第99話 ゲルガンダールに着いた
「見ろタケト。あれがドワーフ族最大の都市であり、偉大なゲルガスト王の故郷、ゲルガンダールだ」
二人のエルフとの話し合いからきっちり一週間後、そのうちの一人であるジルジュに言われるまでもなく、俺はドンケスの故郷の威容に目を奪われていた。
その感想を一言で言うなら、ティリンガ族の里と同じく「圧巻」とするべきだろう。
ただし、超自然というべき巨大な樹と融和していたティリンガの里とはまるで正反対、ゲルガンダールはまさに人工物の極みというべき都市だった。
その要因は主に二つ。
「すごいなご主人様!川の流れだけで巨大な谷が出来てるぞ!これが大樹界の自然の力か!?」
「うんうん、確かにすごいな。石を積んで完全に補強された運河が自然の賜物と思っているお前の脳みそがな」
「ハハハハハ!褒めても何も出ないぞ!」
「褒めてねえよ!!」
「あ、そういえばこの間獲った魚で作った干物があるぞ。食べるか?」
「いただきます!教えてやるのはこれで最後だからな!絶対覚えろよ!」
「わかったのだ!」
塩を振って干しただけのはずなのに、グノワルドで食べたものより格段に旨味を感じる干物を食べながら、俺は通算三度目のゲルガンダールの説明をラキアにすることにした。
別に干物につられて教えてやるわけじゃないんだからな!
「いいかラキア、このゲルガンダールには二つの特徴がある。元々このゲルガンダールは家もなければ鉱山もない、このデカい川しかないただの更地だったんだよ。だが、この地下に良質な鉱石がたくさん眠っていることに気づいた大昔の一人のドワーフが、ここに住み着いてひたすら掘り始めたんだ」
「なんと!たった一人でか!?」
「そう、たった一人でだ。だが類は友を呼ぶという言葉もあるように、いつしか最初のドワーフの行動を知った他のドワーフも続々と集まりだしてな、次第にこの場所がドワーフの里と呼ばれて商人がドワーフの作ったものを買いに来るようになった。多分川があるおかげで、大樹界の中では比較的来やすかったのもあったんだろうな」
「じゃあ、もしかしてこの谷は全部ドワーフが掘ったのか!?」
「正解。俺たちがいま目にしているすり鉢状の谷は、気の遠くなるような時間をかけて、何世代ものドワーフが鉱脈を探すついでに掘ったものだ。見てみろ、側面に無数に穴が開いてるのが見えるだろ。あれ全部が坑道だ」
俺が指差した先、ゲルガンダールの斜面は、遠目からもそれとわかるほどに無数の黒く小さな穴で覆われていた。
「あの中で今も鉱石が掘られているのはほんの一部、その他の半分が暗いところを好むドワーフの住処、残りの半分は廃坑になっていて放置されているらしい」
「なんと!それではいつの間にかに魔物が住み着いていても気づけないではないか!?」
「一応封鎖はしているらしいから滅多なことじゃ外にまで出てこないらしいがな。でも、ここでしか出現しない貴重な素材を持った魔物もいたりして亜人の冒険者が集まってくるらしいから、むしろ積極的に放置しているそうだ」
「なんと!それは狩人として一度行ってみたいな!」
「おいラキア、今回のお前の目的はなんだ?」
「もちろんご主人様のお供だ!」
「だったらやるべきことは分かっているよな」
「うん、四六時中ご主人様の元から離れないのだ!」
「わかっていればそれで――だからむやみやたらに引っ付くな!!」
隙あらば抱き着いてくるのは困りものだがさすがはラキア、変に知識がないだけあって直感力は大したものだ。
惜しむらくは、というかその長所を台無しにするほどの「覚えない」という欠点がある以上、せっかくの才能もほぼ役に立っていないのだが。
体のいろんなところを俺の腕に密着させるラキアを何とか引き剥がそうとしていると、
「うん?でも変なのだ、ご主人様。あの谷が全部ドワーフの手で掘られたというのなら、いま私たちがいるこの川はどうしたのだ?掘っている最中に水浸しになるのではないか?」
と言ってきた俺の従者。
……地頭が悪いわけじゃないんだよな。興味のないことは一切記憶しないだけで。
「そこでもう一つの特徴だ。ていうか、答えはさっき言っちゃってるんだけどな。なんだか覚えてるか?」
「うーん、うーん……うんがあああ!!思い出せない!もうここまで出てきてるのに!」
「なんで自分で大声で答え言っておいて思い出せねえんだよ……」
正解は運河。
ジルジュに聞いた今でも半信半疑なのだが、どうやらドワ-フ族は最初に石積みを組んで川の水が坑道に流入しないように完璧に補強してから採掘を始めたらしい。
だが、土を掘り進めていけば次第に地面は低くなり、運河だけが取り残されていってしまう。
その問題に対して、なんとドワーフ族は律義に地面を掘るのと同時並行で運河の高低差をなくす工事も行い、ついには計十の水門を備えた緩いU字型を描くような超大規模な運河を作り上げてしまったらしい。
どれだけの労力と手間がかかったのかは想像すらできないが、ティリンガ族の大型船が二つ並んでも余裕で通行できる幅を見ると、ドワーフ族のものづくりにかける執念を見せつけられた思いだ。
「はーー、なるほどな」
やはり覚える気のないらしいラキアの生返事を聞きながら、改めて眼下に広がるゲルガンダールを見てみる。
「……これを捨てなきゃならなかった王様の気持ちってのはどんなんだったんだろうな」
「ん?何か言ったかご主人様?」
「何でもない。それよりそろそろ関所に着くころだろ。自分の荷物を纏めとけよ、ラキア」
「わかった!」
ちょっと鬱な思考に陥りかけたところをラキアの軽快な声に救われながら、俺はゲルガンダールに入るための関門を見て気を引き締めるのだった。
ゲルガンダールには運河に直列する形で合計十の水門があり、それぞれに監視塔があってドーワフの兵士が常駐しているそうだが、とりわけ一番両端にある二つの水門は、ゲルガンダールの出入りを監督する関所として重要な役目を果たしているそうだ。
当然、そこに出入りする者へのチェックは厳しいうえにそれなりに時間がかかるため、俺達が関所に辿り着いてから実際にチェックを受けるためには、俺達と同じ目的で待っている船の列に並ばなければならなかった。
ちなみに、ゲルガンダールを通り過ぎるだけの船はチェックが簡略化された別の列に並ぶらしい。
「次!水門の前まで進んで停止を願う!」
ドワーフにしては若そうな声が響いた後、ティリンガ族の大型船と俺達の竹船がゆっくりと前に進みだして決められた場所で停止した。もちろんこれもティリンガ族の風魔法の仕業だ。
そこへ、ドンケスと同じくがっちりとした体格に短い手足の隊長らしきドワーフが数人のドワーフ兵を従えて、水門の壁の上から大型船の方に乗り込んでいくのが見えた。
おそらくこれから臨検が始まるのだろう。
「ティリンガ族の女王、ライネルリス様の御座船ですな。話は通っております。しかし二隻とは聞いておりませんが――」
「急遽人員を増やすことになったのだ。既定の人数を越えてはいないから問題ないはずだ」
「……確かに人数は問題ないようですな」
そのドワーフの隊長の声が示す通り、あらかじめ甲板へと出ていたティリンガ族のエルフたちが一列に整列していた。
その奥にはライネさんと妹のリーネもいるようだ。
「では後ろの船の方も――って、な、なんだそれは!?」
ティリンガ族の大型船に問題がないと判断した隊長が俺達が乗る竹船の方に目をやり、次の瞬間には叫んでいた。
彼の視界に入ったのは、人族の俺、ラキア、大型船から戻ってきた(エルフたちと一緒に並ぶのは嫌だったのだろう)ダークエルフのリリーシャ、エルフのジルジュ、そして認識阻害スキル付きの深編笠を被った正体不明の何者か、だった。
――まあ、単純な引き算で誰なのかは言うまでもないんだが。
「おいお前!その妙な被り物を取れ!この関所では素顔を晒すことが決まりだ!」
「……」
深編笠を被るドンケスは答えない。
――素顔を晒すより可能性は低いが、声だけでも正体が露見する危険はあるからな。
そして同じ船に乗る俺達も、一切助け舟を出さない。
もちろんドンケスとは理由が違う。
「返事くらいしろ!従わないというなら強制的に連行するぞ!」
「あら、ゲルガンダールの隊長さんはずいぶんと乱暴なのね」
竹船に駆け寄って今にもとびかかってきそうなドワーフ兵たちを制したのは、すでに通行の許可が出た大型船から顔を覗かせたライネさんの声だった。
「その者たちは今回臨時で雇った私の護衛です。身元は保証するから通していただけないかしら?」
「そ、それはいくら何でも……もちろんティリンガ族所属の船ということなら、この船を通すことに問題はありませんが――」
「あら、話が早くて嬉しいわ」
ライネさんにそう言ってちらりとこちらを見る隊長。
ライネさんへの言葉はともかく、大樹界の住人には見えない俺とラキアに対して疑いが残るのは当然だな。
それでも俺達のことを不問にしようとしているのは、エルフの女王への配慮が半分、もう半分は俺達どころではない素顔を晒さない不審者への警戒がはるかに勝っているからだろう。
「ですがその被り物をした者は別です!現在ゲルガンダールは特別警戒を敷いて不審者の発見と排除に全力を注いでいる最中です!いかにエルフの女王の要請であろうと規則は規則です!」
「彼、顔に名誉に関わるような傷を負っていて、人前ではどうしても出したくないらしいのよ」
「駄目なものは駄目です!私にはゲルガンダールの治安を守る義務がありますので!」
あのライネさんに対して一歩も引かない隊長の姿勢に、俺は内心で感心した。
おそらく元の世界で言うところのサミット会場の警備責任者の一人といえる役職なのだろうから、ゲルガンダールでもそれなりの身分なのだろう。
……もしくは、ただ単にライネさんの恐ろしさを知らないだけかもしれないが。
後者ではないことを切に祈りたい。
「あらそう、じゃあいいわ」
「わかっていただけるのなら――」
「私、帰るから」
「………………は?」
どうやら後者、世間知らずのバカだったらしい。
「聞こえなかったかしら?このままティリンガの里へ帰ると言ったのよ」
「お、お待ちください!たかが護衛の一人の処遇ごときで――!」
「あら、あなたはそういうつもりだったの?でも私からしたら、私の信用、ひいてはエルフ族全体の信用が、そこの護衛一人の素顔を知ることよりも軽いと言われたと思ったのだけれど?」
「そ、そんなまさか――」
「隊長さん?あなたは私が私的に雇った護衛を疑った。つまり大樹界会議という極めて重要な場の護衛をこの者たちに任せた私の目を疑ったのよ?エルフの女王たる私がそこまで疑われたら、大樹界会議なんてやる前から破綻していると思わない?だから私はこのまま帰ろうと思うの」
………………えげつない。
先ほどまでの強気な態度が一変、いまや水分の抜けきった梅干しみたいな真っ赤な顔で震えているドワーフの隊長。
だが、俺が呆れ半分の視線を送っていたのは、ガクガクと震え出した隊長を氷の眼差しで眺め続けているライネさんの方だ。
そもそもの問題は、ドワーフの隊長とライネさんのどっちに正当性があるかという話のはずなのだが、答えは言うまでもない、不審者を取り調べようとしている隊長の方だ。
ライネさんがやっているのは、大樹界会議の主役という立場を悪用したただの恫喝だ。
だがその尻馬にがっつり乗っかってしまっている以上、俺も人のことは言えない。
すまない初対面のドワーフの隊長さん、今の俺にはアンタを助けることはできないんだ。
「グッ、……わかりました。今回は特別にライネルリス様の顔に免じてお通ししましょう」
「あら、わかっていただけて嬉しいわ」
「ですが!!この件は上に報告させていただく。おそらく正式な抗議の使者が明日にもそちらへ向かうことになるでしょう」
「あら、そちらも大変お忙しいでしょうに、ご苦労様」
「……それからもう一つ」
明らかにおちょくっているライネさんに対して、無視を決め込んだらしい隊長。
これ以上無理難題を吹っ掛けられてもかなわないと思ったんだろう。賢明な判断だ。
さっきは心の中とはいえバカ呼ばわりして申し訳ないと思う。
「そちらの護衛の方々が万が一問題を起こした時、その責任と賠償は全てティリンガ族に負っていただきます。よろしいですな!」
「ええ、構わないわよ。まあもっとも、請求出来れば、ね」
「そ!……検査は終わりだ!水門開け!」
多分「それはどういう意味だ?」とでも言いたかったんだろうが、これ以上のトラブルは避けたいという思いが怒り混じりの好奇心を上回ったんだろう、ドワーフの隊長は今までで一番の声量で俺達のゲルガンダール入りを許可した。
「さてと、ではここで一旦別れましょうか」
それからさらに四つの水門を抜けて俺達がたどり着いたのは、ゲルガンダールの中心にある巨大な港だった。
等間隔に並んでいる大小さまざまな船の列の隙間に二隻並んで停泊し、それぞれの船から同時に桟橋に降り立った時にライネさんの方から今後の行動を切り出してきた。
「え?さっき釘を刺されたばっかりなのにいいんですか?」
これまでライネさんの相手をしていたのはもっぱらドンケスだったが、ここは彼の故郷、どこで声を聞かれるか分からない以上、俺が話すしかない。
「でも、タケトさんたちには他に目的があるんでしょう?どうしてわざわざゲルガンダールなのかは知らないけれど、大樹界会議が終わるころに合流すればいいんじゃない?」
「でもさすがに完全に別行動っていうのはまずくないですか?」
確かに俺達が大樹界会議についていくわけでもない。とはいえ、ここまでしてくれたライネさんに迷惑をかけるのも気が引ける。
「そうねえ――じゃあ、こうしましょう。ジルジュ、あなたがこっちに残って護衛を務めて頂戴。初めに言っておくけど、名ばかりの護衛じゃなくて、大樹界会議の間中も私に張り付いてもらうわよ」
「え!?私ですか!?」
「反対!!」
いきなり話題の主役に躍り出て困惑しているジルジュ。
その声にかぶせるように叫んだのはリーネだ。
「何でジルジュが良くて私がダメなのよ!私は次期ティリンガ族長よ!大樹界会議を見ておく義務があるわ!」
「あら、私はそんなこと一言も言った覚えはないけど?」
「……え?」
「それに次期族長の資格というなら、そこのジルジュにも十分あるわよ。何といっても私の従妹なのだから」
「そ、そんなの聞いてない!?」
……なんでか分からんが、いきなり姉妹喧嘩が始まってしまった。
もっとも、ライネさんの発言にリーネが一歩的にダメージを受けている状況が喧嘩と呼べるのかは怪しいが。
「ちょうどいいわ、リーネ、あなたゲルガンダールいる間はタケトさんたちに同行しなさい。私の帰りをずっと待ってるよりもよほど有意義だわ」
「ね、姉さま――」
「黙りなさいリーネ、これはティリンガ族族長としての命令です」
「うう……わ、わかりました」
「じゃあタケトさん、リーネのことはお願いしますね。これでも魔法の才能は大したものだから、足手まといにはならないと思うわ。何かあったら使いを送るわね。じゃあジルジュ、エスコートお願いね」
まさに疾風怒濤。
一切俺にターンを渡さないまま、言いたいことだけを言ったライネさんはさっさと配下のエルフを引き連れて桟橋から姿を消してしまった。
……え?ナニコレ?
「何よ!!こっち見ないでよ!」
とりあえずリーネの方を見てみるが、取りつく島もなく噛みつかれた。
「……まったく、ライネルリスめ、ワシが大声を出せんからといって好き放題していきおったな」
どうしたものかと途方に暮れる寸前でそんな小声が聞こえてきたのは、俺の背後、深編笠越しのハイドワーフからだった。
「ついてこい。こんなところに突っ立っていてはまた面倒なことになりかねん」
「わ、わかった。行くぞラキア、リリーシャ!!リ、リーネさんもいいな?」
「……姉さまと同じでリーネでいいわよ」
俺と違って速やかに脱出して距離を取っていた二人に声をかけ、ちょっとおっかなびっくりぎみにリーネにも話しかけると、俺はドンケスの後を追い始めた。
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