第58話 帰ることにした
「なんや、ノックもせんと入ってきおって。もしこれでウチが着替え中とかやったらタケトはどう責任を取るつもりなんや?(いや、それもアリか、既成事実さえ作ってしまえば……)」
最後の方こそよく聞こえなかったが、いきなりドアを開け放った俺に対して至極当然の文句をつけてきたセリカ。
だが、今の俺にそんなことを気にしている余裕はなかった。
「おいセリカ、お前、事情を知ってて俺を騎士爵にしたのか?」
俺は事実をありのままに伝えるために、できるだけ冷静にエスメラルダさんから聞いた話をセリカに伝えた。
「ああ、そういうことかいな。確かに、ウチのところにもその情報は入って来とるよ」
「じゃあ、やっぱりセリカは俺を嵌めたってことになるのか?」
「なんや、ウチを疑っとるんか?」
「そうじゃない。だが、確かめておきたいのも本当だ」
意外そうな顔で俺の目をじっと見つめたセリカは、何かを察したように小さくため息をついた。
「このタイミングでタケトを貴族にするっちゅうことが周りからどう思われるか、ウチも承知の上でやったことや。でもな、この時代の人間なら大なり小なり争いに巻き込まれる可能性は誰にも避けられんことや。これは平民やろうが一国の王やろうが変わらへん。それなら高い地位に就いといたほうが、いざという時に選択肢が増えると思わへんか?」
「……なるほどな、一理ある。だが俺が聞きたいのは、そんなお為ごかしの一般論じゃないぞ」
そんなことわかってると言わんばかりにセリカは大きく頷いた。
「ウチとジジイのハラが見たいっちゅうことやろ?はっきり言うとくけど、ジジイの方はウチにもようわからんで。あれでも東の大公と呼ばれる大領主や、孫にも簡単には心の中を覗かせるようなタマやない、そやからこれはウチの願望を含めた推測や。多分ジジイはタケトのことを単なる一家臣にするつもりはないと思う」
長い前置きのあとで、セリカはようやく本題に入り始めた。
「そもそもコルリ村は王家の直轄領やから、建前から言っても家臣にするのはかなり難しいんやけどな。そこらへん、ムーゲル侯爵も曲者やわ。それでもタケトがジジイの推薦で貴族の末席に座った事実は変わらん。まあ一言で言うと将来を見据えて唾を付けときたかった、今はそれだけやと思うで」
「……それはまた、随分と買いかぶられてる気もするな」
セリカという伝手があったとはいえ、今のところ俺と東の大公の間にはほぼ接点はない。
青田買いと考えると納得できないこともないが、自分の家臣にするつもりもないのに貴族にまでするものなのか?
「そう難しく考えすぎんでもええと思うで。結局のところ、何かの間違いで西の大公のところに行かれるようなことだけは避けたいだけかもしれんし。騎士爵なんて木っ端貴族にしたのも、敵にさえならんどけばラッキー程度のもんやろ」
「……なんか、そう言われると途端に話がしょぼくなったな」
「まあ西の大公とぶつかるかどうかも、今のところは何とも言えんしな。今はっきりしとることは、エスメラルダの姉貴がタケトの反応を楽しんでオモチャにしたっちゅうことだけやな」
何が面白いのかニヤニヤしているセリカにそう言われて、がっくりと肩を落とす俺だった。
さて、J四人組に任せていた魔物の素材の取引も無事完了したようで、あとはコルリ村に帰るだけとなっていた俺たちなのだが、シューデルガンド滞在をさらに数日間伸ばすことになった。
それというのも、当初シューデルガンドでお別れする予定だったシルフィさんと獣人の子供たちがこのままコルリ村に移住することになったため、その準備として諸々の買い物をする必要が出てきたからだ。
とはいっても、その中心となったのはコルリ村で孤児院を開くシルフィさんと方々に顔の利くルキノ商会の人達で、J四人組ですら荷物持ちという役目を与えられていたのに対して、俺には何のお声もかからなかった。
「タケト様はもう十分働いてくれました。せめてコルリ村に帰るまではゆっくりされてください」
皆を代表してシルフィさんにこう言われてはそれ以上反論する気も起きず、俺は異世界にやって来てから初めてといっていいレベルで暇な日々を過ごすことになった。
「タケトさま、なにしてるの?」
あまりに暇なので竹細工でも作るかと居間に材料を持ち込んだ時に声を掛けてきたのは、誘拐事件で少しだけ仲良くなったリリィと、その後ろにくっついてきた数人の子供たちだった。
話を聞いてみると、どうやらシルフィさんが外出しているため子供たちも少々暇を持て余しているらしく、屋敷の中を探検している最中とのことだった。
どうやら竹細工が気になったらしいので、どうせならとリリィたちに竹トンボの作り方を教えていたら、いつの間にかに獣人の子供たち全員の面倒を見るようになっていた。
そんなわけで、この数日間は獣人の子供たちといろいろなことをやった。
作った竹トンボを飛ばして遊んだり(もちろん俺は指導だけで製作はおろか遊びにも加わっていない)、前に竹笊を売った料理屋の店主のところに子供たちを引き連れて食べに行ったり(どうやら何回か獣人から食材を仕入れていたそうで、亜人に対する偏見がないのは助かった)、コルリ村のことやオークナイトが攻めて来た時のことを話したり(オークナイトの下りはリリィ以外の女の子には不評だった)、とにかく暇な時間さえあれば一緒にいた。
そんなある日、たまたまリリィと二人きりになる時間がわずかにあったのだが、ぽつりと独り言のように俺に話しかけてきたことがあった。
「タケトさま、コルリむらってひとぞくばっかりなの?」
「いや、正確にはドワーフが一人いるけど、そうだな、他は多分人族だな」
「そうなんだ」
「……まだ人族が怖いか?」
「うん、しらないひとはこわい。でもシルフィさまやタケトさまはこわくないよ」
「そうか、じゃあコルリ村の人たちのこともこれから知っていけば、きっと怖くなくなるさ」
「……うん、わかった。もし、コルリむらのひとたちとなかよくなれたら、そのときはタケトさまに……」
「ん?何か言ったか?」
「ううん、なんでもないよ」
どうやらリリィは俺が思っていた以上に賢くて勇気のある子のようだ。
そんな小さくもキラキラした発見をしつつ俺は穏やかな日々を享受していた。
そしていよいよ、俺たちがシューデルガンドを発つ日がやってきた。
皆が慌ただしく準備をする中、手早く荷物をまとめた俺は支度に漏れがないか各所を見て回っていた。
「さあみんな、この馬車に乗って」
当初は徒歩で移動する予定だったシルフィさんと十二人の獣人の子供たちだが、セリカがルキノ商会の大型馬車を貸してくれるよう手配してくれたので、帰り路における一番の懸念が解消した。
子供たちの体力の問題もあるが、途中で魔物が出て来た時のことを考えると格段に守りやすくなるので、正直これはとても助かった。
シューデルガンドに着いてからほぼ会うこともなかったJ四人組も、順調に荷物を馬車の荷台に運びこんでいた。
このまま何もしないではさすがに悪いと思って手伝いを申し出たのだが、「何言ってんすか」「騎士爵様に人足のような事はさせられないっすよ」「ささっそこで座ってててください」「よっ俺たちの領主様!」などと言われて追い返されてしまった。
ちなみに、未だに彼らの顔と名前が一致しないから反論しづらかったわけでは断じてない。
あと、領主さまはおかしいだろというツッコミもしづらかったのは……以下略。
さて、そんなこんなで出発の準備の様子を眺めていたのだが、実は俺は一人寂しく見ていたというわけでもない。
俺の隣には、最近見かけることのなかった二人の人間がいた。
「それにしても、わざわざ出発の日まで一緒にしなくてもよかったのに」
「あはは、まあその辺は旅の身ですから、融通が利くと言いますか」
「いざとなれば、オレが契約してる竜で旦那を一緒に乗せて飛んで帰ればいいだけの話さね」
そう隣の椅子に座って返してきたのは、やはりシューデルガンドに来てからはほとんど顔を合わす機会のなかったケルンさんとアーヴィンのコンビだ。
やることがないならちょうどいい、別れの前に国家鑑定士と征空の騎士との親交でも深めておこうか。
「そういえば、任務の方は無事済んだんですか?」
「ええお陰様で、と言いたいところですが、魔族との戦線が後退した影響で目標の八割程度しか達成できなかった、という感じですね。今から帰った時の報告をどう取り繕うか頭を悩ませていますよ、ははは」
「まったく、ケルンの旦那はいつも心配しすぎなんだよ。他の誰がやったって旦那以上の成果は上げられなかったんだから、もっと堂々としてればいいのに。まあオレからも良いように報告しとくから、もっと気楽にいこうさね」
肩を落として力なく笑うケルンさんに、その肩を叩きながら軽薄に励ますアーヴィン。
本来護衛役と依頼主の関係でしかないはずの二人だが、こうして見ていると気の合う熟練コンビのようにしか見えんな。
「でも、特に心残りなのはタケトさんとコルリ村のことですよ。個人的興味もそうですが、なによりタケトさんのスキルの解明と指導が、時間の都合で中途半端になってしまったのがなんとも悔やまれます」
「オレとしても、あのカトレアとやり合ったタケトとは一度本気でやってみたかったんだがな。オレの場合は時間もそうだけど、本気を出せるスペースを確保するのが大変だからな、訓練の時はいつもそこが課題なのさ」
確かに俺としてもその二点は心残りだった。
俺一人ではスキルの解明に限界があるのは事実だし、竜を召喚するアーヴィンの本気というのも武芸者として興味があった。
「まあ、オレの方は来ようと思えばいつでも来れるからいいとして、旦那の方はどうだったんさね?」
「ええ、ようやく昨日、返事が届きました。タケトさん、これは先方次第なので現時点で確かなことは言えないのですが……」
アーヴィンから促されたケルンさんは、懐から一通の手紙を取り出して見せてくれた。
差出人の名は……イレーヌ=アナリズ=オールド?
アナリズ!?
「お察しかもしれませんが、彼女は私の前任者の元国家鑑定士で、私の師匠でもあります。今は鑑定士を引退してとある田舎で隠棲しているのですが、シューデルガンドに着いた後で、私の代わりにタケトさんの面倒を見てもらえないか手紙を書いて頼んでみました。その返事がこれなのですが……」
驚きの提案をしてきたケルンさんだが、なぜかその先を言い淀んでいた。
「……そのですね、私も予想はしていたのですが、師匠の手紙にはただ一言『気が向いたら行く』としか書かれていなくてですね……大変申し訳ないのですが、師匠は現役の頃もかなりの頻度で気に入らない依頼を蹴ったりする御人でして……」
そう言って申し訳なさそうにするケルンさん。
確かに見せられた手紙には、ケルンさんが言った通りの簡潔極まる一言しか書かれていなかった。
「いえ、当てが一つできただけでも十分すぎるくらいですよケルンさん。何から何までお世話になりっぱなしでありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ色々と未熟さを思い知らされる貴重な体験でしたよ。師匠も、必ず一度は鑑定対象を自分の目で見ないと気が済まない性質ですから、いつかはコルリ村を訪れるとは思うので、できれば気長に待っていただけるとありがたいです」
俺からの礼の言葉にもあくまで丁寧に返すケルンさん。
多分この人の腰の低さは、長年その師匠とやらの尻拭いをしてきて身についた処世術なんだろうな、と勝手な妄想を膨らませた。
そうこうしている内に準備が終わりつつあるのか、俺の目の前を通る人が少なくなっていく。
その違和感に初めて気が付いた時には、明らかに俺たちの一行とは無関係と確信できる数の馬車が、列を成して屋敷の前に横付けされていた。
その数およそ十数台。
あの見覚えのあるマークを見る限りではルキノ商会の馬車のようだ。
なんだ?ひょっとしてセリカもどこか旅行にでも行くのか?そう言えば、ここ数日の間で屋敷の中がやけにすっきりしたような気がするような……
「どこに行く馬車なんだろうな……」
何気ない、誰に聞かせるでもない独り言を呟いたつもりだったのだが、隣の二人は信じられないと言った目で同時に俺を見てきた。
「え……?まさかタケトさん、知らないなんて言うつもりはありませんよね?」
「いやいや旦那、いくらタケトでもジョークに決まってるだろうさね……ジョークなんだよな?」
「ちょっと二人が何を言っているのかわからない」
……いや、本当は分かってる。どうやら俺は、知ってなきゃいけないことを知らないらしいぞ。
「いや、三日前にセリカ嬢が私たちを含めたみんなを集めて言っていたでは……あれ?そう言えばあの場にタケトさんはいなかった気が……」
「ウチが何やって?ああ、タケトもそこにおったんか、ちょうどええわ」
わけがわからず憮然とする俺に、未だに探るような言い方をしてくるケルンさん。
そこへ屋敷の主であるセリカが奥から出てきた。
「ああセリカ、ちょうどいいところに来た。これから旅行でも行くのか?」
「旅行?残念やけどハズレや。これから引っ越しするんや」
いつになく上機嫌に返事をしてくるセリカは、これまた珍しく薄い微笑を浮かべていた。
「引っ越し?こんな立派な屋敷があるのに?シューデルガンドでも、ここより立地のいい屋敷なんてそうはないだろ」
「違う違う、ウチが引っ越すのはシューデルガンドの外や」
「外?こう言っちゃなんだが、よく東の大公や家族が許したな」
「まあそこは商売柄どうしても必要やていうて、何十日もかけて説得したからな」
「へえぇ、そこまでデカい仕事なのか。だとしてもすごい決断だな」
「せやな、ウチとしても一世一代の大決断や」
「そうか、それなら俺としても何か手伝ってやりたいところなんだが、運悪く今から帰るところでな」
「もちろん知っとるで。それに手伝いいうんなら、ウチの馬車を護衛してくれたらそれでええよ」
「護衛?ひょっとして途中まで一緒なのか?」
「まあ、一緒と言えば一緒やな」
「へえ、ちなみになんてところなんだ?」
「コルリ村や」
「……へえ、ちなみになんてところなんだ?」
「そやからコルリ村や」
「……ゴロリ村?」
「コルリ村。タケトんところの村や」
「…………………それはとても近いところだな」
オヤジ、オフクロ、そして爺ちゃん。目の前の女の子が何を言っているのか、対人スキルの低い俺には全く分かりません。
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