第36話 五位会議 前哨戦

 草蓑に来てから九日目の朝。


 とうとうこの日を迎えた。昨日まではひたすら読書三昧だったけれど、今日は年末の挨拶のために皆藤本邸に行かなければならない。そのためにまずは正装に着替えなければ。

 昨晩のうちにここに着いたはずで、そこに正装がある。だから、そこに向かうと案の定、父親とその弟、かやさんが部屋で待っていた。

 叔父はどちらかというと兄である親父には似ておらず、結構恰幅がいい。その容姿はその息子の葵にしっかり受け継がれていて、二人が揃ったら見分けがつきにくいレベルだ。


「お久しぶりです」


 最後に父親と会ったのはあの呼びだされたときだったし、叔父とも去年の年末、もしくは今年の初め以来だ。とはいえどちらとも懐かしいという気持ちにさせてくれなかった。


「これに着替えが入ってる」


 叔父がそう風呂敷包みを渡してきたので、中身を見て頷く。この人のことだから間違いはないけれど、たしかに間違いない。

 入っていたのは正絹の着物。


「すぐに着替えます」


 俺たちが武芸百家であることはここの主人にも知られてはいるが、公序良俗のために扉を閉めて、薄暗い中で着替える。何度も着ているけれど、いまだに着慣れない。どこか着心地が悪いのだ。

 とはいっても手慣れているもんだから、着用するまでの時間は短い。さっさと緋色の上衣を羽織り、ひもを締め、同じ色の袴を着用する。いつもと変わらない着心地の悪さがあるが、それでも今日一日はこれで我慢しなければ。


「はぁ。いつかはこれに紋がつくのか」

 そもそも緋色の直垂を着用できるのは伍赤家本家のみ。今は親父と俺、叔父、そして従兄だけが着用でき、首領ものは区別できるように紋入りの上衣を着用しなければならない。

 それを着れることはいいことでもあり、悪い事でもある。




「やっぱりお前に合った色だな」




 飾り紐まで結び終えたあと、親父たちの元へ向かう。俺が出ていったあとに、二人とも素早く着替えたのだろう。二人ともきちんと整えられている。

 叔父が舐めるように見て、感心する。それは誉め言葉なのだろうか。まあ表情的には誉め言葉なんだろうけれど、どうも心地悪い。


「じゃあ、行くぞ」


 感心している叔父とは違って、親父の方は冷淡だった。まだ時間があるというのにさっさと行こうとする。叔父と顔を見合わせ、互いにおもわず苦笑いしてしまった。でも、それになにも言わずに従う。

 それが俺たちのやり方だ。


 先日駅から見えたあの建物、皆藤本邸は今日は霧に包まれている。


「やっぱり遅かったですかねぇ」


 前の方でなにかがあったらしく、受付が進まない。叔父がぼやくと父親は少しだけ嫌な顔をした。あの時間に行くように指定したのはどうやら親父の方で、自分が決めたことをあまり否定されたくないようだった。


 でもまあ、仕方ないよなと考えてしまう。


 毎年、この年末年始の集まりに『参賀』と称してほかの武芸百家も来る。

 会議には参加しない彼らがここに来るのは、上位五家への挨拶のためでもあり、コネクションを作っておこうという思惑があるからだろう。とくに近年は同年代の首領、次期首領が多い。だからその隙間を狙うためという思惑もあるから、こんなに多いのだろう。


 でも、五位会議が始まるまであと十五分。それに参加しなければならないのに、少しばかり遅かったのだろうか。そう思って前方を見ると、俺たちと同じような直垂を着た集団がいた。


「緑、海松……一松と師節だな」


 どうやら家色かしょくからして一松家と師節家、どちらも俺とかかわりのある家だった。叔父はふむと頷く。記憶が間違っていなければ、師節の首領はこの人の同級生だったか。親父と理事長、笹木野さん、櫻の父親の四人と比べて仲が悪いという話は聞いてないが、仲がいいとも聞いていない。ここはなにもツッコまないでおこう。

 祟らぬ神に災いなしだ。


「ここは裏道で行きますか」

「では、後ほど」


 そう提案してみると仕方あるまいなと親父も同意してくれ、すっと列を離れる。叔父は会議場には入れないから、とりあえずこの列で待つようだ。






 なのだが。






「……――げ」


 正直、回り道をして不正解・・・だった。

 前方から、理事長たち皆藤家の面々とすれ違うことになってしまったから。


「……――チッ」


 思いきり舌打ちしましたね、この人。

 いや、結果はわかりきっていたから、さもありなんといったところだけれど……――提案した人間としては責任逃れしたいもの。目をそむけたが、後々のことを思うと少し恐ろしくも感じる。

 まあいいや。


「久しぶりだな、柚太」

「……久しぶりだ」


 意外とピリピリしていなかった。もっとも理事長と父親の五位会議内での事務的なやり取り以外で二人が会話しているのを見るのはこれがはじめてだから、ちょっとだけ新鮮味を感じてしまったんだけれど。


「またあとで」

「ああ」


 賞味二言。

 ほんのあいさつ程度のやり取りだったが、なにかしらの意味があるのだろうか。普段は学校であえば挨拶してくれる理事長も、目配せさえもしてくれなかった。脇にどいて、理事長たちが通りすぎるのをただ待つことしかできなかった。


 しかし、こちらに向かってきたということは、今からどこに行くんだろうか。


「……行くぞ」


 親父も俺と同じことを思ったみたいだったけれど、その疑問を解決することもせずにいつもの場所に向かう。

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