ブロウ・ダウン!
20人も入ったら満席になりそうな小さなライブハウス。詰めればもう少し入るかな。
「このくらいのハコならあたしたちでもどうにかいっぱいにできるの」
「スタンディングはきつそうだね」
「ここは立つところじゃないからね」
「バンドじゃなくて弾き語り向きなのかな」
「あたしたちのバンドって、シアトリカルなところもあるから」
「ちょっとした実験かな」
僕とユキちゃんは彼女のバンド「フェアリーテール」の前座で何曲か演奏することになっていた。ユキちゃんが言ったように今日のバンドの演奏には演劇的要素が組み込まれていて、セットリストもいつもと違っているようだ。残念ながらこのハコではライティングが思うようにいかないようだけど、僕もライティングの手伝いをすることになってしまっていた。
「曲はユカちゃんが書いてるの」
「全部ではないけれど、もともと彼女がはじめたバンドだから」
「詩もユカちゃんとヴォーカルのユミちゃんが二人で書いてるの」
「ジェネシスとか好きなのかな」
「ユカはフランスのバンドが好きみたい。アンジュだったかな」
「天使だね」
客が少しづつ集まってきていた。ユカちゃんとユミちゃんは馴染みの人たちに挨拶をしている。僕とユキちゃんは楽屋のほうに入っていく。その時ハイソックスとすれ違った。
ハイソックスと別れたあと、家に帰ってみると少し様子がおかしかった。僕を見ている視線を感じる。僕が鍵を開けて中に入ろうとすると、スーツを着た男が二人僕に近づいてきた。
「この家の人ですか」そう言って手帳を見せた。
ちょっと待って。どうして刑事が僕の家に来るの。とりあえず僕は二人を家の中に入れた。
「突然申し訳ありません。ところであなたは」
僕が出したインスタントコーヒーをすすりながら年上のほうの男が言う。40代ぐらいだろうか。もう一人はまだ20代くらいに見えた。
僕は二人に事情を説明した。そして僕がこの家ではよそ者であることを思い知らされた。僕はただあいつの恩情でこの家に置いてもらっているに過ぎない。
僕はあいつに電話をかけたけれどつながらなかった。電源を切っているようだ。会社に電話すると今日は出勤していないということ。
「実はある山中で白骨遺体が見つかったんですが、どうもその遺体がここのご主人らしいんです」若い刑事が僕に言った。
そこで僕はあいつのダンナと全く面識がなく関わりがないことを、刑事に納得させながら説明しなければならなくなった。どうも二人の刑事は、ある程度の事情は知っているようだった。
「明日までに奥さんと連絡が取れればいいのですが」
残ったコーヒーを飲みほした後、年上の刑事が僕に言った。若い刑事は結局コーヒーには手をつけずに、意味ありげな笑みをうかべて僕を見たあと席を立った。明日この家の家宅捜索があるらしい。
「ねえ、今日なんか用事ある」
「特にないよ」
「そう」
「スクランブルエッグがよかった」
「いいの、ベーコンエッグで。カリカリのベーコン好き」
しっかりと焼いたトースト。最近のあいつのお気に入りだ。それにバターとマーマレードをたっぷり塗る。僕はバターとブルーベリージャムだ。ヨーグルトにオレンジジュース。
「コーヒーはいいの」
「会社で飲むから」
いつもと同じ朝。あいつは時計を見て家を出ていく。ハイソックスに会うことはあいつに言わなかった。あいつは知ってたのかな。
「ごめんね、急に頼んじゃって。本当に良かったの」
「大丈夫。あたしカレシいないし」
ユキちゃんがそう言って笑う。
「何か嫌だよね、あの家にいるの」
「お姉ちゃんはまだ戻ってこないの」
「ずっと行方知れず」
「あたしもダメ。メールは届いているみたいだけど」
「サーバーにね」
多分あいつはずっと電源を入れていない。
「ねえ、ちょっと合わせてみる」
ユキちゃんがリッケンバッカーを抱えてそう言う。
「でもギターがない」
「ジャズマスター使って」
「いいの」
ユキちゃんが微笑みながらうなずいた。
もうユキとのライブは何回目になるのだろう。すっかり息も合ってきた。
「当たり前じゃん。一緒に住んでるんだし」
ユカちゃんが隣で僕にそう言う。ユカちゃんはすごく機嫌がいい。
「あいつら気に入らなかったからね」
「でも本当なの殺人って」ユキの不安そうな顔。
「主犯じゃないらしい」
僕があの家に行ったのは警察に呼ばれたあと、荷物を取りに行った時が最後。あの時以来、僕はずっとユキの部屋にいる。今あの家はあいつの亡くなった旦那の家族が管理しているらしい。あいつはいまだに行方不明。
「ねえ、あのカメラはどうしたの」
警察署の片隅でハイソックスに会った。
「もちろん、処分したよ」
ハイソックスは小声で僕にそう言ってニヤリと笑う。
「さあ、頑張ってきて」
僕とユキはユカちゃんの声に押し出されるようにステージへと向かう。
ブロウ・ダウン! 阿紋 @amon-1968
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