第35話



 耳をつんざく絶叫が、幾重にも洞窟にこだまする。

 気を失っていたファレンスは、弾かれたように飛び起きた。


「なひィッ!? ……ひ、ひっ? な……っ……」


 きょろきょろと、あたりを見回す。

 暗くて把握しづらい。

 体も動かしにくかった。氷のように冷えきっている――そうだ。思い出した。


 ここは氷のダンジョンの奥地だ。

 ずっと倒れたままだったのだ。


「ぜ……ゼルスンっ……?」


 薄闇に慣れようと目をこすり、懸命に見回すが、いない。

 仲間になったばかりだった、あの神官。

 とても有能なのは間違いないが、どこか不思議で、最終的には何を言っているのかもわからなくなった男。


 その姿は、すでになかった。

 どころかまわりに誰もいないようだ。


「ユミーナ……タテノス? 今の、悲鳴は……。気のせいか……?」


「目覚めたか」


 ギク、と心をこわばらせて振り向く。

 壊れた神殿の入り口に、巨大な熊が座りこんでいた。

 ばかでかい手のひらについた何かを、長い舌でべろべろとなめ回している。


 ……血……?


「ば……バドマトス……!」


「いらっしゃるのだな。あのような御方も」


「き、貴様……? 言葉が……?」


「魔王として、闇の支配者として、ただ力を振るえばよいと思っていた。それだけの力があるとうぬぼれてもいた。人間よ、汝も似たようなものだったようだな」


――おまえは勇者じゃなかったんだな


 ぐ、と吐息がファレンスののどに詰まる。

 そうだった。ゼルスン、あいつめ。

 少しばかり腕が立つからといって、あのような侮辱を受けるいわれはない。


 床に転がったままの聖剣を見つけ、ファレンスは震える両腕でかき抱くように拾った。

 憎しみが心に熱を与える。

 あのアリーシャとかいう女が邪魔しなければ、叩き斬ってやっていたものを。


「ゆるさん……! こ、この私に、あんなっ……絶対にゆるさんぞ……!!」


「ゆるさなければ、どうする」


「殺してやる!! ま、まずはあの女からだ。あの弟子をゼルスンの目の前でなぶり殺しにして、そのあとゼルスンの首を斬る!!」


「そうか」


「そうとも!!」


「ならば決まったな」


 のそりと、大熊が――魔王バドマトスが身を揺すった。

 その影に、ちらりと鎧の残骸が見えた気がしたが、目の錯覚だろうか?


「さあ。死合おうぞ、勇者らしき者よ」


「あ? ……えっ?」


「生きるため、殺すため、戦うがいい。我もそのつもりだ」


「いや……は? なにを……」


 ゴフア、とバドマトスが白く熱い息をはく。

 みなぎる魔力がミキミキと、大気を冷たく鳴らしている。


「あの御方のお言葉通り、我が汝の運命となろう」


「な……なんでだよ……?」


「汝に希望をくだされたのだ、あの御方は」


 バドマトスが立ち上がる。わかってはいたが、見上げてもなお足りぬ巨体である。

 つられて立ち上がるファレンスだったが、両足ははっきりと震えていた。

 自分を待っている運命とやらの先に、確かな結末がもう、見えている。


「汝の内に、真に勇者たりうる可能性があるならば、このようなところで死にはすまいと。我を打ち倒し、未来の勇者として、あの御方の前に立つこともあろうと」


「ふ……ふざけるなよ……!?」


「光なきところに光を見出す。それが人間のすばらしさだと、あの御方はお教えくださり、我に回復と句読点を与えられた。聞き取りやすかろう」


「ふざけるなと言ってるだろうが!?」


 ゴファハハハハ、と魔王が笑う。


 極寒の中、冷や汗を流しながら、ファレンスはまた周囲を見回した。

 なにかないか。

 ここから逃げ出せるなにか。

 自分の思い通りになるなにかは、ないか!


 ない。


「さあ。かかってくるがいい」


「か! 勝てなかったじゃないか!!」


「なんだ?」


「お前には勝てなかったじゃないか!! さっきやって、む、無理だったじゃないか!! なんでもう1回やらないといけない!?」


「我が魔王だからだ」


「そ、んな、知るかっ……!」


「いいや。正確には、もう魔王と……そう名乗るつもりは、我にはないがな」


 ビキバキ、とバドマトスの体躯を分厚い氷が覆う。

 万がいちにも、ファレンスの攻撃を通さないつもりだろう。


「このダンジョンを汝の墓標とし、我は旅に出る。そう決めた」


「は、はあ……!?」


「あの御方のもとへゆく。家来にしてもらうのだ。あの御方こそ真の魔王」


 バドマトスが何を言っているのか、ファレンスにはわからなかった。

 魔王。

 魔王だと?

 どこかへ行くなら、もういいじゃないか。


「行けよ!! どこへ、どこへでも行けっ! 私はもういいだろう!?」


「そうはいかぬ。勇者らしき者よ、我とて恐ろしい」


「うるさい!! 行け、行けよあっち行け!!」


「汝がまだ、力を隠してはいまいか。剣が力を振り絞り、我の毛皮が斬り裂かれはしまいか。恐ろしい」


「ねえよ!! そんなのもうねえよお!!」


「恐ろしいが、たかぶる。なるほど。闇がため戦うとは、こういうことか」


 にいい、とバドマトスが牙をむきだして笑った。


「魔王がために死なんことを」


「うわああああああああああああ!!」


 魔獣の咆哮と、

 岩を踏み砕いて突進する音が、

 人間の悲鳴をかき消した。



**********



お読みくださり、ありがとうございます。


ここまでで、もし「おもしろい」と感じていただけたり、

「ファレンスざまあああああ!!!」と溜飲を下げてくださったり、

そういうのなくてもお心がゆるすようでありましたら、

心やさしき★★★でのご評価、またご感想など、

なにとぞよろしくお願いいたします!


次は11/27、21時ごろの更新です。

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