第102話 生ける伝説と手合わせした


「ご主人様、まだ頭は痛むのか?もう少し休んでいた方が良くないか?」


「いや、もう起き上がれるくらいには元気になった。看病、ありがとうなラキア」


「ふえ!?えへへへへへ!!」


二日後、もう一生酒なんか見たくもないと思えたほどの二日酔いから復活した俺は、献身的に看病してくれた従者のラキアの変な照れ笑いの声と一緒にグラファスの工房の中を歩いていた。


……あれはまさに地獄の二日間だった。

元の世界でも、ずいぶん前から宴会のたびに手伝いついでに飲まされてきてそれなりに自信があったのだが、完全に人族とドワーフ族の種族の差というものをなめていた、そうとしか言いようがない。

ラキアを通じた又聞きではあるが、俺にしこたま飲ませた上でさらに数倍の量の酒を摂取したと思われる二人のハイドワーフは、次の朝には何事もなかったかのようにケロリとした顔で起きてきたらしい。

……多分、そういう意味で「生ける伝説」なんて呼ばれているわけじゃないんだろうが。


そんなことを考えていると、ひとしきり笑い終わったラキアがふと足を止めて俺の方を向いて小首をかしげた。


「そういえばご主人様、今更な話なのだが、何も二日も苦しまなくても竹ポーションを使えばすぐに復活できたのではないか?」


「ああ、それな。もちろん忘れてたわけじゃないさ」


というより、この二日間で竹ポーションを使ってしまえと俺の中の悪魔が何度囁いたか分からないくらいだ。


「ここではコルリ村と違っていつでも補充できるわけじゃないからな。本当に必要な時に切らしてた、なんてことになったら目も当てられない。それに」


「それに?」


「なんとなくなんだがな、あまりチートに頼るのもどうかと思ってな」


「?」


不思議そうな顔をするラキアだったが、俺自身上手く考えがまとまっているわけじゃない。

多分だが、元の世界でひたすら鍛錬に明け暮れていた俺と、この世界に来てチートな魔力量やスキルを手に入れた新たな俺との整合性が、俺の心の中で取れていないのだろう。

だからといって、何をどうすればその違和感が解消されるのかもわかっていないのだが。


そんな俺と同じように悩んでいるのか、うーんうーんと唸り続けていたラキアがふと顔を上げた。


「ご主人様はポーションや治癒魔法での治療が嫌いなのか?」


「嫌い、っていうか、苦手ではあるな。怪我をするっていうことは、それ相応の理由や原因があって起こるもんだ。それを竹ポーションであっという間に治して『治す時間の重み』ってのを忘れたくないんだよ」


「??」


「あー、つまりだな、一度痛い思いをしておかないと、次同じような状況になった時に気を付けようって思わなくなるってことだ」


「おお、それなら私にもわかるぞ!私も前に獲物を追いかけて崖から飛び降りた時に大ケガをしてたことがあるぞ。確かセリオは全身白濁骨折とか言っていたような気がするがよく憶えてないな。とにかくだ、その時は二月ほど全く体を動かせなくってもやもやしたんだ。それ以来、私も崖を飛び降りる時はちゃんと高さを見てから飛び降りるようにしたのだ!」


「………………そうか、俺の話が伝わって何よりだよ」


崖を飛び降りるなよとか、それを言うなら全身複雑骨折だとか、全治二か月ってよく生きてたなとか、だから崖は飛び降りるもんじゃねえよとか。

とにかく突っ込みどころ満載のラキアの話だったが、朝一番にグラファスから呼び出しを受けていたことを思い出して何とか我慢した。

これはこれで、俺も場数を踏んで成長したということなのだろう。

あまりうれしくない成長の方向性だが。






「む、やっと起きてきたか。これだから人族は軟弱でいかんのだ」


俺達がやって来たのは、工房の中でも一番の広さを誇るらしい鍛冶場だった。

グラファスのところへ行く間にも大勢の鍛冶師が忙しく立ち回っていて、そこら中から甲高い金属音と高温を発する赤い光が工房の活気を証明していた。

それは置いといて、グラファスの軟弱発言に俺のスイッチがカチンと入った。

入ってしまった。


「うるせえよ!俺をベッドまで運んでくれたドワーフたちも、お前らが飲み干した酒瓶の数を見てドン引きしてたのくらい覚えとるわ!どうせ弟子たちとも酒の付き合いなんてないんだろ!」


「な、ななな何を言うか!宴会くらいこの工房で星の数ほどやっとるわ!」


「ならお前がこれまでの人生で酒の席に誘われた回数を言ってみろよグラファス!」


「ひい、ふう、みい……五回もあるわ!」


「お前三百歳以上じゃねえか!!」


売り言葉に買い言葉。

大勢の弟子がいる工房内で、グラファスの方から仕掛けてきたとはいえ開口一番低レベルな舌戦を繰り広げてしまった。

おかしい、ここに来る直前まで寝床や食事の世話をしてくれたことへの謝罪と感謝を言うつもりだったのだが。

ドンケスと背格好が似すぎているせいだろう、どうにも他人という気がしないのだ。

さらには、相当なお偉いさんのはずなのに居丈高な態度を見せないグラファスと、なぜか尊敬のまなざしで俺のことを見てくるマスタースミスの弟子たちの存在が、俺のテンションに拍車をかけていた。


「はあ、はあ、……そう言えば、ここにきているのは俺とラキアだけなのか?」


言葉の応酬もひと段落した頃、大勢のドワーフが働く工房の中でそれ以外の種族が俺たち二人だけなことに気づいた。


「ぬ?そこのラキアという娘に聞いておらんのか?」


「聞いた気もするが忘れた!」


「……こういう奴なんだよ。できればもう一度説明を頼む」


「……その娘、確かタケトの従者と聞いたが、お前も大変だな」


少しの間遠い目をしたグラファスが同情するように言った後、懐から革張りの手帳を取り出してペラペラめくりだした。


「まず、リリーシャというダークエルフの娘は、その辺をぶらついてくると言って毎日出かけておる。夕食時には帰ってきておると報告を受けておるから心配はあるまい。次にティリンガの娘だが、どうやら本の虫だったようでこの工房の蔵書に興味を示してな、今も書庫で読み漁っとる。ああ、あと、昨日ティリンガの女王から使者が来ておったぞ。タケトが寝込んでいると伝えたら簡単な挨拶だけで帰っていった。『復調されたら一度ティリンガの宿舎にお越しください』と伝言を残してな」


「ちょっと待て。たしかティリンガ族は俺達がここにいるのを知らないはずだが?」


「直接言わんでも、あのライネルリスならゲルガストが頼る先くらいあっさり見抜くであろうな」


「ひょっとして、グラファスもライネさんと知り合いなのか?」


「……腐れ縁という奴だ。これ以上は聞くなよ、思い出すだけで胸糞悪くなるからな」


そう言われると知りたくなるのが人の性だが、とりあえずこの場で追及するのはやめておく。

まだあと一人、消息を聞いていない人物がいたからだ。


「ドンケスは、ドンケスはどこに行ったんだ?」


「秘密だ」


やはり一人仲間はずれにした理由はあったらしく、即座に回答を拒絶されてしまった。


「だが、さすがに何も教えん、では納得もすまい。街の外に出た、とだけ言っておこうか」


「どうやって?」


俺達がこの工房に隠し通路から入ってきた経緯からして、まさか正面から堂々と、というわけにもいかないはずだ。


「隠し通路は他にもある、そういうことだ」


なるほど。


「心配せんでもこのゲルガンダールは奴の庭だ。仮に衛兵に見つかっても追跡の一つや二つ簡単に撒けるし、万が一捕まってもゲルガストなら力づくでどうとでもするだろう」


「そこまで行ったらさすがに目的どころじゃなくなるから勘弁してほしいがな」


次々と襲い掛かってくる追手を相手に、大戦斧を振り回して暴れまくる深編笠姿のドンケス。

俺がその場に居合わせたら速攻で逃げ出すな。

君子危うきに近寄らず、三十六計逃げるに如かず、だ。


「で、だ」


パタン


勢いよく手帳を閉じたグラファスが最小限の言葉で話題を切り替える。


「ここまで言えばもうわかっているだろうが、タケト、お前に用があってここに呼んだわけだが」


そこまで言った工房の主はくるりと背を向けたかと思うと、そのまますたすたと俺達から距離を取り、ある場所まで歩くとそこにあった細長い何かを包んだ布を掴んだ。


「何をしておる。お前も早く自分の得物を持ってこんか。今からお前の力を試してやる」


そう言いながらグラファスの手が布を取り払った。

そこにあったのは白よりも何物にも染められず、銀よりもなお輝く破壊不能の金属、ミスリルで作られた大戦槌だった。






それから少し後、一度自分の武器を取りに戻って再びグラファスと対峙した。

グラファスの手には白銀の大戦槌、そして俺はというと、


「ぬ、それでいいのか?確かゲルガストとタケトで共作した武器があると聞いたが……」


「こっちの方が手に馴染んでるんでな。あっちも慣れてきたところだけど、三節棍っていうのはただでさえ扱いが難しいからな」


そう言った俺の得物は、もちろん手触りだけで分かってしまうほど慣れ親しんだ竹槍だ。


「まあワシとしてはどっちでも構わんがな。では、行くぞ」


グラファスから説明は一切ない。俺もそれを求めない。

世界一の鍛冶師とも呼ばれる目の前のハイドワーフが、無意味な勝負を挑んでくることをするはずがないという推測もあった。

それ以上に、いや、それ以前に、純粋な戦意を向けられて応えないような臆病者には竹田無双流を名乗る資格がない。

少なくとも爺ちゃんはそういう人だった。


ここまで覚悟を決めるのに要した時間は、ほぼ一瞬。

その間にもドワーフ王と並び称されるほどの生ける伝説は、俺に向かって無骨にも真正面から突き進んできていた。

手にするのは白銀の大戦槌のみ。そのほかには防具どころか手甲一つ身に付けていない。


一見何の工夫もない隙だらけの無謀な突撃。

だが、俺の全ての感覚と経験は、この脳内に勝利のイメージを浮かび上がらせることは決してなかった。


(――隙が無さすぎる!?)


なぜなら、グラファスの体と得物に込められた魔力が、俺が竹槍に込められる最大量のそれをはるかに超えていたからだ。


(あの体のどこに竹槍を当てても良くて相打ち、下手をすればこっちの得物が一方的に破壊されるだけだ。なら急所か?いや、それくらいグラファスだって読んでいる。いくら何でもそこはガードしてくる。回避?バカな、ただ突っ込んできているように見えて全く重心がブレていない。こっちの隙を見せるだけだ。あの大戦槌と打ち合う?一番愚かな選択だ。あの魔力量にあの重量、俺の体ごと吹き飛ばされて終わりだ!それなら――!!)


あらゆる攻撃が通じないと悟った時、人は全力で逃げようとするだろう。俺も基本的にはそうする。

だが、普通の人でいられない時、例えば武に生きる者としての最後に残った選択、それは――


「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおお!!」


乾坤一擲。


俺は目の前まで迫ったグラファスに対して、真正面から最短最速の突きを放った。


そして


パアアアアアアァァァン!!


グラファスの体のちょうど中心、白銀の大戦槌の柄に竹槍の先端が直撃したかと思うと、鉄の鎧も貫く竹槍の先端がササラになって破裂した。


「そこまで!!」 「ご、ご主人様!!」


俺にそれ以上の戦意がないことを知りつつ手合わせの終了をグラファス自らが告げると、まるでスタートダッシュでもかけたように俺の背中にラキアがしがみついてきた。


「だ、大丈夫かご主人様!?ケガ、ケガはないか!?」


「大丈夫だラキア、なんともない。竹槍が裂けただけだ」


バサッ


いつの間にかに来ていたリーネの持っていた本が落ちる音を聞いて、初めて鍛冶場中のドワーフたち全員が、作業の手を止めてこちらを注視していたのにようやく気づいた。

どうやら自分では気づいていなかっただけで、俺自身相当緊張していたらしい。


「見事だタケト。あれだけの迷いのない突きは久々に見た」


と、そこへ大戦槌を布に包みなおしに行っていたグラファスが戻ってきた。


「結果は完敗だけどな。やっぱり赤竜棍を持ってくるべきだったかもな」


あるいは二の手として両方持ってきても良かったなと思ったが、グラファスは俺の考えを見透かしたようにゆっくりとかぶりを振った。


「いや、あの突きは、何の邪念も持っていなかったからこそ放てたものだろう。全てはタケト、お前が全身全霊をかけてワシに向かってきたか、その一事に尽きるのだ。そしてお前はワシの試しに合格した」


「合格?ドンケスが頼んだ時点で俺の工具を作ってくれるんじゃなかったのか?」


「たわけ、そんなわけがあるか。このワシが手ずから作るのだぞ、武器ではないとはいえ使い手のことも知らずに作れるか。他の奴らのように一々畏まらんところがタケトの良いところだが、少しはワシの作品を持てることがどういうことかを知る努力もしろ!」


そんな感じで怒鳴るグラファスだったが、その機嫌は決して悪くなさそうなことはその愉快そうに持ち上がった口角が証明していた。


「この試しはな、ワシ自らが立ち会うことでその者の身体的情報を肌身で知るのが一つ、もう一つはワシのプレッシャーに打ち勝っておのれをさらけ出す覚悟があるかを見るためだ。もちろん勝敗は二の次だ」


「ちなみに、この試しに合格しなかったらどうなっていたんだ?」


「依頼を断るか、適当に打ったものを渡す」


「適当って……」


「まあ、これまで一度もクレームは来ておらんから、その程度で満足する輩ばかりだったということだな」


だが、が評価されて、大陸中からマスタースミスの称号で呼ばれているのが、目の前のハイドワーフなんだよな。


「まあ、そういうわけで不足している材料がそろい次第、工具の制作を始める。で、その間タケトにやってもらうことは――」


「やってもらうことは?」


とりあえず、グラファスがすごい鍛冶師だという事実を自覚し始めたのでどんな無理難題だろうとやってのけて見せる、そんな覚悟で次の言葉を待った。


「無い」


背中にラキアを引っ付かせたままズッコケた。

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