第51話 暗中模索

 昼休憩の終わりに俺は焦っていた。親父の携帯電話、親父がいるはずの別邸の固定電話、そのどちらに電話しても親父が出ない。それにお手伝いさんも出ない。やっぱり笹木野さんを使うべきか。でも、ここで使っていたら……――――


「ソウ」

「どうした」

「焦らないで。これは実戦じゃない」

「でもな」


 まさか櫻に諭される日が来るとは。

 たしかにこれは実戦じゃないからあまり気負わなくてもいいけれど、なんとなく不安になるんだ。とくにあの親父のことだから。

 どっかで無茶やってねぇかってな。


「私も榎木兄さんに聞いてみたけれど、あまりわかっていないようだった」

「そうか」


 櫻も尋ねてくれたようだったけれど、なにも詳しいことはわからなかったみたいだ。ということは。最初の噂については否定できるな。武芸百家のシステム的に前者をこそっとするっていうことはかなり無理がある。もっとも目の前のオンナがこそっと動いていたら話は別だけれど。


「きっと大丈夫だよ」

「ああ、そう願いたいな」


 今は素直に櫻の言うことを聞いておこう。それしか俺にはできない。







 授業後、慌ててきた理事長室には勢ぞろいしていた。昨日は姿を消していたはずの小萩さんも師節先輩も笹木野さんもいる。これでフィナーレとするからなのだろうか。

 流氷さんはいつものスーツではなく、新年の五位会議で着ていた勿忘草色の着物。これからなにか起こるんだろうかという不安を駆り立てる色だ。


「どうだ。二人とも『噂』は嘘かまことか見極めがついたか?」


 理事長の言葉にすぐに答えられなかった。櫻もどうするか悩んでいるようで、ただ沈黙だけがそこにはあった。


「私にはどちら・・・も嘘であると思います」


 しかし、櫻は覚悟を決めたように喋りだした。理事長はすっと彼女に返す。


「その根拠は?」

「まず『五位会議の中のだれかが首領を譲る』という言いかたは、病気やけがなどの正当な理由なく健康な状態で譲るというときにしか使われません。その場合、私のところにも立ち合い・・・・の通告が来るはずです。しかし、代理人である榎木兄さんのところにも来ていません。だから前者については真っ赤な嘘です」


 コイツの説明は理路整然としていて、すんなりと耳に入ってくる。説明を聞いた流氷さんは目を細める。


「ほう」

「そして後者。皆藤邸に密偵を忍び込ませるなんて、この世の中、武芸百家内の規律が緩やかになった世の中であっても、考えられません。命知らずな人はいない、そう信じたいです」

「『信じたい』、か」


 確証はないただの精神論。そこに流氷さんは着目したようだ。


「はい」


 櫻もそれに気づきながらも撤回しようとしない。多分、その握りしめている手には汗がびっしりと付いていることだろう。


「伍赤、キミはどう思うか」


 理事長は俺に問いかけてくる。あれ、やっぱり俺もこの櫻を試す試練の一つの手順に入っていたんですね。


「俺は……――前者については櫻の言うとおりだと思います。コイツは首領の一人。その情報は否定できないでしょう」


 俺は理事長の目をきちんと見ながら、慎重に意見を言っていく。前者はコイツの言うとおりであり、櫻に情報が行っていないのを考慮すると、否定してもいいだろう。


 だが……――


「では、後者は?」

「……――――正直、わかりませんっていうのが答えです」


 問題はそちらなんだよなぁ。正直なところ俺もそれが嘘であってほしいという『願い』だけはある。でも、確証がないのだ。


「というと?」

「櫻の言うとおり、精神論ではそう願いたいです。ですが……――」


 精神論だけではだめだ。そう理事長に言うと、ニヤリと笑う。まるで我が意を得たりというにやけ顔。


「伍赤の言うとおりだ」

「えっ? どういうことですか」


 一瞬、理事長の言葉にどういうことだと俺も考えてしまった。櫻はそんなことをだれがしたんですかと息巻いている。


「私とてそんなことはないはずだと願っていたし、まさかあの男がそんなことをするはずなんてないと思っていた。だが、残念なことにその男は皆藤家わがいえへ密偵を送りやがり、機密情報を抜きとろうとしやがった」

 一応こちらとて、やつにはとてつもなく悪いことをした身だから、それなりの謝罪をしたつもりだったのだがな。


 理事長の言葉を理解するのに時間がかかった。そして、その言葉を理解した途端、嘘だろと言ってしまった。


 まさか……――


 俺はさっき電話のつながらなかった人、伍赤柚太おやじのことを脳裏に浮かべてしまった。


「伍赤柚太を捕まえた」


 理事長の言葉に俺はただ言葉も出なかった。

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