第55話 しるべ

 小萩さんには薄の中心部までは送ってもらわなかった。

 そこから先は自分の足で行くべきだと考えたのだ。しかし、着いたときには八時半を回っていたので、今日はビジネスホテルで一泊して、翌朝、別邸に向かうことにした。


「やっぱ、寮のベッドより気持ちいいな」


 格安とはいえ、大衆向けに作られているベッドの寝心地の良さは格別だった。


「理事長室があんなけ豪華なのに、寮が簡素って結構差が激しいよなぁ」


 ここのベッドに気持ち良さに匹敵するぐらいの座り心地のいいソファに豪華な調度品。そこを維持する予算を生徒たちに回してくれよと思ったが、実家にいるときは山の上にもかかわらず、結構薄っぺらい布団だったから、そういった意味では恵まれているのかと気づいてしまった。




 いろんなことがあったせいで、身体的にも精神的にも疲れたんだろう。寝る準備を整えるとすぐに眠りに落ちた。


 夢の中で俺は小さいころ、多分物心ついたぐらいのときのことを思いだしていた。


『お父様、お手合わせをお願いいたします』


 まだ母親が生きていて、親父も現役だったときだな。

 いつも通りに鍛錬の時間、俺は親父に手合わせを願う。普通ならば父親とは別に一門のだれかが教えてくれていたのだが、急に親父と手を合わせたくなったんだっけ。


『よぉし、かか様と三人で勝負しよう』 

『はい!』


 親父とともに双刀の名手として名高かった母親。武芸百家内では昔から一門同士での結婚はざら。例に漏れず恋愛結婚ではなかったという両親も双刀のこととなるととっても仲が良かった。


『総花の負け!』

『うわぁーん』

『手加減なさいよ』

『したら面白くないでしょ!』


 両親は子供用の模造刀というハンデを背負いながらも、俺に勝つ。そのときはまだ勝負にこだわりがあったせいで、すぐに泣く男だった。

 しかし、母親はいくら自分の息子相手といえども本気を出す人で、打ったときにかなり強い衝撃がかかったんだろう。刀が当たった衝撃で倒れこんだ俺を抱きあげながら母親に抗議する父親と、それにあっけらかんと笑う母親。


『かか様すごい!』

『これくらいはすぐに総花もできるようになるわ』

『おいおい、子供に無茶なことを言うなよ』

『言っていないわよ』


 終わった後、父親と母親が試合を行うと、母親が試合に勝った。父親も努力家ではあったのだが、それには賄いきれない部分が母親にはあった。

 無茶ぶりする母親に苦言を呈す父親だけれど、そこにギスギスしたものはない。

 ただ普通・・の親子の姿があった。




 それが一転したのは小学校卒業直前、母親が死んだとき。


『総花、別邸に移る。本邸の管理は頼んだぞ』

『はいい!? このタイミングですか?』


 葬儀後、突然言いだした親父に俺はその理由を聞いたが、親父はよく分けわからんことを言いだした。


『ようやく自分がやりたいことができるんだ。伍赤のためにではない、私のためにしたいことをだ』


 そのときからだろうな。皆藤家に盗聴を企てようとしたのは。ずいぶんと密偵たちと念入りに打ち合わせしたりして、バレないように綿密に計画を立てていたんだ。


『それはっ……あんず様がいたときにはできなかったのですか?』


 俺は母親のことをどこか少し遠く感じていたのだろう。幼稚園に入る直前にはすでに『お母さん』『ママ』『かか様』『母上』そのどの呼び方でもなく、『あんず様』というふうに呼んでいた。

『おふくろ』といったのは薔さんと話したときが初めてなんじゃないかな。

 しかし、父親は俺の言葉に関係なく飄々と呟く。


『野暮なことだな、総花。私とて人に迷惑をかけるつもりはないよ』







「どこがだよっ……」


 俺は怒鳴った。これが夢か現実かなんてどうでもよかった。


「人に迷惑変えておいて、自分は暢気に隠居って、どう考えても首領のやる事じゃないだろうがっ!!」


 自分の怒鳴り声で思いっきり目が覚めた。部屋に備えつけられている時計を見ると、七時二十分。生まれたてのような鋭い光が差しこんでいるところからすると朝で、決してまる二日とか長時間、眠っていたわけではないだろう。

 いつもに比べたら早くはないが、遅いっていうこともないだろう。

 出かける準備をして、少し体をほぐす。

 鈍っていないはずなのに、バキバキという音が鳴る。結構疲れがたまっていたんだろう。


 よおし、行くか。

 親父との決着をつけにいこう。

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