俺は失敗することを失敗しねえ。もう俺は終わったわけさ。

えーびーしー

第1話 人生を邪魔するイベントについて 

 普通に生きたい。ただそれだけ。それだけなのに、それができない。事ある毎に訪れるイベント、それが俺に普通の生活をさせてくれないから。

 イベントについてネット上で調べてみた。謀略、真理、摂理、はては集団ストーカーなどという呼び名がそこではつけられていた。その中で最もポピュラーな呼び方が「陰謀」。

  俺は動画投稿サイトYoutubeで「陰謀」を検索した。「はだのとあつぎのアイダ」、「昼間嫌一」、「妄想戦士ゆりこ」……による動画が上位に表示された。基本的に検索されたワードに対して再生回数が多い順に動画が表示される仕様になっている当サイトにおいて最も上位に位置するのが「らりるれろ400」だった。最上位に位置するという事は一般的に考えて莫大な金額を動画投稿により得ているはず。そう思い彼の動画をクリックしてみても広告は一切流れてこなかった。そう、彼は金を得るために投稿しているわけではなかったのだ。だから全ての動画に収益化設定をしていない。そんな彼の姿勢はフィクションの多いYoutube界において異彩を放ち、多くの視聴者を毒々しく魅了していた。中でもコアなファンの事は「ラリリス」と呼ばれ(らりるれろとリスナーを掛け合わせた造語である)、らりるれろ400の動画に様々なやり方で燃料を投下していた。これは自然発生的に出現した現象で、後に迷惑をかけながら世間を巻き込むことで世論を席巻する視聴者参加型youtuberという新ジャンルの先駆け的存在でもあった。

  彼の動画のサムネイルはどれもブレた映像の中の無造作に選出された一コマだった。編集されていない粗野でむき出しのリアルなそれが視聴者の興味を強烈に惹いた。動画に対する説明文が異常に長いという事もまたこういった陰謀系youtuberの特色だった。一体この長いお経のような説明文を一々完読している視聴者は俺以外にいるのだろうか。お経の中に必ず入る歴史の講釈は文部科学省検定済教科書であるかの有名な『山川の教科書』のどこにも記載されていないものだった。妄想上の出来事をあたかも史実のように語る文章に出会った時、俺はパラレルワールドの住民と対面しているような錯覚に陥った。

 さて、適当にサムネイルをクリックした。のっけから男性の激しい怒鳴り声がパソコンから流れた。まだ画面は暗いまま、それなのにこれである。まるで赤子がその裸体をこの世に見せる前から泣き声が聞こえてくるかのよう。一拍あって画面に飛び込んできたのは坊主頭を金髪に染めた若い男が怒鳴り散らしながら画面に向かって接近している様子だった。身長165センチほどの坊主男はセンターに黄色くプリントされたゴリラがバナナをスイングしている黒いパーカーを着込んでいた。下はグレーのスエットを穿いていて、汚れてくたびれたような白いジョギングシューズは底が外れているのかサンダルみたいにパカパカとだらしない音を立てた。シューズの真ん中には黒く太いラインが一本入っている。そのラインに特に意味はないのだろう。それと同じぐらい、彼らのこの争いも意味がないように思われた。

「著作権の侵害だぞ糞ジジイ」

 金髪坊主の男はそう叫んだ。恐らく肖像権と言いたかったのだろう。男は道路脇の自動販売機を拳で強く殴打し、道路標識の傍に停まった自転車を蹴り倒し、道に唾を吐きながら迫ってきた。

「らりるれろ400」は男の歩調に合わせて後退さっていた。すれ違う人々が振り返りながら奇異な目を向ける。しかしその顔を確認し、「らりるれろ400」だと分かると慌てて顔を背けた。彼は最早多くの住民にその存在を知られているのだ。その原因はインターネットによる自己情報の全世界への発信。この点が「らりるれろ400」の動画を見た時に俺が感じた違和感の正体だった。普通陰謀の渦中にいると本気で信じ込んでいる人間が私生活をネット上にアップするだろうか?合理的に考えて、少しでも目立たないように隠れて生活するのが普通というもの。それをせずに、むしろ周りに喧伝するような彼の生活スタイルを見て俺は矛盾を感じずにはいられなかった。そこでそれについて少しの間考えてみた。するとこんな結論に達した。

“別に動画を公開したり私生活を公表することが危険を増やす事と比例する関係にあるわけではないだろう”

“むしろ多くの人に自身の存在を知ってもらうことで関心と監視の目を集め、それによって陰謀の裏側にいる人間たちが容易に手出しできないような状況を生成する、彼はそんな風に考えているのかもしれない”そう思考をまとめた

  俺は動画に視線を戻した。事態は膠着していた。互いの距離は埋まらずに、ただ怒鳴りながら器物損壊を繰り広げる坊主男とそれを撮影している「らりるれろ400」。見ている側が飽きを感じ始め、違う動画へと指を動かさんとマウスに手をかける頃、それを見計らったように事態が動いた。突然坊主男がおぞましい雄たけびを上げながら「らりるれろ400」に向かって走り出したのだ。

 映像が一瞬途切れたー

ーと思うと画面には青い雲と水平に棚引く雲が映し出された。二人が今何をしているのか分からなかった。「らりるれろ」の「離せって~」、「暴力振るうなって~」という声だけが手がかりだった。坊主男の怒鳴り声がして地震でも起こっているように空と雲が震え始めた。固いもの同士が当たる音がした。動画が切れた。

  次の動画が自動的に再生された。そういう設定に「らりるれろ」がしているのだろう。画面に映ったのは二人の警官だった。酷く肥えた中年の男性警官の顔中を吹き出た汗の粒が覆っていた。制服の上から腹の肉が段になっているのが浮かび上がり、後ろから見たその姿は巻き糞を連想させた。巻き糞は鼻息が荒く、それがこの動画を神経的に苛立たせる効果を催していた。

「動画を消しなさい、動画を消しなさい」ともう一人の警官が「らりるれろ400」に詰め寄って来た。若いその警官の特徴はとにかく背が低いという事だった。巻き糞が特段巨体なこともあり、まるで親分子分の関係にでもあるような印象を見るものに与えた。子分はリピート設定された動画のように「らりるれろ400」に向かって「動画を消しなさい、動画を消しなさい」と繰り返していた。

「殴られたって、殴られたって~」と「らりるれろ400」は主張した。そして彼は自分の姿を画面に映し出した。左瞼が腫れ上がりそのせいで目が開いていなかった。鼻と口から血が零れていてなおも止まらず流れ続けていた。警察はひたすらに「動画を消せ」というだけだった。ここで一旦動画を停止して俺は自分が彼だと仮定したみた。警察にひたすらに被害を訴えているにもかかわらず「動画を消せ」、と動画の始まりで加害者が述べた発言と同じ言葉で要求されたとしたら、そんな時、それを陰謀だと感じてしまうかもしれない。いや、きっと感じるだろう。それが普通だ。広く一般的に考えて陰謀だとかおかしいな、だとか考えてしまうのは特段不自然ではなく、明確に合理を逸脱しているとも思えない。

 再び動画を再生すると、巻き糞は腰に手を据えて腹を威圧的に突き出してこう言った。

「被害届を出したいなら動画を消しなさい」

「じゃあいいですわ」と「らりるれろ400」は答えた。

「被害届よりもそうやってネットに動画を上げるほうが大事なの?」と若い警官が神経的に苛立ちながら言った。

「だって、動画消したら証拠がないと言ってあんたら被害届受け付けないでしょう」と「らりるれろ400」は言った。

「じゃあそういう態度ならいいですわ、もう解散、はい、終わり」と巻き糞が待ってましたと言わんばかりに言った。

「このように神奈川県では事件があっても事件になりませーん」と「らりるれろ400」は自分の顔を映しながら動画を締めくくった。

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