第4話

 気になる相手の名前も顔も知らないとは一体どういうことなのだろう。そんなことを思いながら、私はリンリンの言葉の続きを待った。

 リンリンは、少しためらうように目を伏せて、上目遣いで切り出した。

「その……実は……スマホのゲームで知り合った人なの……」

「ゲーム?」

 なんとなく、すごく親近感の湧く話になってきた。

「あんまりゲームはしないんだけど、懐かしいタイトルのゲームを見かけてちょっとやってみたのよ。そうしたらハマっちゃって……。最近昼休みもずっとゲームしてたの」

 一緒にランチに行ってくれなくなった理由は、彼氏ができたわけではなくゲームにハマっていただけだった! 私は思わず拳を天に突き上げそうになるのをグッとこらえた。

 しかし、喜ぶのはまだ早い。そのゲームで気になる人ができたというのだ。まだ付き合っている訳ではないのだろうが、それは由々しき問題である。

「名前も顔も性別も年齢も分からないのに気になるとかおかしいよ」

 とりあえず、リンリンを私の元に引き戻すため、自分のことを棚に上げて意見を述べてみる。そして心の中で「ベルちゃん、ごめん」と謝罪しておいた。

「でもね、初心者の私に親切に色々教えてくれる人がいてね。いい人だな~って……。メッセージのやりとりだけでも、結構人柄ってわかるじゃない」

 リンリンの言葉には賛同したい。私だってベルちゃんに対して同じように感じていた。でも、だからこそ断言することができる。

「そんなの幻想でしかないよ」

「そっか……そうだよね……」

 リンリンの沈んだ声に、私の胸がチクリと痛む。

 この胸の痛みは、リンリンを悲しませたことに対するものなのだろうか。それとも、顔も知らない相手に負けたことに対するものなのだろうか。もしかしたら両方なのかもしれない。

「そのゲーム、なんていうゲームなのか聞いてもいい?」

 ゲームに関してはそれなりに知っているし、もしかしたら何か助言できることがあるかもしれない。

 そんなことでリンリンに対して抱いた罪悪感のようなものを払拭できるとは思わないけれど、今の私にできるのはそれくらいしかない。

「ファーマーズクエストっていうゲームなんだけど……知ってるかな?」

「えっ? あ……う、うん。知ってる……よ」

 なんと私が絶賛プレイ中のゲームのタイトルが出てきた。驚きすぎて妙な間で答えてしまった。

 しかし、これはもしかしてもしかするんじゃないだろうか。

 リンリンはゲームを通して見知らぬ誰かに恋心らしきものを抱いているらしい。

 そのゲームが私もプレイしているファーマーズクエストだ。

 私は、同じゲームで仲良くなったベルちゃんが実はリンリンではないかと思っていた。

 ベルちゃんは、結婚するからゲームを控えるという連絡をくれたけれど、それが嘘だという可能性はないだろうか。

 日常生活で友だち(もちろん私のこと)をないがしろにしていたことに気付き反省したリンリン(実はベルちゃん)が、ゲームをセーブするためにそんな嘘をついた。

 名前だって顔だって、現実世界の何も知らない相手だ。すべてを正直に伝える必要なんてない。

 なんとなく納得してもらえそうな理由をでっち上げることだってできるのだ。

 もしも……もしも、リンリンがベルちゃんだったなら、リンリンが気になると言っていた相手というのは……。

「ねぇ、リンリン。ゲーム上でのプレイヤー名を教えてもらっていい?」

「え? そ、それは……恥ずかしいな……」

「そう言わずに、教えてよ」

「えぇ……恥ずかしいからヤダよぉ」

 照れるリンリンに私は食い下がる。

「いいじゃん、教えてよ」

 何度かそんな押し問答を続けると、ようやくリンリンはしょうがないなぁ、と言いながら白状した。

「笑わないでね……『グロッケ曹長』だよ」

「なっ!」

 私は思わず変な声を上げてしまった。

 リンリンは『ベル』というプレイヤー名ではなかった。

 それにはがっかりしたのだけれど、それ以上に『グロッケ曹長』といういかつい名前に覚えがあったことに驚いた。

 少し前に私が組合長を務める農協『星の農場』に加入した組合員の名前だった。

 そうして考えてみると、グロッケ曹長が加入した時期とリンリンの会社での様子が変わった時期がほぼ合致している。

「な……なんでそんないかつい名前に?」

「女ってわからない方がいいかなと思ったから」

「なるほど……」

 その理由はよくわかる。女性プレイヤーだとわかると、変なプレイヤーに絡まれることもないとはいえない。でも、いかつすぎるんじゃないだろうか。

「そのゲームでフレンド登録をしてもらった『ランド』さんがすごく親切なの。ランドさんもゲームをはじめてそんなに時間は経ってないみたいなんだけど、すごく詳しいんだよね」

「ぶっ」

 鼻からなんか変な息が出た!

 少なくとも私の農協『星の農場』にランドはひとりしかいない。そしてそれは弟の睦だ。

「ランドさんね、オクトーブルさんに誘われてゲームをはじめたみたいなんだけど……」

 あ、それ、私です。私のプレイヤー名『オクトーブル』です。

「対戦中に、ランドさんとオクトーブルさん、リアルでやりとりをしてるみたいなんだよね……。なんていうか、すごく親密そうな感じで……」

 親密というか、姉弟だからね……。

「対戦って夜なんだけど、その時間に一緒にいるってことは同棲してるのかな~とかってモヤモヤしちゃって……」

 同棲じゃないけど一緒に住んでます。

 こういう場合、私はどう答えるのが正解なのだろう。

 急展開過ぎてどうすればいいのかさっぱりわからない。

 ちょっと落ち着いて整理してみよう。

 私は手元に合ったコップの水をグビグビと飲みホ干す。

 リンリンがしていたゲームは『ファーマーズクエスト』。そこで知り合った『ランド』のことが気になる。その『ランド』とは私の弟の睦……。つまり、リンリンが好きなのは睦……。

 とりあえず、睦を殴るというのは決定だ。

 それはそれとして、今どうすればいいのかが問題だ。

 これって三角関係になるのだろうか。私はリンリンが好き、リンリンは睦(ランド)が好き……。睦は私と好きな女性のタイプが同じだから、合わせたら絶対にリンリンを好きになるだろう。

 すると三角関係ではなくて、私がお邪魔虫になるだけじゃないか。

 だったら何も知らないフリをして置く方がいいような気がする。

 だけど、そんなことできる自信がない!

 どうにか穏便にランドのことを諦めさせる方法はないだろうか。

「ごめん、確認なんだけど……リンリンはそのランドのことが好きってこと?」

「んーー、好きかって聞かれるとどうかな……。気になるのは確かなんだけど……」

 そう語るリンリンは恋をしているように見える。

 私はリンリンのことが好きだ。だからといってリンリンの恋を邪魔する権利があるのだろうか。

「相手の性別も年齢も容姿も仕事もどこに住んでいるのかもわからないのに、その人が気になる?」

「んー……それはそうなんだけど……話をしててね、なんとなく私と同じか少し年上の女の人なんじゃないかなって思うんだよね」

 私は一瞬固まってしまった。

 ここでまた新たな事実が発覚してしまった。

 年下の男である睦が、年上の女性だと思われているのだ。

 睦は一体どんなメッセージを送っているんだろう。睦とメッセージのやりとりをしたことがないからさっぱりわからない。

「えっと……相手が女性かもしれないと思っていて、ランドのことが好きなの?」

「いや、だから、はっきり好きっていうわけじゃないんだよ。……もしかして……神奈ちゃんって女性同士はダメな人?」

「そうじゃないよっ!」

 とりあえずそこだけははっきり否定しておく。

 ただ、情報が多すぎて思考が追いつかないだけだ。

 これはつまり、リンリンは同性が恋愛対象になるということだ。それならば、私にも可能性がある。そして睦の可能性は極めて下がる(はず)。

 これは喜んでいい状況なのだろうか。

 いや……そもそも問題はそこではないのかもしれない。

 私はリンリンのことが好きで、会社では一番仲が良くて、恋愛感情を横に置いておいても親友くらいに思っていた。

 だけど私はリンリンのことを何も知らなかったのだ。

 普段、どんなことをしているのか。何に興味を持っているのか。どんな人を好きになるのか。何に悲しみ、何に喜び、何に感動するのか。

 親友だ、好きだ、と思い込んでいたけれど、結局私はリンリンのことを何も見ていなくて、何も知ろうとしなかったのではないだろうか。

 今、一番問題なのは多分そこだ。

 スマホの向こうにいるベルちゃんに対して、こんな人に違いないと妄想していたのと同じように、リンリンの一部だけを見て、こんな人だと勝手に思い込んでいたのではないだろうか。

 そして、私自身もリンリンに何も伝えていない。

 スマホの向こうのベルちゃんと相対するように、本当のことをずっと隠している。

 こんな状態で好きだとか三角関係だとか、どうしたらいいのかとか考えられるはずもない。

 それならば私にできることはひとつだけだ。

 私はバッグからスマホを取り出して、ゲームアプリ『ファーマーズクエスト』を開いた。

「実は……私ね……」

 そうして、私は自分がオクトーブルであること、弟がランドであることを打ち明けることにした。これでリンリンが何を思うのかはわからない。

 これをきっかけにリンリンと睦が会うことになったら、その先どうなるのかもわからない。

 それでも今の私にできるのは、本当の私をリンリンに知ってもらうことだけだ。

 そこからはじめなければ、きっと妄想のような恋から一歩も前に進めないと思う。

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