勇躍の誠少女

床崎比些志

第1話 夏草の帰り道

 夏草が生い茂る野原の一本道を一人のセーラー服姿の少女が小枝の棒切れを振り回しながら歩いている。——学校からの帰り道。繁華街とは反対側の方面に向かう生徒にとってそこはあきらかに近道なのだが、特に夏場はマムシが出るというので誰も近づこうとしない道だった。それだけに一人でいることが好きなその少女はこの道を好んで歩いた。

「おーい!」

 背後から呼びかける男の声に、少女は足を止めて振り返る。少女は色白で背が高く髪が長い。目元は柔和だが口元はキリリとして見るからに意志の強さをうかがわせる。

「一緒に帰ろうぜ」

 男はそういって少女といっしょに肩を並べて歩き始めた。少女の名前は風馬誠子。私立16歳の高校1年生である。しかし人間ではない。クローン生殖によって誕生したガイノイドだ。ガイノイドは姿形は人間そっくりである。しかし人ではない。これほどまでに技術革新が進んでいるというのに人権は未だに保障されていないのだ。少なくともこの国においては特別な認定を受けない限り大多数が戦闘や実験用途に使われる消耗品として扱われている。ただ、誠子は特別な認定を受けた一握りのガイノイドであり、子供の頃から人間の学校に通うことを許されていた。


 一方、声をかけてきた男は、同じクラスの男子生徒、神田浩介である。こちらは正真正銘の純粋人間だ。体こそ華奢で、運動もあまり得意でないのだが、とにかく勉強はできた。特に理工系の科目においては向かうところ敵なしだった。さらに家がらも裕福であり、顔立ちもきれいな方だったので女生徒からの人気もあったのだが、そうやって近づいてくる人間の女子にはまるで興味がなく、その代わりにガイノイドである誠子のことが気になって仕方がない。まわりの大人たちは、法律が人間扱いしていないという理由だけでガイノイドのことをなにかと色眼鏡で見るが、浩介にしてみれば——それはとても自然な感情だった。


 正直な気持ちのままに誠子にまとわりつく神田浩介のことを、誠子は迷惑だとも嬉しいとも思わない。ただそれがこの男の習性なのだと割り切って、あるがままを受け入れていた。そもそも帰る方向が一緒なのだから、一緒に登下校することは自然な流れといえる。


 誠子はずっと父と姉と三人で暮らしてきた。ところが一月ほど前に父も姉も失踪した。その後、どういう経緯があったか誠子自身にもわからないが、三週間ほど前から浩介の父の家に預けられている。つまり、誠子と浩介は、通学路が同じというだけでなく、同じ屋根の下に暮らしているのだ。


 浩介はポケットに両手を突っ込んだまま呑気に鼻歌をうたっている。一方の誠子はあいかわらず棒切れを振り回しながら、少し寂しげな表情で過去のことを考えていた。——といって、遠い昔の郷愁にふけっているわけでもなければ、いわゆる人間でいうところの家族の安否について考えているわけではない。


 子供の頃から誠子は家庭用ガイノイドというよりも戦闘用ガイノイドとして非常に厳しく育てられた。また通常の戦闘用クローン同様に恐怖心を克服するための遺伝子操作手術、いわゆる感情去勢も受けているため、純粋人間とくらべると著しく感情に乏しく、そもそも愛情も悲しみもほとんど感じたことがない。それゆえ姉に対しても父に対しても特別な喪失感は一切ないのだ。——だから、二人のことを懐かしんだり悲しんだりすることでぼんやりすることはなかった。


 誠子はただ——棒切れで背の高い夏草をかき分けながら——三日前に行われた剣道の練習試合について思いを巡らしていた。相手は陸軍士官学校剣道部の主将であり、世界剣道協会52キロ級3位の藤堂美佐江だった。誠子はガイノイドゆえ、世界タイトルへの挑戦権もなければ、世界ランクキングへのランクイン資格すらないのだが、練習試合への参加は認められていた。そして立ち会った結果、誠子は三本中二本は難なく取ったものの、その後はつばぜり合いの接戦の末、最後に一本取られた。


 誠子は剣道の世界において無類の強さを誇っていた。そんな評判を聞きつけた多くの腕自慢の人間たちが次々と戦いを挑んできたが、誠子はことごとく退けた。もともと自分に体内細胞を提供した人間も剣道の世界チャンピオンだった。とはいえ、その人間に対しての思い入れは一切ない。自分が剣道の世界にのめり込むのは、ただ、この世に生まれた時から剣道の世界で勝つことのみを父から厳しく言われ続け、それが自分の使命なのだと信じて生きてきた結果にすぎないと考えている。実際、ここ数年間は、同じガイノイドだけでなく、人間の男子生徒と立ち会っても一本も取られたことがなかった。だから昨日の試合でも当然誠子が三本すべて取ると皆予想していた。しかし、誠子は不覚を取った。


 そのことがずっと頭から離れないのだ。もとより感情そのものを捨ててしまった誠子には悔しさはなかった。しかし人間が時より見せる炎のような気迫を前に自分の動きが一瞬鈍ったことが、不思議に思われて仕方なかった。


 ゴソゴソと夏草がざわめいた。それとともに草いきれの合間から家畜のような匂いが立ち込めた。


 ——正面から大男が近づいてくる。さらに背後からも人の気配がした。振り返ると前の大男と全く同じ顔をした大男が立っていた。典型的な戦闘用アンドロイド、クローン兵士だ。誠子と浩介は身の危険を察知し、足を止めた。完全にはさみうちにされた。


 浩介は奇声を上げながら勇猛果敢に前の大男に飛びかかるが、すぐに跳ね飛ばされた。そして二人の大男は丸太のような腕でいっせいに誠子に襲いかかった。


 誠子は棒切れを持ったまま牛若丸のようにその突進をひらりとかわす。


 そして後ろから襲いかかった大男の喉の急所に正確に棒切れの先端をまっすぐ突きつけた。そのとたん大男が後ろにもんどり打ってひっくり返る。


 続いて前方から襲いかかる男にも同じように喉元に棒切れを突きつけるが、男がその直前に身をかがめたため微妙に急所を外してしまう。大男はすかさず誠子の棒切れをつかみとり、力づくで真っ二つに折り曲げた。しかし誠子は怯むことなく折れた棒切れを逆手に持ち直し、そのまま飛び上がって、男の眉間にその尖った先端をグサリと突き刺した。その瞬間、男の眉間から鮮血が飛び散り、男は大声を上げて顔を両手で覆いながら前のめりに崩れ落ちた。誠子はその隙にふわっと男の体を飛び越えると、気を失って草むらに倒れていた神田浩介を抱きかかえ、風のようにその場から消えた。


 あのクローン兵士たちは、個人的な意志で襲いかかる剣客や喧嘩好きの腕自慢の類ではない。男たちの目には明らかに大掛かりな組織の命によって強制的に突き動かされる殺意が感じられた。——自分を取り巻く巨大ななにかがゆっくりと旋回しはじめている、と風馬誠子は夏草の丘をかけぬけながら、そう感じた。

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