第80話 ダークエルフの事情を聴いた


 どういうわけか、自宅兼工房の裏手の山に潜んでいたダークエルフの集団から問答無用で斬りかかられた俺。

 その迫りくる片刃の剣はなかなかの鋭さを持っていたが、一月前に同じように俺を襲ってきたセシルほどではない。


 そんな状況の中だが、しかし俺は一切動くことをしなかった。

 別に寸前でも攻撃を見切れるとか、すでに迎撃の態勢が整っていたとかではなく、文字通り指一本動かさなかった。

 当然、そのまま彼女の刃が俺の体に到達すればケガでは済まない。

 だが、この場には侵入者の突然の凶行に俺より怒り、俺より殺気を放っているパンダがいた。


「――下郎、そこに直れ」


 ――ッグォオオ!!


「ギャンッ!?」


 その瞬間、肉と地面がぶつかり合う音と女の悲鳴が闇夜に連続して響き渡り、最後に俺の胸に片刃の剣を突き立てる寸前だったダークエルフの女が強制的に地に伏せさせられた。


「愚か者が。ここが主殿の庭でなかったら、その体を骨ごと粉砕してやるところだ」


 そして俺の隣には未だ怒りが収まらないといった感じの、右前足を振り下ろしたばかりの黒曜がいた。


 ほらな、やっぱり俺の出番なんてなかった。

 多分俺が手を出していたら、邪魔とばかりに彼女たちと同じように地面とキスする羽目になっていただろうな。


「いや主殿よ、さすがの我も、主殿を狼藉者と同じ境遇に置くようなことはせぬぞ?せいぜいその場から一歩も動けなくする程度だ」


「……いい加減、もうちょっとソフトな止め方を考案してほしいところだな。あれ結構きついんだぜ?――とまあ冗談はこのくらいにして、こいつら人族、じゃないよな?亜人か?それとも――」


 そう言いながら、改めて地面に倒れている奴らを見てみる。

 髪の色は黒や銀や灰色などバリエーションがあるが、黒い肌に鋭くとがった長耳が共通している。

 まだ断定はできないが、これは多分俺の世界で言うところの――


「亜人との違いは微妙なところだが、ダークエルフは魔族として世を渡っている者共だ」


 あ、呼び方はダークエルフで合っているのか。

 ただの偶然の一致――というよりは、この世界に召喚されたときにグノワルドの女王、姫様から聞かされた脳内認識のアジャスト機能が原因だろうな……


 もっとも、全く別の意味の呼び方だったとしても、俺の脳内ではダークエルフという呼び方で固定されてしまっているから検証のしようもないがな。

 思えばドンケスにしたって、ドワーフという呼び名で通った例を考えれば当然の成り行きだが。


 まあ、余談はこれくらいにするとして、だ。


「魔族……ってことは、俺の命を狙ってここまで来たってことか?」


「――はあ?なぜ我らが、お前などのどこの馬の骨ともわからぬ奴の命を狙わなければならないのだ――ウッ!?」


「下郎、さえずるな」


 牙をむき出しにして、悪態をついたダークエルフにさらに重圧を追加して威嚇する黒曜の背を撫でてなだめる俺は、予想が外れたな、と少し考えこんだ。


 てっきり、この前の大樹界争奪戦争の意趣返しに、魔族軍が送り込んできた刺客かと思ったんだが。

 ……いや、自分で言うのもなんだが、深編笠の認識阻害スキルは完璧だったし、あの時対峙した銀鋼騎士団の様子から言っても間違いない。

 しかも、あれからかなりの回り道をしてるから、追手がかかっていたとしてもコルリ村まで突き止めるのはほぼ不可能なはずだし、万が一居場所を突き止められていたとしても、このタイミングで、しかもこの中途半端な戦力で襲撃してくるのはもっとあり得ない。


「我らの目的。それは、お前の隣にいるお方が本当に我らが知るお方なのか見極めることだ!」


 地面に伏せた状態でなお吠える、俺を殺そうとしたダークエルフ。


「あの御方って誰だよ?」


 と聞こうとしたその時、黒曜が思わぬセリフを言ってきた。


「……主殿、やはりこれは我の因縁に主殿を巻き込んでしまった、ということらしい」


「黒曜の、因縁?」


 ということはつまり――


「やはり、やはり黒曜様なのですか!?我らクキ氏族の長代行おさだいこう、ガラン様より命を受けて、あなた様の行方を捜しておりました!まさかそのような変わり果てたお姿になっていようとは――おのれそこの人族め!よくも我らが黒曜様をそのような目に――」


「控えろと言っておろうが、下郎が」


「グッ!?……も、申し訳ありません」


 苛立ち交じりの黒曜の言葉と重力魔法と共に、再びダークエルフの女性の顔が強制的に地面に叩きつけられた。


「で、どうする主殿よ。一言もらえれば、どこか迷惑のかからぬところで始末してくるが」


「ぐっ、我ら全員、黒曜様の手にかかって死ねるなら本望!」


 俺は、覚悟を決めた様子のダークエルフの顔を一人ひとり見て回る。

 一見、人生に見切りをつけたようなリーダーらしき女性の言葉だったが、刺客たちの内の何人かに、この世への未練が残っている感情が、その眼の奥に確かに見えた。


「……なあ黒曜」


「なんだ主殿」


「こいつらがここに現れるまでの挙動、完璧なものだったよな?」


「うむ、今日に至るまでこの我を以てしても、全ての気配を掴み切れなかった。このような狼藉を働かなければ、賛辞の一つでも送っているところだ」


「だよな。だけど、俺はどうにも、これまでに何回か見つけたこいつらの痕跡と、今目の前にいるこいつらとの間に、どうにも拭い切れないギャップを感じるんだよな」


「というと?」


「痕跡って言ってもな、それ自体は普通の人間じゃ見つけられないほどきれいに始末されていた。そのことは別に不思議じゃない、こいつらならそれくらい普通にやってのけるだろうさ。だが、ここにいるのはせいぜい二十人前後、あの痕跡から推察できる人数は、この倍はいるはずなんだよな」


「違う!!ここにいる我らだけで全員だ!!ほかに仲間などいない!!」


 身動き一つできない状況でも、ダークエルフのリーダーの女は瞳を爛々に輝かせてこっちを睨んでくる。

 だが、ここで見せたその意志の強さこそが、他に仲間がいる何よりの証と俺の目には映った。


「……いたぞ主殿。ここから山一つ分離れた場所に、二十人ほどの魔族の気配だ。しかしこれは……」


「頼めるか?俺が行ってもいいんだが、今はできるだけ誰にも悟られたくない方が良いだろうからな」


 コルリ村には、俺の動きに感づきそうな実力者が何人もいるからな。

 ここは、重力制御で気配そのものを遮断できる黒曜の方が適任だろう。


「承知した。で、こいつらはどうする?このままにしてもよいが、さすがに我の目の届かぬところで潰さぬように加減をするのは面倒だぞ」


「重力制御を解除していいぞ。どうせお前に人質を取られたようなもんなんだ、これ以上変な真似はしないだろう」


「バカな!黒曜様の意に背くような我らではない!」


「……だ、そうだ」


「ふむ、では少し待っていてくれ。そうだな、出迎えには熱い茶などがあれば良いな」


 そう言った黒曜は、その巨体に似合わない動きで(多分重力制御の賜物なんだろう)俺の前から姿を消した。






 時は進んで、ここは俺の家の中。

 ついこの間ドンケスに設置してもらった囲炉裏に火を起こし、沸かした湯で竹の葉茶を淹れると、右隣の黒曜とその向かいに座るダークエルフのリーダーに差し出した。

 ていうか、このダークエルフ、なぜか正座してるな……


「クロハ一族の頭領、リリーシャだ」


「竹田武人。この場合はグノワルドの騎士爵兼この辺の代官、と言った方が分かりやすいか」


 お互いに名乗ったところでさあ話を聞こう、というつもりだったのだが、なぜかリリーシャと名乗ったダークエルフの美女がクスクス笑い出した。


「ククク、バカも休み休みに言え。どこの世界に貴族が従者も連れずに村の外れに住んでいるというのだ?」


 ……うん、言われてみれば確かに俺がリリーシャの立場でもそう言うと思うな。

 じゃあ何か俺の身分を証明するものはないか、と記憶を辿ったところ、あるアイテムの存在を思い出して、しまってある場所の記憶を引っ張り出してみた。


「確かこの辺に……お、あったあった。これで証明になるかわからんが、どうだ?」


 探し出したものをリリーシャの前に差し出すと、小馬鹿にしたような態度だったリリーシャの様子が急変した。


「バ、バカな!?これはグノワルド貴族にのみ下賜されるという短剣!?そ、そうか偽物だな!しかしこの質感は確かに情報通りの――」


 そう、今俺が持ち出したのは、騎士爵になった時にセリカからもらった、グノワルド貴族の証となる装飾の施された短剣だ。

 果たしてリリーシャに信じてもらえるのか半信半疑だったが、どうやら短剣のことを知っていてくれたようだ。


「だがしかし、グノワルド貴族にとってわが身の証となる大切な短剣が、そこら辺から無造作に出てくるはずがない!!」


 ……まあ、そうなるよな。

 なにせひとしきり眺めた後、うっかりしまい忘れて竹細工の山の中に適当に放り込んでいたから、威厳も何もあったもんじゃない。


「……ま、まあ、俺が貴族かどうかはどうでもいいんだ。リリーシャ、お前にとって大事なのは、俺と黒曜が大家と店子の関係だっていうことの方だろ?」


「そ、そうだ!本来神獣と呼ばれるお方たちは何物にも縛られぬ存在!それをなぜ貴様のようなただの人族がまるで見下すような物言いを――」


 ……何物にも縛られない存在、ね。


「その割には、お前たちは長代行とやらの命令で必死こいて黒曜を追ってきたようだがな。言ってることが矛盾してないか?」


「そ、それは……きっとガラン様には深いお考えが……」


 俺の言葉に何か思うところでもあるのか、リリーシャの鋭い口調が途端に弱り始めた。


「だとしたら、お前のような戦士ならともかく、女子供まで追跡任務に加えるってのはどういうことなんだ?俺には深い考えどころか、何も考えていないようにしか見えんぞ」


 そう、今、家の外の広場には、ダークエルフの集団約五十人ほどが寄り集まって中の様子を窺っていた。

 集団の中には幼子も含まれていて、とても神獣追跡の任務に就いているとは思えないメンツだ。


 ……いや、何も考えていないは言い過ぎか。

 通常、部下を遠方の任務に出す時に家族を同伴させるバカな上司はいない。

 単に足手まといになるという意味もあるが、この場合は任務中に裏切らせないための人質としての価値の方が重要だろう。


 だがリリーシャの上司は最悪ともいえる悪手に打って出た。

 それが意味するところは、俺には一つしか思い浮かばない。


「見捨てられたか」


 どう表現したものか俺が逡巡している間に、隣のパンダが容赦なくその言葉を口にした。

 してしまった。


「う!?………………わかってはいたのだ。黒曜様が去られてからしばらく、クキ氏族は大混乱に陥った。折しも銀鋼将軍となられていた先代の長、キガン様が不慮の死を遂げられたばかり。その上、黒曜様の加護を失ったクキ氏族は存亡の危機に立たされていた。……だが、最悪と思われた事態の先には、さらなる地獄が待っていたのだ」


 ………………ガマンだ、ガマン。


 突然リリーシャの口から身に覚えのあるようなワードが立て続けに飛び出して、質問攻めにしたい気持ちで俺の頭が一杯になっているが、今質問を始めると絶対に収拾がつかなくなる。

 今は彼女の身の上を聞くのだ先だ!


「黒曜様が去られてからしばらくして、クキ氏族は新たな神獣様を迎えたのだ。初めはこれで元通りだと誰もが喜んだし、新たな神獣様の到来を祝って連日宴が開かれたほどだ。……だが宴の後、その神獣――白焔様がなされたのは、実り豊かなクキ氏族の土地の龍脈から魔力を奪うことだけ。龍脈から吸い上げた魔力の一部を土地に還元して我らに力を与えてくださった黒曜様とは、真逆の行いだった」


「……元々大食漢な上に、永き眠りでよほど腹を空かせていたのであろう。加えてあの場所は複数の龍脈の通り道だからな、白いのが腹を満たすにはうってつけの場所であろうな」


「……だから、お前はもう少し言葉を慎めよ」


 当時のことを思い出したのか、憔悴しきった顔で話すリリーシャに、さらに追い打ちをかける黒曜。

 これでいて、人の気持ちが全く分からない奴でもないから、よほどさっきの襲撃が腹に据えかねているんだろう。


「そして紆余曲折あった末に、我らの元に長代行のガラン様から黒曜様追跡の任が下された。何としても黒曜様の足取りを掴み、クキ氏族の元へ帰ってきていただくように説得しろというものだった」


「……お前それ、言っちゃあ悪いが完全に一族ごと切り捨てられているだろ」


 理由は明白、どれだけの所帯かは分からないが、クキ氏族がリリーシャ達クロハ一族を抱えておく余裕がなくなったのだろう。

 でなければ、黒曜に帰還をお願いするなんて、無関係の俺から見ても無謀としか言いようのない任務を下すはずがない。

 多分、そのガランとかいう長代行は、リリーシャ達が任務を全うして全滅しても、あるいは任務に背いて逃亡しても、どっちでもよかったんだろう。

 一挙両得とはちょっと違うかもしれんが、ガランという奴にとっては体のいい厄介払いができたと言ったところか。


 ……やり方は最低だがな。


「もちろん、我らも本気で黒曜様の足取りを掴めると思っていたわけではない。白焔様の御力で焼け野原と変わってしまった実り貧しき山々を越え、命からがらこの土地へ流れてきたのはただの偶然だ。だから、この先どうどうすべきか思い悩んでいるうちに黒曜様らしきお姿を見つけて、私の心は千々に乱れた……」


 どうやらそれで話は終わりらしく、リリーシャは今頃気づいたように目の前に出された竹の葉茶の入った器を手に取ると、ゴクリゴクリと喉を鳴らしながら飲んだ。


 ……なるほどね。

 その迷いが、ここしばらく山の中で時々感じた微かな気配の正体か。


 運よく黒曜を見つけたとはいえ、もはや命令を実行する必要はどこにもないと自覚しながらも、神同然に崇めた存在から離れがたい気持ちの間で揺れていたというわけだ。


 茶を一気に飲み干したリリーシャを見て、薬缶からお代わりを継いだ俺に「すまない」とポツリと告げたリリーシャは、一口のどを潤した後こう言ってきた。


「……どうやら貴様は、クキ氏族が想像だにしなかった信頼関係を黒曜様と結んでいるようだな。我らには、クキ氏族にはできなかった――いや、もしあの時知っていたとしても、我らごときではそのような勇気を出すことすらできなかったんだろうな……」


 どこか他人事のような、自分の人生を見失ったようなリリーシャの物言いだった。


 ………………………気に入らないな。


「おい、リリーシャ」


「なんだ、もう話すべきことは話した。あとは殺すなり追い出すなり好きにしろ」


「その、どこにいるのかの分からんクキ氏族とやらのことは知らんが、リリーシャ、ここにいるお前は、これから黒曜とそういう関係になっていけばいいだろ」


「……は?」


 何を言っているのかわからない、と言わんばかりに唖然とするリリーシャに、俺は畳みかけるように告げた。


「なあリリーシャ、お前――というよりクロハ一族全員への提案なんだが、御庭番をやる気はないか?」


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