第115話



「アードランツ様。アリーシャと申します」


 ぐい、と俺を押しのけて、アリーシャが軽く頭を下げた。

 一向に落ち着けない俺が悪いけど、アリーシャたん最近容赦ないの……


「質問をよろしいでしょうか?」


「……ああ。妹弟子なら、様付けは不要だ」


「いえ、クセですので。お若くていらっしゃいますね?」


「よく言われる。だがそうでもない……特に悠久のときを望む我がまなこには、夜の帳がその無慈悲なかいなを伸ばしつつある……」


「ええと……目が悪くなってきておられる、と……?」


「然り」


「理解に至れまして幸いです。……魔王様の供をさせていただき、こちらに参りましたが」


 す、とアリーシャの眼が細くなる。

 俺と違って、この子はまだ気をゆるしていない。


 気にかかっているのだ。

 あの置き手紙が……


「アードランツ様は、なぜ勇者とならずに、このような魔王城を構え……魔王と名乗っておいでなのでしょうか?」


「……我としては、貴様ではなく、ゼルス様より問い賜りたい事柄であるが」


「今このときの魔王様は本気度が足りないと判断いたしましたので、僭越ながらわたしが」


「本気度」


「アードランツ様とのご再会を、ことのほかよろこばれているからかと」


「そういうことを、ゼルス様ご本人の前で言う空気。変わっていないようでなによりだ」


 変わってほしい切実に。

 マロネのやつがいる限り無理な気がするけど。


「我が魔王を名乗る理由……」


 広間の奥に向かって、アードランツが指先を振る。

 暗闇の中から、椅子が3脚ひとりでに、たっとこたっとことやってきた。


 動きこそコミカルだが、この椅子……

 牙をむきだした悪鬼がそこかしこにデザインされ、背もたれには謎の禍々しき紋章。

 意味こそわからんが、う~む、それっぽい……


 俺とアリーシャにそれをすすめ、アードランツも腰を下ろす。


「それは無論、魔王ゼルス様を倒すためだ」


「……魔王として、ですか?」


「いいや。勇者としてだ」


「それは……?」


「今の我は仮初めの姿。ゼルス様の元での修行を終え、旅立つときこの胸に誓った約定を果たすため……そう、すべてはそのために必要であるがゆえ……」


「どういうことでしょう。魔王様を倒すため、いちど勇者をやめ、自らも魔王になったと?」


「その通り」


「理解できません」


「座らないのかね?」


「お構いなく」


 言葉の通り、アリーシャだけその場に立ったままだ。

 なにかを警戒しているのか、椅子がキモくて嫌なだけなのか……

 冗談はさておき、今すぐガルマガルミアを抜いて斬りかかったとしても、不思議じゃない雰囲気だな。


 是非はどうあれ、頼もしいことだ。

 俺は持参した水を飲むが。


「! ゼルス様、これは気づかぬことで。すぐに酒を……」


「かまわんよ。……いややっぱもらおう、くれ。酒くれ」


「もちろんでございます」


 また広間の奥からふわふわと、酒瓶とグラスがやってくる。

 ほう……!

 どんな意匠かと思ったら、瓶もグラスも至って普通!

 いや、あえてシンプルにすることで、魔王が手にしたときのバランスを考えてあるのか? うむむむ。


「アリーシャ……といったな」


 立ち上がり、手ずから俺に酒を注いでくれながら、アードランツが横目で妹弟子を見やる。


「さすがにすべてを語ることはできん。我の標的が目の前にいるのだからな」


「今そのお酒に毒でも盛ればよいのでは」


「悪魔か貴様? そのような手段、思いつきもしなかった。次より検討しよう」


 すんな。


「ただひとつ……勇者候補なのだろう貴様が、最も懸念すべきことにまず答えておこう。我は魔王として、人間を害するつもりはない」


「信じる根拠に欠けますが」


「そこまでは面倒みれん。疑う根拠もないはずだ、とだけ言わせてもらうが」


「いえ」


「……なに?」


 ちらりと、アリーシャがこちらを見る。

 ま、俺から言うべきかな。


「アーくんよ。テミティという名に聞き覚えはあるかな? テミティ・バドミ・ドワーフ」


「? はい、よく存じております。会ったことこそありませんが、ゼルス様の元弟子……我にとっては、極めて優秀な妹弟子であると、風のうわさに幾度も耳にしました」


「おまえを倒すと言っていてな」


「……なんと。……まあ、勇者たるものなれば、なるほどと言えなくはありませんが」


「来たか? ここに」


「いいえ。ドワーフの襲撃は受けておりませんし、部下に報告された記憶もありません」


 ふむ……

 テミティが魔王城うちから消えて、しばらく経つが。

 彼女は移動が苦手だ。まだたどり着いてないだけか……?


「狙われる心当たりは?」


「大々的に魔王を名乗っていることは事実。どのような勇者に狙われたとしても、不思議はありますまい」


「テミティはおまえを名指ししていた。アホほど数がいる魔王の中で、俺の元弟子であるおまえをだ。たまたまかな?」


「たまたまでしょう」


「たまたまか」


 魔王様、とアリーシャに見つめられる。

 だってどうとも言いようがないんだもんよ。


「テミティの真意は俺にもわからん。アーくんが魔王やってるってのを知って、どういうことだって聞きに来るだけかもしれんしな。手紙に倒すとは書いてあったものの」


「もし訪問のあった際には、我が城をあげて歓待するといたしましょう」


「そうしてやってくれ。宵闇鶏のキッシュが大好物だ。口数はアーくんと真逆だが、雰囲気は似てないこともないぞ、ふしぎだなー」


「ところでゼルス様、我は何をいかにすれば、アーくん呼びをおやめいただけるのでしょうか?」


 あごに手をやっていたアリーシャが、細い眉を上げた。


「魔王様は……アードランツ様に、勇者にならなかった真意を問う、と道すがらおっしゃっておられましたが」


「ああ。アーくんが言えないっつんなら、しょうがないな」


「それでよろしいので……?」


「最終的に、俺を倒しに来る気があるんだろ?」


 無言のまま、アードランツが深くうなずく。

 だったら、問題はない。なにも。


「案外、おもしろい発想かもな。勇者として立身する前に、魔王に寄り道する的な」


「魔王様……? ご意思をはかりかねますが」


「……正直に言おう。アリーシャ。俺は衝撃を受けているのだ……この城に。アードランツに」


「はあ」


「アーくんよ」


「直前でちゃんと名前で呼んでいるのですから、そのまま呼んで差し上げては?」


「アーくんよ」


 はい、と答えるアードランツに。

 俺は胸を張り、親指で自分自身を示した。


「教えてくれ……! おまえの魔王どうを!!」


「……は?」


「弟子にしてくれ!!」


「は?」


「俺を!! おまえの!!」


 しばし……

 やはり波の音すら聞こえない、圧倒的な沈黙を挟んで。


「は……?」


 アードランツは、みたび繰り返した。



**********



お読みくださり、ありがとうございます。


次は12/30、19時ごろの更新です。

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