第15話 状況を確認して決めた


 カトレアさんという先導を失った俺は時々危ない思いをしながら、それでもゆっくり確実に山を下ってようやく麓までたどり着くことができた。


「んで、この先は一本道か。さすがに迷いようがないな」


 カトレアさんが残していった地図を確認した俺は馬に跨ると、駆け足程度の速度でコルリ村の方へと馬を走らせた。


 それにしても、見事なまでの黒一色の世界だ。

 とにかく、一切の生き物の気配を感じない。この様子じゃ、実際に虫一匹いるかすらも怪しいが。


 昔、爺ちゃんが言っていた終戦直後の日本の風景って、こんな感じだったのかもしれないな……


 試しに、ちょっと馬から降りて近くに立っていた炭化した木を突いてつついてみたら、あっという間に崩れ去って塵になり、風に乗って飛んで行ってしまった。

 念のために他の木も数本試してみたが、結果は同じだった。


 ……おかしい。

 大規模な山火事だとしても、自然環境の中でさすがにここまで燃えることはちょっとありえない。


 カトレアさんの言う魔獣の仕業という可能性が立証された形だが、だとしても被害を受けた側にとって何の慰めにもならないだろうな。


 現場検証をほどほどにした俺は馬に鞭を入れると、炭のせいでわずかに判別できる程度にしか見えない道を再び駆け出した。






 現状では住めるのかどうかも定かではない俺の移住先であるコルリ村に着いたのは、太陽が天辺を通り過ぎ始めた頃だった。


 事前に地図を見せられながらカトレアさんに聞いたコルリ村は、緩やかな流れの清流の恩恵を受けながら狭いながらも実りの多い田畑を持ち、山からは鳥獣や山菜、材木など様々な恵みを戴くとても豊かな土地という話だった。


 だが、今俺の眼に映るコルリ村は、大量の炭が未だに川を流れ続け、最早平地なのか山なのか見分けすらつかずに遠近感すら失われるほどの黒一色の光景、正に地獄だった。


 俺が到着してまず驚いたのは、村ごと全滅していてもおかしくないと思っていた予想が見事に外れ、数軒の家が燃え残っていることだった。


 おそらく燃えた家の跡片付けをしているのだろう、訝し気いぶかしげに見てくる数人の村人の視線に気づかないふりをしながら、カトレアさんがいそうな燃え残っている家の中でも一番大きな家に向かった。


 跡片付けの最中に汚れてしまったのだろう、煤だらけになりながらまだ使えそうなものを探す大人たち、その横で何が起きたのか理解できていない小さな男の子の放心した表情が目に焼き付き、心に突き刺さった。


「あ、タケトさーーん。こっちですよーー」


 予想通り、カトレアさんは大きな家の前で俺を待っていた。


「マーシュさん、こちらが移住希望のタケトさんです」

 そう言ってカトレアさんが紹介してきたのは、偉丈夫という言葉がしっくりくる巨漢の男だった。

 煤で汚れてなければさぞ頼もしく見えるのだろうが、マーシュの顔は疲れ切っているのが一目瞭然だった。


「これはこれは、何と王都からはるばるここまで来なすったそうで。オラが村長のマーシュです。田舎者なもんで言葉使いが荒いかもしれんが勘弁してくれ。何のお構いもできないがゆっくりしていってくれ、と言いたいところなのだがこの有様じゃなあ……。とにかくうちに入ってくれ」


 挨拶もそこそこに村長の自宅だという大きな家へと案内され、馬を煤まみれの厩に繋ぐと村長の家にお邪魔した。


「それではマーシュさん、掻い摘んででいいので、もう一度魔獣の話をお願いします」


「……カトレア様、何度も言うようだがあれはもはや神獣様だ。村の者達も過敏になっているし、もう一度あの災厄に村が襲われたらかなわん、言葉には気を付けてくれ」


 そう警告したマーシュ村長は、山火事の起きた時のことを話し始めた。






 食料探しに山に入っていた村人が異変を察知したのは、偶然にも俺とカトレアさんがシューデルガンドを出発した頃のことだった。


 遠くの山の向こうにいくつもの煙を発見したその村人は、慌てて村に戻りマーシュに報告した。


 恵み豊かなコルリ村だが、一番の問題はいつどこで起きるかもわからない山火事だ。


 四方を山に囲まれ、唯一町へ出る道は大の大人でも用心しないと通れないほどの険路、避難の時間はないと判断したマーシュは、いざというときの避難場所になっている村長の家を含めた周囲の数軒に全ての村人を集めて立てこもることにした。


 他の家とは違い、この数軒だけは丈夫なレンガで作られているほか、常に大量の水瓶を準備しているなど防火対策が万全で、これまでの山火事でも一度として燃えたことはなかったそうだ。


 村人たちも特に慌てることもなく、避難訓練のような気軽さで避難場所に集まったという。


 これまでの山火事とは全く違うとマーシュが気付いたのは、最後の村人が村長の家に入った時に、村から見える山の頂上に早くも火の手が上がった時だった。


 速すぎる延焼速度に驚いたマーシュは、事態を見極めるために山を熟知した狩人三人に様子を見に行かせた。


 命を失うことを覚悟しつつも三人は山の頂上まで向かったが、二人は途中で脱落、最も腕のいい残った一人は何とか辿り着き、そこで恐ろしいものを見たのだという。




「炎で真っ赤に染まっている中、周囲を青い炎に彩りながら白い炎を纏った虎が悠然と闊歩していたのだそうだ。自分の肌が焼け爛れるのも気づかないほど美しい姿だったと言っていた。重傷を負いながらも帰ってきたその狩人をうちに入れた後は、天井に水を張った地下室に全員で立てこもったのでそのあと何が起きたのかはわからない。今日の夜明けまで待った我々が外に出てみると、ごらんの有様になっていたというわけだ」


 一部始終を語り終えたマーシュは暗澹とした表情で俯いた。


「……白焔びゃくえん。そう呼ばれる神獣が三百年前に世界を炎の色に染め上げた、そういう伝説をある書物で読んだことがありますがまさか実在するとは……」


 遠い記憶を思い起こすような目でカトレアさんが呟いた。


「通常魔獣というものは、他者の命と同時にその生命力も奪って己を鍛え上げるのですが、白焔はなぜか自分からは動物の命を奪わないのだそうです。代わりに周囲の木々を燃やし尽くしてその命を取り込んでいると、その書には書かれていました」


 なるほど、それなら白焔とやらがすぐそばまで来ていながらコルリ村を襲わなかったのも頷ける。


 もし動物、もっと言えば人間が目当てでこの辺りに来ていたんだったら、青くなるほど高温になった炎をレンガ程度で防げるわけもないしな。

 本当に木々から生命エネルギーを吸い取っているのかもしれん。


「それにしても三百年ぶりの目撃情報ですね。おそらくですが、シューデルガンドの方でもとっくに察知されているでしょうから、今頃は上を下への大騒ぎでしょうね。進路を考えるに、少なくともグノワルド王国で一番最初に遭遇したのはこのコルリ村でしょう。大変お気の毒ですが……」


「あああああ、畑も山もすべて燃えた、これから一体どうすれば……」


 頭を抱えるマーシュ。


「マーシュさん、一旦落ち着いてこれからのことを考えましょう。失ったものを数えるよりも、今残っているもので乗り越える方法を考えないと。村の人達もマーシュさんだけが頼りなんですから」


「……そうか、そうですね。こんなところで泣き言を言っている場合じゃない。オラが皆の生活を立て直さねば!」


 カトレアさんに励まされて自分を奮い立たせるマーシュ。


 凄いな、俺がもし実家の竹山が燃えて竹が全滅してしまったら……想像もつかんな。


 やはり背負っているものの違いという奴なのだろうか。

 俺もいつかこの村の一員になれたら、今のマーシュのような気持ちになれるのだろうか。


「まずは衣食住の確認から行きましょうか。正直村の人達の衣服はほとんど焼けてしまったのではないですか?」


「それなんだが、今男手の半分が山で伐採した材木の納品に行っていて、その代金の一部で古着を買い集めるように指示を出していたんだ。おそらく冬が来ても凍え死なない程度の量の、服や布を買って帰ってくるだろう」


「それは何とも僥倖でしたね」


「ああ、このところいろんなものが値上がりしているから、村としてまとめて買ってくればいくらか安く抑えられるだろうと思って一部の反対を押し切って決めたんだが、あの時の自分を褒めてやりたい気分だべよ」


 得意げに話すマーシュ。

 さっきとは違って自然に笑えているところを見るとこっちが地らしい。


「食料の方はどうですか?」


「一応備蓄はしていたんだが、秋に纏めて山で獲ってくるのが習わしだったから、精々今年の冬を越せるか越せないかという量しか残っていない。はっきり言って、一人二人の餓死は覚悟しておかんといかんだろうなあ」


「ううん、それは厳しいですね」


「冬を越すのはいい。だが来年以降の見通しは全く立たないだよ。最低でも春には二百人いる村人の内半分は出て行かざるを得ないだよ。来年の山の芽吹き具合次第では村を閉じることも考えにゃならんし」


「それまでに何とか手を打てたらいいのですが……で、最大の問題は――」


「ウチを含めても燃え残ったのはたったの五軒、緊急の避難先としては十分だが、日々の暮らしとなるとまるで足りない。これがただの火事なら山から材木を取ってきて建て直せばいいだけの話だけど……」


「その材木用の木がないんですよね……」


 話の腰を折るのも何なので門外漢の俺は黙っていたが、あの険しい道のお陰で材木を外から持ってくるのも事実上不可能だ。仮に伝手があったとしても、その代金を払う能力は今のコルリ村にはないだろう。


 二人はそのことに触れなかったが、言わずもがなのことなのであえて口に出さないのだろう。


「やはり一時的に全員でシューデルガンドまで避難するしかないだか……」


「最悪食料は私の権限で何とかできなくもないですが、寒暖差の激しい山間にあるコルリ村で、一夜でも野宿するのは命とりですね。せめて材木の都合さえつけば……」


 そこまで言ったカトレアさんの脳裏にある事が閃いたようで、ほんの一瞬だが俺の方を見た気がした。


 本当に一瞬のことだったのでいつもなら気のせいかと思うところだが、ちょうど俺もある事を考えていたので、カトレアさんの気持ちは手に取るようにわかった。


 多分、カトレアさんと同じことを考えてる気がするな。


「えーっと、話の途中ですみません」


「ん、何かな、タケトさん?」


「急いで来たものでまだ馬から荷物を下ろしていないので、ちょっと行ってきてもいいですか?」


「ああ、いきなりこんな話に付き合わせて悪かっただね。遠慮することはないから行ってきておくれ」


「ありがとうございます。あ、カトレアさん、預かっていた荷物もあるんで、付いてきてもらっていいですか?」


「え、ええ、そうでしたね。わかりました」


 自然な形でマーシュの家を出てカトレアさんと二人きりになる機会を得た俺は、厩には行かずに村の外へと向かった。


 村の傍を流れる川の傍まで来た俺達は周囲に誰もいないことを確かめるとカトレアさんに切り出した。


「一つ提案があるんですけど」


 やっぱり、と言わんばかりの顔をしたカトレアさんはいつもの温和な雰囲気を封印して真剣な目で俺を見てきた。


「タケトさんの魔法で作った竹を、材木として提供しようというんですね?」


「流石カトレアさん、俺のことなら何でもお見通しだ」


「茶化している場合ですか。確かにタケトさんの力があれば、この村の問題をある程度解決することができるでしょう。ですが、タケトさん自身はそれでいいんですか?」


「コルリ村の人達を助けられて俺も無事この村に住むことができる、全てが丸く収まってどこにも問題はないじゃないですか」


 おどける様に話す俺の言葉にカトレアさんは再びの溜息をついた。


「……その様子ならわかっていてあえて言っているようですけれど、そんなことをすれば強力な魔法の使い手として噂が広まって、普通の生活を送ることなんてできなくなっちゃいますよ。タケトさんはそれでもいいんですか?」


 ……正直、カトレアさんがここまで親身になって心配してくれているとは思っていなかった。


 試すような言い方をしたのは悪かったと思っているが、これは村一つなくなるかどうかという話だ。


 コルリ村が王家直属の領内にある以上、俺にコルリ村を救わせた方がカトレアさんの意に沿うことは明白だ。


 そんな状況で、俺一人の身の上の方を優先してくれた。

 だが、カトレアさんには悪いが、コルリ村の窮状を知った時から決めていたし、何よりこれで奮い立たなければオトコじゃないだろう。


「んー、まあそれはそうなんですけどね、俺の国の言葉にこう言うのがあるんですよ。『義を見てせざるは勇無きなり』」


「それはどういう意味なんですか?」


「一言で言うと、困っている人を放っておくようじゃ男じゃないって意味です。仮にこの先厄介なことになっても、元々根無し草の身ですからとっとと逃げ出せばいいだけの話ですよ」


「でもそれだと、名目上のこととはいえ、タケトさんは一応は流刑に遭った罪人なんですから、コルリ村から逃げ出せば本当のお尋ね者になってしまうんですよ?」


「あ」


 いけねっ!その設定をすっかり忘れてた!


「……ま、まあ、やらずに後悔するよりやって後悔した方がましというものですよ。それに、ここから逃げ出す羽目になると決まったわけでもないですしね!」


 思いっきり動揺してしまったせいか、カトレアさんはしばらくの間俺の目をじーっと見続けて真意を探り出そうとしていたが、やがて小さな溜息を一つついて言った。


「……まったく、私だってこのまま見過ごしていいと思っていたわけじゃないんですよ?ただあまりにタケトさんが頼りないので、つい余計な口出しをせずにいられなかったんです」


「カトレアさんには感謝してますよ。この世界で一番俺のことを心配してくれる人なんですから」


「はいはい、話半分で聞かせてもらいます。そうと決まれば、早速マーシュさんに話しに戻りましょうか。新しい住居は一日でも早く必要でしょうから。それとタケトさん」


「何ですか?」


「ちょっとカッコよかったですよ」




 それからカトレアさんと簡単な段取りを打ち合わせて村長宅に戻ってみると、マーシュが村人と思しき男と深刻そうな表情で話していた。


「マーシュさん、どうかされましたか?」


 カトレアさんが声を掛けるとこちらに気づいたマーシュが縋るような目でカトレアさんを見た。


「カトレア様、それが……」


 云い淀むマーシュの気持ちを代弁するようにマーシュと話していた男が後を引き継いだ。


「二日前に魔獣を目撃した時に火傷を負った狩人の容態が急変したんだ。村にあった薬も使い果たしてもうできることがないんだ。騎士様、いつかきっとお礼はするからもし薬を持っていたら分けてはくれねえか?」


 駄目で元々といった顔つきで聞いてくる男の懇願だが、それを見捨てるカトレアさんではない。


「わかりました。お役に立てるかどうかは分かりませんが、私の持っているポーションでよければ使ってください」


「おおお、なんとお優しいお方だ。ありがとうございます、ありがとうございます」


「感謝の気持ちは十分に受け取りました。さあ、その人の元へ案内してください」


 泣きながら崩れ落ちる男を立たせたカトレアさんは俺の方を見てきた。


「一緒に行っても役には立てないですし、大人しく待ってますよ。これからのことをマーシュさんと話しておかないといけませんし」


「そうですか、そうですね。一通り処置を終えたらいったん戻ってきますので、それまで別行動にしましょうか」


 そう言ったカトレアさんは男の先導で小走りに駆けて行った。


「それで、オラに話とは一体何だい?」


「ちょっと込み入った事情なので長い話になると思いますから茶でも入れましょうか」


「すまねえがタケトさん、この間までならともかく、今のこの村に茶を出す余裕はないんだよ」


 申し訳なさそうに話すマーシュだが、もちろんそんな無茶ぶりを言ったわけではない。


「大丈夫です。自前の茶葉がありますから。――出でよ!」


 力ある言葉と共に、地面を突き破ってあっという間に村長宅の屋根を超える高さまで伸びた一本の竹。


 もちろん俺の魔法だ。


「あ、ああ、あんた魔導士様だったのか!?な、なんでそんなお方がウチの村なんかに!?」


 腰を抜かしてその場にへたり込んだマーシュに、俺は生やしたばかりの竹を腰の鉈を使って適当に枝葉を切り落とすと、手ごろな長さの竹杖を作って差し出した。


「はい、お近づきのしるしに一本どうぞ。口で言ってもなかなか信じてもらえないと思ったので、まずは実演させてもらいました」


 竹杖に縋って何とか立ち上がったマーシュだが、その足はまるで生まれたての仔馬の様だ。


 ううむ、頼みごとをするときはインパクトが大事と思ったんだが、やりすぎたか?


 まあいいや、明日からは気を付けよう。


 明日から、な。


「ところで、少しの間台所を貸してもらえませんか?」

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