沈めてしまうのだ。人類は新しい大陸と大気が生み出されるまで、冬眠してその時を待つことになっている。


 ユートピア計画である。


 汚染世界を浄化し、希望ある明日へと、人類は踏み出そうとしているのだ。

「そのためにも俺は、必ずこの物資を『天風』へと届けなければならない……」


 物資の一つは、俺の駆っている人攻機、『叢雲』である。叢雲は浄化された世界での活動を想定して作られており、サンプルとして天風に送られたものだ。


 そしてもう一つ。遺伝子補正プログラムだ。汚染世界ではオゾンが破壊し尽くされたため、紫外線が飛び交っている。紫外線は遺伝子を破壊するため、全人類は遺伝子異常を抱えているのだ。遺伝子補正プログラムで異常を補正しなければ、冬眠の成功率は下がってしまう。


 責任は重大である。


 俺は神経を尖らせながら、黙々と横浜に浮遊する、機動要塞天風を目指した。


 突然、躯体が軽い衝撃と共に揺れた。揺れはすぐに収まり、躯体の姿勢が崩れることはなかったが、代わりにアラートが鳴り始める。


「む……いかん」

 どうやら粘性の高い大気に触れてしまったらしい。粘空帯と呼ばれるその空域に躯体を絡め取られて、失速してしまったようだ。


 今は躯体の装甲表面が剥離して、粘性空気から逃れてはいる。しかしこのままではいずれ墜落してしまうだろう。


 アクティブレーダーを使いたくなかったが、これでは致し方ない。

 レーダーで周囲空域の状態を確認すると、真上に粘空帯があるようだ。俺は空気が薄い所へと、くぐるように躯体の高度を少し下げた。


 その時、眼下の海から太陽光を反射して、何かが飛び上がってきた。

 鳥のようなブースターを背負った、黒い人型兵器が二躯。背中には五つの円に囲まれた、キメラの紋章が刻まれている。


 にわかに鳥肌が立つ。

 五つの円は偉大なる国家を意味し、キメラの紋章はそれらが結託し出来上がった獣を指している。それはこの世界を汚染した、テロリストが掲げる国旗だった。


「見つかったか! 『領土亡き国家』め!」

 迎撃体制を取りつつ、躯体の速度を上げた。


 領土亡き国家とは、国を追われた政治的思想が集合し、出来上がったテログループである。第二次世界大戦後、領土亡き国家は海を拠点に細々と活動していた。しかし二〇四〇年初頭に、領土亡き国家は国土奪還作戦を開始。弾頭に生物兵器を搭載したミサイルを発射し、各々の故郷へと進軍を開始した。


 生物兵器は人体に有害な上、地球上の植物に寄生し、環境を激変させる危険極まりない代物だった。世界が阿鼻叫喚の地獄へと叩き落された中で、国際連合軍が組織され、兵士たちは防護服を身にまとい迎撃に赴くことなる。


 しかし領土亡き国家はすでに自身の遺伝子を補正し、汚染世界に適応させていたのである。


 それ以降の戦争は泥沼と化した。早まった国が核を使い、その報復で同士討ちも始まった。核が粉塵を大気圏まで吹き上げ、地球の温度も下がった。そのせいで激変した環境は、更に歪な進化を遂げた。


 地球は死の星と化した。


 それでも領土亡き国家と、国際連合の戦いは続いているのだ。

「敵機はヨーロッパ方面軍のカッツバルゲルか……なんでナチ公の躯体が太平洋にいやがる……何らかの見返りで躯体を融通したのか……?」


 カッツバルゲルは機動力を重視の人攻機で、ハチドリのようにスリムで尖ったフォルムをしている。背中に大出力ブースターを背負い、四肢に取り付けたスラスターで姿勢を制御する、一撃離脱を得意とする躯体だ。一度狙われたら逃げるのは困難だ。


 アラートが鳴った。ロックされている。バックカメラを見ると、敵機のウィングから、ミサイルが発射されたところだった。


 冷静に発射されたミサイルについて推測する。この汚染世界では、レーザー及びレーダー誘導の命中率は低い。大気が不安定なため、どちらとも歪んでしまうからだ。それでコストは高いが、画像認識誘導が好まれている。


 大戦末期でユートピア計画が進行する中、単独で飛行している俺は敵方からすれば、興味深い存在に映っていることだろう。俺が敵だったら逃がしたくない標的だ。


 ミサイルを画像認識誘導と推測。すぐ真上にある粘空帯の中に叢雲を突っ込んだ。コクピットがガクンと揺れ、まるで蜘蛛の巣に絡め取られるように、装甲の表面が剥離していく。表面剥離装甲と呼ばれる、汚染空気から躯体を守るための、人功機の標準装備である。


 剥離した装甲は薄いアルミの紙吹雪と化して、上手く叢雲を覆い隠した。敵機のミサイルは標的を見失い、見当違いの方向に飛んでいった。


 ミサイルは避けたが安心していられない。このまま粘空帯を飛んでいれば、空気に絡め取られて落ちてしまう。


 俺は思い切って粘空帯から飛び出した。剥離した装甲が銀色の尾を引いて、空に軌跡を残して行く。カメラで敵機を確認すると、カッツバルゲルはその速度を生かして、俺へと肉薄しているところだった。


(速度では勝てん。逃げたら墜とされる。時間を食うが殺るしかない)


 俺はうつ伏せで疾駆する叢雲を、くるりと反転させて仰向けにした。

 マスターアームオン。搭載された武器類から、マイクロミサイルを選択する。ロックオンし次第、発射するように設定。ヘッドアップディスプレイにはロックカーソルが現れ、オートで敵機に標準を合わせ始める。

 同時に両腕のカノン砲を起動。叢雲の手首が折れ曲がり、砲口が露出した。


 カッツバルゲルは時間差攻撃を仕掛けることに決めたようだ。一躯が俺に突撃し、残った躯体が後方で支援銃撃を開始する。


 俺は後方に残った支援躯に、マイクロミサイルを再標準した。そして回避機動として叢雲の高度を下げた。躯体のすぐ目の前を、銃弾が掠めていく。

 突撃したカッツバルゲルが待っていましたといわんばかりに、俺に合わせて降下した。俺は仰向けで叢雲を飛ばしているので、背面となる低空は死角である。敵はそこに潜り込もうとしている。


 潜り込めれば後は簡単だ。飛び上がれば突き上げて粘空帯まで追いやり、より下がろうとしたら海面まで追い落とせばいいのだから。呑気に高度を保っていたら、蜂の巣にしてしまえばいい。


 だが俺は余裕の笑みを浮かべた。


 太腿のミサイルボックスから、白煙と共にマイクロミサイルが発射された。ミサイルは正面に向かって――つまり上に向かって打ち上げられる。その衝撃で叢雲の脚が沈んだ。俺は反動を生かして足を振り子にし、躯体に宙返りをうたせた。


 天地が逆転した。

 叢雲は太陽を背負い、カッツバルゲルの背を正面に捕えていた。形勢逆転。たった一つの動作で、俺はカッツバルゲルの死角である背面を奪ったのだ。俺は隙だらけのカッツバルゲルに、容赦なくカノン砲を叩きこんだ。


 カッツバルゲルは腹に大穴を穿たれ、身体を海老ぞらせた。そのまま真っ二つに割れて、自らの身体ともみくちゃになりながら海へ墜落していった。


 あと一躯。即座に支援のカッツバルゲルへと肉薄する。支援機は牽制のマイクロミサイルを、フレアを焚くことで逃れたようだ。ミサイルが赤く燃える光球に突っ込んで爆散する中、支援機は伏せるように降下していた。上空に粘空帯が広がっているため、他に逃げ場がなかったのだろう。


 右腕のカノン砲をしまい、爆裂式短刀を展開。右腕の先端から、鋭利なナイフが飛び出た。

 支援機は俺と同じ高度に戻ろうと、急上昇を開始する。俺はすれ違うように叢雲を降下させ、短刀のきらめく右腕を振り下ろした。

 カッツバルゲルの胴体に、爆裂式短刀が深く食い込んだ。右腕は短刀を敵機に残して振り切られ、確かな手ごたえを感じた俺は、離脱して予定の飛行ルートへと戻った。


 バックカメラで確認すると、支援機はふらつきながら上空へと登っていく。やがて失速して空中で停まると、短刀が爆発して花火のように飛び散った。


「クソが。いらんことに時間をかけた――」


 タイマーを見ると、ポールシフト爆弾の起動まで、十分を切っている。

 間に合うかどうかきわどいな。

 俺は燃料が尽きるのを覚悟で、スロットルレバーを奥まで入れた。


 モニタに豆粒ほどの何かが映った。

 それは次第に大きくなり、宙に浮く巨大な円柱となる。

 バベルのような壮大な威容、磁気バリアの副産物として周囲を覆う塵の帳。目を凝らすと円柱の表面に、誇り高き日の丸が見えた。


 間違いない。機動要塞『天風』だ。

 時間はどうだ? 時計を見て、やるせない笑みを浮かべた。

 間に合ったが、間に合わなかった。


「こちらスネークヘッド。機動要塞『天風』。聞こえているか? こちらスネークヘッド」

『こちら天風。スネークヘッド急いでくれ。起爆時間が近い。急いでくれ』

「残念だが当機の到着を、計画に間に合わせることができない。よってこれより物資を乗せたミサイルを天風へと打ち込む。繰り返す。当機は到着に間に合わん!」

『了解した。これより磁気バリアを弱める。良く狙え。外すな』


 天風が纏う塵の膜が剥がれ落ちていく。

 マスターアームオン。ヘッドアップディスプレイに、各種兵装が表示される。俺は特別に用意された二発のミサイルを選択して、天風のドッグへと撃ち込んだ。

 弾頭は遺伝子補正プログラムと、叢雲の設計図である。コンテナにも積んであるが、本命はどちらかと言えばこっちだ。

 俺はミサイルが天風へと吸い込まれるのを見届けると、達観の笑みを浮かべながら機体を失速させた。


 肩の荷が下りた。もう死すらも怖くない。

『こちら天風。スネークヘッド。応答せよ!』

「こちらスネークヘッド。無事物資は届けた。ユートピアで会おう」

 陽気に言ったが、スピーカーはその声を聴いて、怒り狂った。

『スネークヘッド。貴君が間に合うように、磁気フィールドの展開をギリギリまで遅らせた。繰り返す。君が間に合うように、磁気フィールドの展開をギリギリまで遅らせた。我々の努力と危険を無駄にせず。真っ直ぐ突っ込んで来い。もし貴君の躯体が無駄な行動をとるのであれば、司令官が直々に撃墜する。さっさと来い!』


 俺は即座にスロットルを奥まで入れた。ロケットが吠え猛り、躯体を矢のように飛ばす。


 残り三秒。


 くそ。こんな事からハナから飛ばせばよかった。無駄なことはしまいと速度を緩めたが、裏目に出てしまった。


 残り二秒。


 しかし司令官が移動要塞を危険に晒してまで、俺を助けようとするとはな。俺も伊達に英雄と呼ばれているわけではないようだ。


 残り一秒。


 間に合うか、ギリギリだな。だが天風の方は問題なく磁気フィールドを展開し始めている。それなら安心だ。


 ゼロ。


 叢雲は、ちょうど天風が展開する磁気フィールドと、ポールシフト爆弾の発する強力な磁気の、中間あたりに存在した。

 叢雲は二つの異なる磁気、磁場に挟まれて、激しく揺れる。あちこちでアラートがけたたましくなり、非常灯がついて視界が赤く染まった。コントロールスロットルを握る両手から、感覚が抜けていく。まるで空に放り出されたかのようだ。


 激しい衝撃がコクピットを貫き、辺りは急に暗くなった。


 その時俺も気を失った。

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