第32話 いつでもコイツから

 そのあと、俺たちを待っている間に予約しておいてくれたというレストランにつくまでには櫻の機嫌はよくなっていて、茜さんと女子トークを繰り広げていた。


「茜さんって、好きな人とかいるんですか?」

「うん、いたわよ」

「その人とは結婚……」

「ううん。その人とは絶対にない。多分、あの人は……そうね、私のことを子どものようにしか見てない」

「えっ……」


 なんだかどんよりとした雰囲気だ。今日の空とは正反対。俺だけ置いてきぼりにされていたけれど、それはそれでいいか。


 茜さんの好きな人かぁ。


 この場に薔さんがいなくてよかったかもな。多分、あの人が聞いたら発狂するだろう。壊れる。


「大丈夫よ、気にしないで。あの人には頼れる人だって身近ではないにしてもきちんといるから、私がずっとそばにいなくても大丈夫。それに今は楽しいことを見つけたみたいだしね」


 そう言う茜さんの顔はすっきりとしたものだ。しかし、この人が好きな人かぁ。かなり年上で、茜さんの身近にいていない・・・・・人。なんとなく想像はついたけど、まさか。


 ないよなぁ。予想が当たっていればとんでもなく変人だ。

 ……――いや、そもそも武芸百家という存在自体が変人の集団だったな。



 そんな二人のやりとりを聞きながらついていくと、かなり立派なレストランに入ろうとする茜さん。この門構えを見たことがあるな。たしか間違ってなければ高校生の財布じゃ心許ないんですけど。


「茜さん」

「ん? あら、気づいちゃった?」


 俺の予想したのはどうやらあっているようだ。振りむく茜さんの表情は非常に涼しげだ。櫻は知らないようで、ただ首を傾げている。


「大丈夫よ。ちゃんと理事長には都合つけてもらってるから」

「いや、そういう問題じゃなくて」

「じゃあ、どういう問題よ」


 まさかこの人、素で言ってるのか。それともなにか対策・・しているのか。


「ドレスコードは大丈夫なんですか? たしか親父からはセミフォーマル以上でしないと入れないと言われたんですが」

「ああ、そんなことね。それも含めてよ」


 どうやら杞憂だったようだ。


「ここは笹木野さんの知りあい・・・・が経営してる店だから、ある程度は融通がきくの」

「はあ」


 笹木野さんの知り合いって。


 なんだか面倒な知り合いのようだ。いや、この場合、笹木野さんが面倒な知り合いなのか。


「本当は年齢制限があるけど、それも特例でね?」


 茜さんのウィンクは可愛いんだけど、怖い。でも、そのおかげでこうやって使わせてもらえるのならば、存分に使わせてもらおうか。






 レストランに入った俺らはその調度品に圧倒された。

 理事長室もかなり重みがあったけど、それ以上にここは歴史を感じさせる年季ものの数々だった。

 オーナー兼シェフは笹木野さんの知りあいということだから、多分あの人と同じくらいの年齢だろう。理事長や笹木野さんとはまた違った渋さが出ていた。すでに用意しておいてくれていたようで、前菜オードブルから運んできてくれた。


「凝っていますねぇ」


 ひとつひとつのスプーンに載せられたサーモンのカルパッチョ。見た目からしてかなり鮮やかで、『芸術作品』と言われるだけのことはある。


「そうね。総花君はこういった料理は好き?」

「なんとも。なにせはじめて食べたもので」


 少なくとも俺は櫻と違ってまだ首領じゃない。こういったところで食事をする機会なんてまだない。


「櫻は二回来たことあるんだっけ」

「うん。ここじゃないけど、首領に決まったときと入学前に、理事長に連れてきてもらった」


 ああ、そうか。

 コイツの場合、高校入学の直前でバタバタしてた・・・・・・・けども、理事長と話す機会はあったのか。


「じゃあ、食べ慣れたものね」

「どうでしょう。ソウの作る料理の方が好きなので」

「……おい、シェ」


 シェフに失礼だろと言おうとして黙らざるを得なかった。櫻の後ろに先ほどのシェフさんが立っていて、にこやかにこちらを見ている。お前のせいでちょっと怖いんだけど。


「では、櫻お嬢さんにぎゃふんと言わせられるようにこれからも精進させていただきますね」


 すみません。笹木野さんの知りあいにそんなことを言わせてしまって、あとで笹木野さん経由で謝罪させていただきます。


 本当にすみません。


 俺の作る料理なんて、缶詰と手元にある調味料で調理するだけなんで、俺としてはシェフの作る料理の方が格段においしいです。


「気をつかわせてしまったようですが、大丈夫ですよ」


 ありがとうございます。

 俺のひきつっているだろう顔を見ながら初老のシェフが軽く頭を下げる。



 本当になにからなにまで気を遣わせてしまったようだ。ここは気が進まないけど親父に頼んでみるか……

 櫻の不用意な一言のせいで緊張感が高まったけれど、スープ、魚料理、口直し、肉料理を食べ、最後にデザートが出されたころにはコイツもこの店の虜になっているようだった。


「どうやらシェフとの相性が悪かったようね」

「なるほど、その可能性もありますな」


 アイツが手洗いに行っている間、茜さんがそう推測する。先ほどのシェフも出てきていて、なるほどと頷いていた。


 茜さんの言葉は間違いないだろうな。アイツの場合、そもそもかなり偏食家だし、なにより行ったことがないレストランでの食事を基本的に嫌がる。カフェ・ド・グリューは昔から親父さんに連れていってもらっていたそうだし、なにより食事を頼まないから、行くことを嫌がることはないけれど、それでも自分から行こうとはしない。


「ところで、伍赤のお坊ちゃん」

「なんでしょう」


 シェフがいきなり俺に声をかけてくる。


「この先お坊ちゃんはどうするんですか?」

「どうするとは?」


「たとえば進学するにしても、流氷みたいに武芸百家と関係ないところに行くのか、柚太みたいに体育科のある大学に進学するのかということです。同じ首領といっても、さまざまな道があると思いますが」


 シェフはいったい何者なんだ。


 いや、笹木野さんの知りあいということは武芸百家このみちの人、もしくは武芸百家このみちをよく理解しているんだろうけれど。


「そうですね。まだ決めていません」

「というと?」

「もちろん父のようにも理事長のようにも進むことはできますが、できればそうですね、櫻と一緒に過ごす時間が短い・・ほどいいのかもしれません」


 俺の願望にそうですかと真顔で答えるシェフ。この人はなにを聞きたかったんだろうか。その問いかけの真意を理解できなかったが、きっとなにかしらの意味はあるんだろう。


「では、またのご利用をお待ちしております」


 店を出るときにシェフはにこやかに送りだしてくれた。

 あのあと戻ってきた櫻は、先ほどはあんなことを言ってしまって申し訳ありませんでしたと謝罪していたが、正直俺にはどうも引っかかっていた。

 もちろん謝罪するのは正しい。でも、もし櫻が本気で思っているのならばその謝罪は必要ない。


 まあコイツのことだから、あまり深く考えていないのかもしれないが。

 それ以上は考えることをやめた。

 どう考えたって、理解できないものは理解できない。


 それはほかの人に対してだって同じだ。


 帰り道では茜さんも櫻もさっきの話題を持ちだすことをしなかったので、俺ももう考えることをやめた。

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