第79話 影と対峙した


 シルフィさんの兄、セシルが来て一月が経った。


 繰り返すが、一日ではない。

 一月、つまり三十日が経ったのだ。(どうやら暦は元の世界とほぼ一緒らしい)


「で、結局その教国から来た兄妹はどうなのだ、主殿?」


「どうもこうもない、完全に村に居ついちまったよ、黒曜」


 自宅兼工房で、茶を啜るすするパンダとそんな話をしながら竹笊を編む俺。


 もちろん、無策のまま何もしなかったというわけではない。

 コルリ村の主だったメンバーによる会議の結果、教国のスパイである可能性も含めた疑いが残っていることを承知の上で、あえて二人をそのまま村に置いておくことにしたのだ。

 本人たちの了承の上の監視付きで。


 こういう成り行きになったのには理由がある。


「私はどんなに疑われてもいいんです。必要なら、逃げられないように鎖で繋いでいただいても構いません。ですが、せめて孤児院の運営が軌道に乗るまでは、このまま村にいさせてはいただけないでしょうか?」


 あの後、集会所で目にうっすらと涙を浮かべながらそう訴えてきたシルフィさん。

 これまでの彼女の獣人の子供たちに対する献身的な働きも含めて、その真剣なまなざしを疑う者は誰一人としていなかった。


 ……いや、さすがに「一人も」は言い過ぎた。

 なぜなら、損得勘定を至高とするやり手の商人が、その場にはいたからだ。


「ウチもかまへんで。ただし、このコルリ村で見聞きしたことは一切口外しない、という魔法契約を結んだらの話やけどな。そこの脳筋の兄貴も含めてな」


「なんだと貴様!?よりによってシルフィーリアを疑うなど――っ!?」


「――セシル殿、どうかそのままで。抜けば最後、貴方様相手にお嬢を守るためには手加減はできませんので」


 セリカの言い様に激高したセシルが椅子から立ち上がったが、静かに威圧するシルバさんの殺気を感じてその場に留まった。


「兄上、いいのです。セリカ=ルキノ様は、商人として最大限の譲歩をしてくださったのですから。私はそれに応えるだけです」


「ルキノ?……あのルキノ商会か!?だとすると、お前が断空の騎士か!?」


「その名はすでに捨てました。今の私はただのお嬢の部下です」


 驚くセシルの口から聞いたことのないシルバさんの異名が飛び出し、本人も遠回しにそれを認めた。


 ……「断空」、ねえ。まあ普通に考えて、「四空の騎士」と関わりが無いわけないよな。

 グノワルド王国の武の象徴、四空の騎士であるアーヴィンが今でも頭が上がらないようだから只者ではないとは思っていたが、ある意味で思った通りの経歴だったな――


「むう、……シルフィーリアがそれでいいと言うなら、俺も同意する」


 さすがはシスコン兄貴、すでに覚悟を決めていたらしいシルフィさんの言葉を聞いて、あっさりと折れた。

 まあ、俺としては魔法契約なんかしなくてもよかったんだがな。

 もしセシルが暴れ出して無用な争いになるようなら、代官権限でセリカに撤回させていたところだ。


 とにもかくにも、その日のうちにセリカが用意した魔法契約書で契約を済ませ、新たに一人の仮の住人を加えたコルリ村の生活がスタートした。

 シルフィさんは引き続き、獣人の子供たちが暮らす、孤児院の新米院長として悪戦苦闘する日々を過ごしていた。


 突然だが、この孤児院の目的は獣人の子供たちを養うためだけに作られたわけではない。

 セリカが陣頭指揮を執る、タケダ騎士爵領開発計画にも密接に関わっていた。


 この先コルリ村は、現在シューデルガンドにいる二千人の難民を受け入れるための拠点として活用されることになる。

 全ての難民は、まずコルリ村に入って移住の準備を整えた後、セリカが選定したまだ何もない土地に移って一から村づくりをしていくことになる。


 そこで一つ問題になってくるのは、移住先の環境に耐えられない人間、つまり老人と子供の存在だ。

 だが、新たに村を形成する際に通常老人を見捨てるケースは意外と少ない。

 一般的に老人は、長い年月を生きた分知識が豊富で、重大事を決める際に何かと意見を求められやすい。

 それに、一口に老人と言ってもよほどの障害を負っていない限り、長年の生活と経験で農作業に適しており、それなりに村の労働力になるのだ。

 そんな老人を切り捨てるようなことがあるとすれば、すでに村の生活が立ち行かなくなった時しかないだろう。


 つまり、これからゼロから村づくりをしていかないといけないとなった時に真っ先に切り捨てられる存在、それが子供だ。

 シルフィさんの孤児院はそんな子供たちを一時的に受け入れ、大人たちが迎えに来るか独り立ちできる年齢になるまで育てる役目も負っているのだ。

 そんな、タケダ騎士爵領開発計画の中でも重要な役割を担う孤児院の立ち上げ。その中心的役割を果たしているシルフィさんを今更村から追放なんて真似は、計画のスケジュール的にも不可能だ。


「何より、神樹教の司祭っていう立派な肩書がありながら獣人の子供たちのために献身的に働くシルフィさんは、老若男女問わず村中から人気でな、追放なんて一言でも発しようものなら、むしろ俺とセリカの方が追い出されそうな雰囲気なんだよ」


「ふむ、まあ、我にはどうでもいい話だな」


「……おい、ならなぜ話を振った?」


「我が関心があるのは一つだからだ。主殿よ、あの娘は手放さん方がいいぞ」


「手放す?お前、俺の話を聞いてたか?アホ兄貴の方はともかく、シルフィさんを追放なんて考えもしないって話を今したばかりだと思うんだが?」


「今は我の言葉を覚えておけばそれでよい」


 ……なんだ?いつも勿体ぶった言い方をする黒曜だが、今のはとびっきりだな。

 と言っても、これ以上ヒントをくれる様子はないし……今はスルーするしかないか。


「で、セシル、シルフィさんの兄貴の方はな――」


「そっちはどうでもよい」


「聞けよ!!」


 むしろ扱いに困るのはセシルの方だ。


 俗世に関わらない神樹教の司祭であるシルフィさんとは違って、同じ信者でもマリス教国を守護する神殿騎士という肩書を持つセシル。それだけに、あいつのスパイ容疑は未だ晴れていないし、そもそもどんな成り行きになったとしてもその容疑だけは今後も晴れることはないだろう。


「だが、どうにもそんな腹芸ができる性格に見えないんだよな……」


「清廉潔白な人物ということか?」


「重度のシスコン野郎のことを清廉潔白と呼ぶならそうだろうな。そうじゃなくて、単純に何も考えていない、良くも悪くも能天気な奴なんじゃないかってことさ」


「ああ、バカか」


「人外のお前に言うことじゃないかもしれんが、もう少し言葉を慎めよ……」


 まあ、その通りなんだけどな。


 とりあえず、シルフィさんと共に監視付きの釈放という形で収まったセシルだが、相当な実力者ということで妹の数倍の見張りが常につくことになり、その生活にも厳しい制限が付いた。


「ところがだ、そんな態勢も一週間ほどであっけなく終わってな」


「なんだ、スパイの証拠でも出てきて処刑でもしたのか?」


「……お前、結構思考が物騒なところあるよな。そうじゃなくて真逆、無罪放免だ」


 自分の部下、影警護の人員を割いてまで監視を兼ねて行われた行動調査の数日分の結果を見たセリカが、ある日俺に言ってきた。


「ヤメや。これ以上監視しても時間と人の無駄や。……たまにおるんや、ああいう何の作為も持たんアホとしか言いようのない人種が」


 それだけ言ったセリカは、俺にそのことを告げた翌日、本当に全ての監視を解いてしまった。


「まあ、村に来てからのセシルの行動は、実際初日以外は疑いの余地すらないんだけどな」


 妹の頑張りに触発されたのか、翌日からセシルは何か手伝うことはないかと村中に聞いて回ってはいろいろな仕事をこなしてきた。

 と言ってもやはり頭脳労働は苦手らしく、もっぱら未だ増設を続けている家の建築作業や村の周辺の警戒を兼ねた狩りなどに精を出していた。

 特に最近ではラキアと一緒に狩りに出かけることが多いようで、どうも意気投合してしまったらしく、ラキアが俺のそばにいることが少なくなっている。


 ――ぶっちゃけ子供に人気のところとか、アホ属性とか、シルフィさんじゃなくてラキアとセシルが兄妹だと言われた方が納得するくらい性格が似てるんだよな。


「肉体的にきつい仕事を率先してやってくれるおかげで、方々で大人気でな。しかも騎士という肩書に憧れたガキンチョに剣の手ほどきなんかしたりして、まさに男の子の憧れの存在って感じで見られてるよ」


 シルフィさんほどではないが、セシルもまた確実に村人からの信頼を得つつある。

 これも高貴な血筋の力ってやつなのかね?


「ZZZzzz・・・・・・」


「寝るな!!」


 バシッ!


「ん、退屈な話は終わったか?」


「お前も一応はコルリ村の住人だろうが!?少しは興味を持てよ!」


 目の前で堂々と居眠りをしていた黒曜に完成した竹笊で頭をはたきながら説教する俺。


「まったく、我の頭に一撃を入れるとは。これが白いのだったら今頃辺りは火の海だぞ?そうでなくとも、以前我が居たところのあ奴らが見ていたら、八つ裂きの刑では済まなかったであろうな」


「そんなヤバい狂信者に傅かれてかしずかれていたのかよ……仕える方も大変だろうが、神輿にされる方も気疲れするだろうな」


「いや?わずらわしくなれば全員ぺちゃんこにしていたからな。そうしたらまた別の奴らが貢物を持ってきたから問題はなかった」


「ぺちゃんこ、て……」


 そうだった、ストレスを溜めっぱなしのどこかの中間管理職(コルリ村代官代行とか)と違って、目の前のパンダは、面倒になれば文字通りすべてをぶち壊せばそれで済むんだったな……


「それでだな主殿、こんな話を振ったので思い出したのだが」


「なんだ?狂信者の話がどうやったら別の話題につながるんだよ?」


「なに、そろそろ我の周りを飛び続けている虫共を叩き潰したいと思ってな」


「……………………俺としては、村のみんなに危害が及ばなければどうでもいいさ。だが、正体くらいはそろそろ掴んでおきたいなと思ってたところだ」


「それなら心配はない。タイミング良く虫共が近くに寄ってきたので、この周辺に重力結界を張っておいた。あとはまとめて始末するだけだ。村の連中には不審を持たれるくらいはあるだろうが、どんな連絡手段も重力結界が反射するので中で何が起こっているか知る術はないし、手早く終わらせれば問題として認識されることすらないだろう」


「……お膳立ては完璧というわけか、なら、行くとするか」


 俺は手に持っていた竹笊を部屋の隅に置くと、素早く戦支度を済ませて外へ出たのだった。






 時刻はすでに深夜。


 黒曜からの誘いに乗って、あらかじめ今日はこっちに泊まるとマーシュに断っておいた俺は、月が雲に隠れたせいですっかり薄暗くなっている自宅前の広場の中央に、黒曜とともに陣取った。


 さて、実はシューデルガンドから帰ってきて以降、自宅兼工房の裏手の山の周辺に何者かが住み着いている状況を、俺はなんとなく察していた。


 もちろん、その事実を知っているのは俺だけではない。

 少なくともラキア、ニールセン、シルバさん辺りは、同様に招かれざる客の存在を感じていたのは、まず間違いないだろう。

 だが、俺が一切動かないことを知った彼らは、何度かそれとなく俺に言ってくるだけで、実際に動くことはなかったようだった。

 どうやら俺の意志を汲んでくれたらしい。


 なら、なぜ俺はそいつらの排除どころか接触すらしなかったのか?

 答えは簡単、奴らもまた、コルリ村に危害を加える素振りを一切見せなかったからだ。

 ……いや、その言い方も正確じゃないな、なにせ、俺ですら時々気配を掴むのがやっとなほど、奴らは徹底した潜伏に専念していた。


「……多分何かの事情があって、ここで普通に生活していたんだろうな。たまに山を見回ってみるとちらほら痕跡があったから間違いない」


「獣が一時的に住み着く程度なら、我も見逃す。だが、我に何の挨拶もなしにいつまでも庭を動き回られるとさすがに目障りだ。我は寛容ではあるが、放埓ほうらつは許さぬ」


「いや、お前の庭じゃねえし――そろそろ出てきたらどうだ!」


 結界さえなければコルリ村にまで聞こえただろう大音量で俺が叫ぶと、闇夜に乗じていくつもの人影が音もなく近づいてきた。


「……ようやく姿を見せたな。さて、目的を聞こうか」


 手にした竹槍で影の一つを差したその時、偶然雲の隙間から月光が差し込み、一つの影の姿を照らし出した。


 月明りに照らし出されたのは、布地の少ない服から覗く黒い素肌に白銀の長髪、そして整った顔立ちとしなやかな肢体は、それだけで美しい女性と判別できた。

 そして、人族には存在し得ない長く鋭い輪郭の耳が、彼女が亜人であることを物語っていた。


「お前に恨みはない。だが、この姿を見られたからには死んでもらう」


 彼女――俺の知識ではダークエルフと呼ばれる目の前の美女はそう宣言すると、腰の細身の片刃剣を抜いて襲い掛かってきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る