第16話 茶を振舞った


 それから一時間後、コルリ村村長のマーシュと俺は村長宅でまったり茶をしばいていた。


「はああぁ~~、あの山火事以来こんなにリラックスできたのは初めでだ。なんだか山火事以来の疲れも吹っ飛んだ気もするだよ」


「フーフー、それは何よりでした。あちちっ」


 すでにお気づきかと思うが、俺こと竹田武人、猫舌である。


 話は、俺の魔法に腰を抜かしたマーシュに竹杖をプレゼントしたところに遡る。


 デモンストレーションとしてはいささかやりすぎたが、マーシュに事情を説明するのとは別に俺には竹を召喚した理由があった。


 今回俺が必要としたのはいつも使っている竹の幹の部分ではなく、通常は切り落として捨ててしまう葉の部分である。


「いやー、最初タケトさんの魔法を見せられた時は魂消たが、まさかあの葉っぱがこんなに上手い茶に変わるとは夢にも思わなかっただよ。疲れ目や足のむくみも感じなくなるほど美味いとは、王都に出回るという最高級茶葉もこんな感じなのかねえ」


 あまりコンビニやスーパーに出回っているものではないので学生の頃には結構意外という反応が多かったが、竹山を所有する俺の家でお茶と言ったらこの竹の葉の茶の方を指すのだ。


 作り方は至って簡単、若いものを選んで摘んだ竹の葉を数分蒸した後、香ばしい香りが出る程度に炒ってお湯を注ぐだけ。


 手間をかければもっと美味しくなるのだが、あまりマーシュを待たせるのもどうかと思ったので最短の手順でお茶を入れて出したら、思いのほか喜んでくれたというわけだ。


 でも、疲れ目や足のむくみに対する即効性の特効薬ではなかったはずだ。

 多分、プラシーボ効果という奴なんだろう。


「しかし大変だねえ、その珍しい魔法のお陰で王都に住めなくなってここまで流れて来たとは。でも、あのお優しいカトレア様に助けてもらってタケトさんは本当に幸せ者だよ」


 そのおかげで、魔導士というところ以外当たり障りのない話ししかしなかった俺の身の上話を、マーシュはあっさり納得してくれた。


 だが、カトレアさんに出会って幸せという点については激しく同意しておいた。


「まあそんなわけで、あまりこの魔法を使うつもりはなかったんですけど、この村の惨状を見てそうも言ってられないなと思いまして、マーシュさんにお見せしたわけです。できることなら村の人にも外には漏らさないでおいてほしい、というのが無茶なお願いだと分かってはいるんですけど」


「何だそんなことか。このコルリ村は他の町や村から離れているだけに、村人同士の結束が強いのが数少ない自慢なんだよ。少なくともオラの目の黒い内は密告の心配はしなくていいだよ。あと、オラのことはみんなと同じように村長と呼んでくれ。今更名前で呼ばれると、こっぱずかしいだよ」


 そう言って自慢だという青い瞳を指さすマーシュ。


 ……うん、黒くないな。これひょっとしてすぐ裏切られるパターンなのか。


 いやいや、この中年のおっさんの澄み切った眼を疑うなんて俺の方が鬼畜だろ。

 多分、異世界に来た時に俺の脳にインストールされた言語翻訳の不具合のせいだ。

 そう思っておこう。


「ありがとうございます。それでですねマーシュさん――村長にプレゼントした竹を、仮設の家の建材に使ってもらえないかなと思いまして。必要とあらば何千本でも行けますからいくらでも言ってください」


「ほ、ほんとかい!!……でも噂では、魔導士様と一口に言っても無理に魔力を使い過ぎると命に関わる御方もいるって聞いた事があるんだけど、大丈夫なのかい?」


「あまり融通の利かない魔導士もどきですけど、これでも魔力の量には自信があるんですよ。期待してもらっていいですよ」


 いざとなれば大地の龍脈から足りない分を引っ張ってくればいいしな。


 ……ん?今のマーシュの話、なんかおかしくないか?


 ひょっとして普通の魔導士は龍脈を使うことはできないのか?


 目の前のマーシュは「噂では」って言ってたし、これ以上詳しいことは知らないだろうな。

 あとで暇なときにカトレアさんに聞いてみるか。




 それからさらにしばらくの間、マーシュと村のことを中心に四方山よもやま話に花を咲かせていると、カトレアさんが一人で帰ってきた。

 厳しそうな顔つきから察するに、あまり芳しくない結果のようだ。


「カトレア様、やっぱり駄目だったかい」


「あれだけの啖呵を切っておきながら申し訳ないです。私が持っていたポーションでできたのは、せいぜい少しだけ痛みを和らげることくらいでした」


 沈痛な面持ちで話すカトレアさん。


「それに飲ませてあげられるものは水だけ。お酒は消毒用に残しておかないといけないですし、果実や茶葉も切らしているそうで、せめて何か水以外の物を飲ませてあげられたら……」


 カトレアさんがそこで言葉を切ったのは、どうやら話が終わったわけではないらしい。

 俺達が飲んでいる竹の葉茶をガン見しているので、それに目が吸い寄せられた結果だろう。


「マ、マーシュさん、それは一体……」


「これかい?今さっきオラにタケトさんがごちそうしてくれただよ」


「そんな!?タケトさんの所持品は私がすべて用意したものだし、旅の途中でそんなものを購入した形跡は一切なかったのに!」


 王都での外出が許されなかった俺の代わりにカトレアさんが用意してくれたという前半部分はその通りなのだが、後半部分はいただけないどころの話ではない。

 特に、一切なかったと断言しているところが特にいただけない。


 あれ、カトレアさんってもしかして……これ以上考えてはいけないと俺の脳内で警報が鳴り響くので、カトレアさんに竹の葉から作ったお茶だということを簡単に説明した。


「なるほど、そういうことでしたか。それならそうと早く言ってくれればよかったのに。それにしても美味しいですね。王都で売られている茶葉にも負けないくらいの品質ですよ」


 俺のコップを半ばひったくるようにして一気飲みしたカトレアさん。


 多分、怪我人の治療中は水を飲む暇もなかったのだろうが、それなりに熱いお茶を一息に飲んでしまったということはかなり気に入ってもらえたようで何よりだ。


 これ以上睨まれるのも嫌なので、間接キスなんですけどというセリフは、すんでの所で飲み込んだが。


「それではこのお茶を怪我人に飲ませてあげたいと思うんですけど、構いませんよね?」


 もちろん俺に否やはない。


「カトレアさんには釈迦に説法かもしれませんが、相手は怪我人ですから最初は口を湿らす程度で、大丈夫なようなら少しずつ飲ませてあげてください」


「何を言っているんですか?このお茶を作ったタケトさんにも一緒に来てもらうに決まっているじゃないですか。さあ行きますよ」


「え、ちょ、ちょっと」


 カトレアさんは左手で竹の葉茶の入った薬缶を掴むと、右手で俺の手を掴んでそのまま歩き出してしまい、俺はマーシュに挨拶する間もなく引きずられるように村長宅を後にした。


 それにしてもカトレアさん、さっきの間接キスといい今の手つなぎといい、最近ちょっと距離が近すぎやしませんか?


 もうすぐお別れだというのにこれ以上俺の心に残るようになったら、また会いたくなっちゃうじゃありませんか。


 そんなこっぱずかしいことを一度も彼女のいたことのない俺が面と向かってカトレアさんに言えるわけもなく、ほんのり赤くなっているだろう顔を見られないように必死についていくのだった。






 そこは村の焼け残った内の一軒で、元は民家だったところを臨時の診療所として開放している家の一室だった。


 もちろん、二百人規模のコルリ村に医者などいるはずもなく、薬草の知識の豊富な者が残り少ない薬草をやりくりして傷病人に与えているに過ぎなかった。


 軽くはない火傷を負った者や、体調不良を訴えているらしい病人達が床に毛布を敷いて寝ているのを横目に奥まった部屋に通されたのだが、そこに横たわっていたのは全身を包帯で包まれた弱々しい息をしているミイラと見紛わんばかりの姿の人間だった。


「ラキアさん、具合はどうですか?」


 できるだけ刺激を与えないように耳元で優しく呼びかけるカトレアさん。


「ああ、カトレア様。お陰様で痛みが和らいだよ。さぞ高価な薬だっただろうに、私のような死にかけの人間に使わせてしまって申し訳ない。この体が動けば何としてでも恩を返したかったのだが、どうやら私にはできそうもない」


 驚いたことに包帯で包まれた人間の正体は女、それも声質から察するに高く見積もっても二十台の若い女性だった。

 狩人というからてっきりガタイのいい男だとばかり思っていたが……

 包帯の隙間から覗く、長く滑らかな銀色の髪が、かろうじて怪我人の女性らしさを示していた。


「そんなことはどうでもいいんですよ。それよりも気をしっかり持ってください。ラキアさんが元気になることが、私にとって何よりの喜びなんですから」


「申し訳ないがそれだけは無理そうだ。仲間からは鈍い鈍いとよく言われたものだが、天のお迎えがすぐそこまで来ていることくらい私にもわかる。こんなことなら男の一人や二人作っておくべきだったな、フフフ」


 余り悲壮感を感じさせないラキアという女性の声だが、カトレアさんに負い目を負わせない気づかいがまるわかりだ。

 それだけに、声では心配を掛けまいとしているカトレアさんの表情は苦渋に満ちていた。


 全身を隈なく包帯で覆っているが、わずかに覗く火傷の状態から察するに、ラキアの状態は相当悪いのだろう。


「気配から察するにどうやら連れがいるようだが、どなたかな?」


 やはり火傷のせいで目も見えていないらしいが、ラキアは俺の存在を感じ取ったようだ。

 さすが腕のいい狩人といったところか。


「彼は私の従者のようなものなんですけど、世にも珍しい茶葉を持っていたのでラキアさんにも飲んでもらおうと思いまして連れて来たんです」


「おお、それは有難い。何しろ怪我を負ってからというもの水しか飲ませてもらっていないので、少々辟易していたところだ。従者殿、恩を返す当てもないので少々心苦しいが、一杯だけでも私に恵んではくれまいか?」


「……もちろんですよ。今支度をしてきますから、ちょっと待っててくださいね」


 そうラキアに告げた俺は、訝しむカトレアさんを目顔で部屋の外に連れ出すとラキアに聞こえないように小さな声で話し始めた。


「カトレアさん、ちょっとだけ時間をもらえませんか?」


「どうしたんですかタケトさん。時間も何も、あとは持ってきたお茶をラキアさんに飲ませてあげるだけですよ?」


 それはそうだ、少なくともここに来るまでは、俺もそう思っていた。


 だが風前の灯火の命、しかも全身やけどという女性にとってはつらい目に遭いながらもあれだけ気丈に振る舞うラキアの姿を見て、末期の水ともいうべき飲み物なのに、茶飲み話のお供に適当に入れたお茶を出す気は、俺の中から消え失せていた。


 今も必死に生きているラキアに対して、俺も相応の心構えで茶を淹れ直したくなったのだ。


 そのことをカトレアさんに告げると、


「そうですか……そうですね、私もその方がいいと思います。私の見立てでは今日一日くらいならラキアさんも持つでしょうから、タケトさんの納得のいく形でやってください」


 カトレアさんの賛意を得て、それから三時間ほどかけて竹の葉茶を淹れ直した。


 とはいっても行程自体がさほど変わったわけではない。


 茶の香りを最大限引き出せるように、時間の許す限り手間を掛けただけだ。

 乾燥、炒り、蒸らしはもっと日数を掛けた分だけ相応の物ができるが、時間的にも俺の腕的にもこれが精いっぱいだ。


 満足とは言えないが納得できるだけの竹の葉茶を淹れた俺は、再びラキアのいる部屋に顔を出した。


 と言いたいところだが、俺がやったのはマグカップに茶を注いだところまで、あとのことはカトレアさんにお任せすることにした。


 あの世の爺ちゃんから臆病者と罵られている気がしないでもないが、全身に巻かれた包帯以外はほぼ全裸と言っていいラキアの寝所に見ず知らずの、しかも異性の俺が何回も足を運ぶことを遠慮したのだ。


 カトレアさんも最初は怪訝な顔をしていたが、「タケトさんが遠慮するというならそれもいいでしょう」と、わかったようなわからないような返事で了解してくれた。


 とはいえ、そのままここからお暇するのも失礼な話だし、せめて茶の感想だけでも聞こうと思ってラキアの寝ている部屋の前で待つことにした。


 気を利かせたカトレアさんが部屋のドアをわずかに開けておいてくれたおかげで、二人の会話が部屋から漏れ聞こえてきた。


「ラキアさんお待たせしてすみません。お茶を淹れて来たので一杯いかがですか?」


「おお、カトレア様に雑用のような事をさせて申し訳ないが、先ほどから漂ってきていた茶の香りが堪らなかったところだ。遠慮無く頂くことにしよう」


 ラキアの返事の後ガサゴソと物音がしばらくした後、静かな時間が少しの間続いた。


 やがてラキアの人心地ついた溜息のような声が聞こえてきて茶を喫し終えたのが分かった。


「カトレア様、こんな死にかけの私に付き合ってくれたことに心から感謝する。これまで飲んだどんな飲み物よりも甘露だった。心なしか全身の痛みのもさっきより治まってきたみたいだ。これで安らかにあの世に行けそうだ。それから外の方、ぜひ礼を言いたいので入って来てはくれまいか。最期の頼みだと思ってどうか聞いてほしい」


 おいおい気づかれてるじゃんか!


 ……例えブラフだとしても、これ以上しらばっくれるのも気まずいか。


 大人しく部屋に入った俺の目には、気まずそうにするカトレアさんと、目元まで包帯で覆われた状態でベッドに横たわるラキアの姿があった。


「外から来たお二人は知らないだろうが、これでも村一番の狩人なのでな、目に頼らずとも生き物の気配を探ることくらい、わけないのだ」


 なるほどね、言われてみればさっきも時折俺やカトレアさんの方を向いて会話している節があった。

 そんな彼女に隠れるような真似をして、とんだピエロだな。


「ああ、気を悪くしないでくれ。本当にただ礼を言いたかっただけなんだ。あなたが淹れてくれたお茶は味や風味もさることながら、こちらを気遣う心がこもっているのがよくわかった。ありがとう、こんなに穏やかな気持ちでこの世とお別れできるのも、あなたのお陰だ」


 包帯のせいでラキアの顔は全く見えなかったが、なぜか俺には穏やかに笑っているように見えた。


「ああ、一気にしゃべったせいか何だか眠くなってきた。もう痛みも何も感じない。顔も見せずに逝く無礼を許してくれ。今度、生まれ変わったら、あなたとカトレア様に、この……」


 その時、仰向けで寝ていたラキアの首がストンと落ちた。


「ラキアさん、ラキアさん!……薬師の方を呼んできます!」


 目にキラリと光るものを浮かべながら部屋を飛び出すカトレアさん。


 それに対して俺は、ラキアの言葉に返事をすることも、そして彼女が動かなくなった時も、一言も発することができなかった。


 ラキアは死んだのだという事実が目の前にあるのに、なんだか現実のものだと思えなかったのだ。


 厳密に言えば、爺ちゃんが死んだ現場に居合わせていたのでこれが初めてというわけではないのだが、彼女の体中に巻かれた包帯の僅かな隙間から見える肌の色と言い、サラサラの銀の髪と言い、上下する魅力的な起伏を見せる胸と言い、とても死んでいるようには見えなかったのだ。


 ……


 …………


 …………ん?俺今変なことを言わなかったか?


 包帯の隙間、銀の髪、上下する胸、……上下!!


 止まっていた時間が動き出したようにラキアに詰め寄った俺は、ラキアの胸に耳を当てて鼓動を確認すると顔の包帯を剝ぎ取って至近距離で呼吸の有無を確かめた。


「生きてる、生きてるぞ!」


 その時、後ろの方でガタンと音がしたので振り返ったら、驚いた様子で立ちすくんでいるカトレアさんと薬師であろう若い男がこちらを見ていた。


「カトレアさん!ラキアが」


「……この」


「この?」


「この変態色情魔があああぁぁぁぁぁぁ!!」


 一瞬で彼我の間合いを詰めたカトレアさんは目前にいた俺が視認できないほどの速度で右アッパーカットを繰り出し俺を天井へ叩きつけた。


 強制シャットダウンされる俺の視界の隅に最後に映ったのは、俺が無意識のうちに体に触れたせいであちこちの包帯が解れて半裸状態になっていたラキアのプロポーション抜群の肢体だった。

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