第1話への応援コメント
初めてコメントさせて頂きます。
文章に圧倒されました。
実は私もピアノをやっていて、高校生の時、もう既に亡くなられたとあるピアニストの先生に、この子はダメだ!甘い!と言われたものの
今更進路変更できないしと、今までついてきた先生と別の音大に入り音楽教室の講師になったんですが(結婚を機に辞めました)
周りの真剣にピアノと向き合い研鑽している友人や先生方に囲まれて、私みたいな、底の浅い中途半端な人間が、この世界に来るもんじゃなかったなとずっと後悔していました。
ただ、私はギフトを持たなかった人間ですが、ピアノを続けた事で、ダメだと言って下さった先生も含め、音楽を愛し、自分の演奏を磨き続ける素晴らしい方々に出会えた事は財産だったなと思っています。
秋子様の文章を読んでいたら、ふと先生に言われた、あなたはただ弾けてるだけだという言葉を思いだし、今更のように胸を抉られました。
今は弾けるだけの能力すらほぼなくなってしまいましたが、もう一度、独り言でもいいからピアノの練習を初めてみようと思ったしだいです。
長文自分語り申し訳ありません。
小説もまた読ませて頂ければと思います。
色々な事を考えさせられる文章でした。
作者からの返信
ご感想ありがとうございます。
読んで頂いたこちらの作品は、短編集「Tempo di Valse」から短編企画用に抜き出した一編となっております。
音大にまで進まれたピアノ講師の方がいらっしゃるとは、カクヨムに集う作家の皆様の背景は多様で、その様な方達とこのように交流が持てることをとても興味深く、また面白く(interesting)感じています。
私もピアノを習っていたのですが、作中の人物と共通するのは"3歳で始めた"、というところだけです。
音大受験の前に生物学の端っこに触れて、そこでその後の進路が決定して今に至っています。
ただここ数年、音大を出たり、あるいは同等の教育を受けてセミプロとして活躍している数人の若いピアニストと交流を持つことがあり、
彼らの独特な感性にちょっと驚き、自分とは何が違うのか、どういった思考で彼らは活動しているのかを考えてみて、
その思考の一つの答えとしてこの小説を書いてみました。
音楽とは芸術であると同時に、"音を楽しむ"という、ある程度知能の発達した動物には普遍的な脳の活動の一部であると私は考えています。
"芸術"と"娯楽"、と云ってしまえば、その線引きには常に論争がありますが、
互いが互いをリスペクトまではいかなくても、その存在を認め合わなければそのジャンルは衰退する、というのは音楽だけでなく、
このカクヨムに集う安藤様や私を含めた物書きの皆様にも共通することかとも思っています。
ただ、紙とペンがあればそこそこ成立する物書きと違って、楽器の演奏は特殊な技術が必要です。
才能があっても、その技術を持たなければ埋もれたままですし、
才能を見出す他者がいなければ、やはり、世に出ることは無いでしょう。
そう云った意味で、本物に間近に触れた経験(才能を見出すためには"その他"と区別できる自身の"経験"が必要です)と、
その楽器を奏でる技術を持った、楽器の講師というのは、
音楽の世界において必要不可欠な存在であると私は考えます。
"持っている者""持たざる者"の区別は時に残酷で、年若い子供たち、また青少年の成長に大きな影響を与えることがあります。
何が違うのかをあからさまに指摘する"持っている者"の言葉は、辛辣に聞こえることもあります。
そのすべてを否定するわけではありませんが、
"自分が何を持っていて、何を持っていないのか"その違いを知っている人の言葉の方がむしろ、
多くの人の心に届きやすいのではないか、私はそうも思っています。
私のこの拙い小説が、安藤様がもう一度、ピアノを弾いてみようと思われた切っ掛けの、ほんの些細な一部にでもなったとしたならば、それはとても幸せな事です。
このような時勢でなければ講師へのカムバックも強くお勧めしたいところでもあります。
教える、ということもまた、"ギフト"の1つであると私は思っているのです。
ピアノを含め、多くの楽器、そして芸術は、人が生きていくのに不可欠な営みです。
たとえ独り言であってもピアノに触れるだけで自分らしさを取り戻すことができます。
そして、触れる人の独り言を聞くのが大好きなピアノだって、たくさんいると思うのです。
私も、先に書いた若いピアニストとの交流に触発されて十数年ぶりにピアノの蓋を開けたクチです。
グランドピアノではなくアップライトですが、だいぶ独り言に付き合って貰っています。いい感じです。
コメントへの返信にしては長文になってしまい申し訳ございません。
読んで頂いてありがとうございました!
第1話への応援コメント
いや。専門学校の頃の解剖の教科書のようでワクワクしました。筋骨格系ばかりではなく、脳からの神経からの生理学のような…
芸術を違う視点からの表現で見ているようで、大変興味深く思いました。
ずっとピアノをやっていました。
単純な反復練習が嫌で、全く上達もしないダメ生徒。でも今は、音楽の素晴らしさに支えられて、人生で辛い時にはピアノを弾きます。相変わらず下手ですがね笑
こうしてみると音楽を奏でるのは肉体労働的な感じも受けます。演奏家たちが日々体を鍛えているのも頷けますね。
勉強になりました。ありがとうございました!
作者からの返信
コメントありがとうございます。また素敵なレビューも頂いて、お礼申し上げます。
確かにこのお話は解剖学の教科書(「人体の正常構造と機能 改訂第3版」日本医事新報社)を参考にしていて、書中では各論に散らばった名称をつなぎ合わせ、ピアノの演奏に必要な構造を組み立てる作業は、パズルのようで楽しかったです。もう少し指の筋肉についても描写したかったのですが、小説としてのバランスを考えて抑えました。
雪うさこ様はピアノのご経験があるのですね。やはり楽器を弾いた経験があると今、連載されているようなお話を書くことができるのだと改めて納得する思いです。そちらのカクコンの連載の方も読ませていただきます。
読んで頂いて、また☆も頂き、ありがとうございました!
第1話への応援コメント
このような所で自分の話をするのは申し訳ないのですが、今、調香師のストーリーを構想中で、色々調べて行くうちに、香りには名前がないと言う話を目にしました。体験した物全てが匂いの記憶になるのだそうです。恋愛の匂いや失恋の匂い。音楽もそう言葉にできないもので構成されているのかもしれません。とても難しくて私などでは全くの的外れな感想かもしれませんがご容赦を!
作者からの返信
ご感想ありがとうございます。
mono黒様が書く調香師のお話、と聞くだけですてきなお話になりそうで今から楽しみです。和風ですか?それともフレグランス系の洋風ですか?、と思わず食いついてしまいますw
音や香りを含め、人の感覚を文字に変換するのはとても難しいものだと感じています。人の声や自然の音など、ただそれだけを描写するのにひどく手間が掛かったりします。
だからこそ日本語には、風の種類を表す名詞、雨の種類を表す名詞など、その言葉自体に音が備わっている名詞が昔から使われているのかもしれません。でも確かに、香りには名前がないですね。薫りの文化は平安時代からあるのに。源氏香の名前だけでもしかして昔の人は香りを想起できたのでしょうか。
思い付きが疑問をどんどん深みへはまらせてしまいそうですw
読んでいただいてありがとうございました!
第1話への応援コメント
いろいろ考えさせられすぎて脳内では考察があれこれ枝分かれを始めていますが…
とりあえずいろんな筋と神経があるんだなあ…よくここまで分類して「どれが、どれ」って認識できるもんだ…(゜_゜)
ピアノのことは何一つわかりませんで、"自分の感情をピアノで表現できるってすてきね"は何の違和感もなく、っていうか、
…「なにをしているの?」
というところですね。指で鍵盤をたたいて決まったメロディーの音を出している、という行為が実際には「なにをしている」のか、それを文章で垣間見させていただいた感じです。でも結局「脳の回路を共有してはいない」ので、わかりはしませんが!(^^)/ でも神への供物には納得です。
剣術でも、奉納演武というのは、あくまで神前に捧げるということのようですが、それでいうとピアノの演奏会もそういう意味合いなんでしょうかね。…いえ、何だか、至高を求めても、演奏会のお客さんが「…ってすてきね」の人ばかりだったらって思っちゃうと…
ギフトの件も大変興味深いですが、たぶん一晩語り明かすくらいでないと、一行二行で「ああそうですよねー!」ってことでもないと思うので自分の中にとどめておきます。とにかく色々刺激を受けました!!小説欄のごっちゃ煮ぶりが増していますね!!(笑)
作者からの返信
ご感想ありがとうございます。
闇鍋っぷりがマシマシです。そろそろ冬ですから鍋物の準備をと思いまして!←?
"ギフト"に関しては、私はなんかこう特別なものじゃなくて、何かを継続できる根性?とか、情熱?みたいなものだと思っています。…松岡修造?←やめろ
楽器の演奏を扱った小説で、楽器を演奏しているときの頭の中とか書いたものはあんまりないなー、と思って書いてみました。手法は「千鳥」の剣術の場面といっしょです!そう思って見ると似ていませんか?
あと、カクヨムにチャットみたいな機能があれば楽しそうですよね、って思っています、現在進行形で。
読んでいただいてありがとうございました!
第1話への応援コメント
指の使い方、筋肉や骨を意識する。滑らかに、鍵盤へと決められた指を運ぶ……幼少期に通ったピアノ教室を思い出しました。
親に連れられるまま始めたピアノで、音を奏でることや曲を奏でることは楽しかったのですが、反復練習の楽譜は楽しくなかった劣等生です。笑
私にとってピアノは道具だったんだと思います。
楽譜が語る喜怒哀楽を理解し、表現することを重要視される先生だったので、細やかな音の強弱や速度の変化に敏感になるよう指導されました。
懐かしい思い出を振り替えることができ、私も音を題材になにか書いてみようかと思いました。
ありがとうございました。
他の小説も少しずつ読ませていただきます。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
ピアノは子どもの頃の習い事にされていた方が多く、この作品を目にして、そういえば自分も弾いていた、と思い出された方にご感想を頂いているようです。
大人になってあれやこれやと日常の生活に追われていると、そんな昔の記憶も思い出せなくなってしまうほどに余裕が無くなって、ちょっと悲しかったりします(´・ω・`)
音というか音楽を題材にした作品を、このところカクヨム運営は集めているようですので良い機会になるかと思います、是非是非日埜和様も書いて見て下さい!
私が交流している あとみく様の短編「とあるボカロPのコラボレーション」https://kakuyomu.jp/works/16816452219101496410 も、音楽を題材にしたお話で、おもしろかったのです。もしよろしければお試し下さいませ。
読んで頂いて、また☆もつけて頂いて、ありがとうございました!