公園の奥の方に
公園はいつも通り。僕もいつも通りのベンチに腰を下ろして、なだらかに広がる芝生とその間をすり抜けていく小径をながめていた。黒マントを見かけて、ハイソックスに玄関の前で呼び止められたあの日。いつも通りだと思っていたあの日は僕にとっては特別の日だったんだろうか。朝夕は涼しくなってきたとはいえ、昼間は相変わらず暑い。黒い日傘の女性。そう青味がかった黒い日傘を持った人。あの人は今もこの公園の中を歩いている。赤味がかった黒い帽子の男性はどうしているのだろうか。そう、たしかにあの人は男性だったと思う。
「あなたの曲聞いてくれるって、ユキちゃん」
今日の朝食の時にあいつが言っていた。
「あたしはいいと思うんだけどな」
「他の人にも聞いてもらわないと」
「自信ない」
「自分ではいい感じだと思うけど」
「いいんじゃない。あの子なら大丈夫だよ」
あいつはそう言って仕事に出かけた。
僕は立ち上がって普段は行かない公園の奥のほうに歩いていく。たしかこの先には薬科大学が管理している植物園があるはずだった。不定期ではあるけれど公開もされている。道が二つに分かれている。片方には植物園の表示が出ている。僕は表示の出てない方の道を行くことにした。
「やっぱりはっきりしないね」
「もっと大きくできないこともないみたいだけど、これ以上伸ばしてもね」
「デジカメみたいに簡単にはいかないよね」
「あたしが見た映画では、カメラマンが自分で現像してたから」
「自分が思うようにできるんだよね。調整したり、よくわからないけど」
「たしか写真は白黒だったような」
「モノクロームか」
ハイソックスの写っている部分をズームして大きくしてもらったんだけど。結果的にはハイソックスそのものがぼやけてしまった感じになってしまった。
「でもこれは間違いなくあの人だよ」
僕も嫁と同意見。ピントがぼけているのだからしかたがないのだけれど。ここに移っている人の醸し出す雰囲気は間違いなく彼女のそれと同じに思えた。
「でもあの人がこの写真を欲しがる意味が分からない」
「どんなふうに撮れてるかわからないからね」
「それに、僕たちが気づかない何かがあるのかもしれない」
嫁は納得したようにうなずきながら、まだ考えている。しばらく考えたあと、ケータイを取り出した。
「ユキちゃんからメール来てる」嫁はニヤニヤしながらメールを読んでいる。
「ユキちゃんも興味あるみたい」
「ユキちゃんに話したの」
「メールしただけ。写真も添付したけど」
もし何かあるとすればユキちゃんは巻き込まない方がいい。何かある可能性は低いと思うけど、全然ないわけじゃない。
ユキちゃんはリッケンバッカーを持って家にやってきた。チェックにユニオンジャック。そんな感じの恰好をしている。
「どうかなあ」
「リッケンバッカーに合わせてきた」
「ねえ、今度一緒に服買いに行こうよ。フクロウさんも衣装合わせないと」
ユキちゃんはやけに楽しそうだ。
「お姉ちゃんにはちゃんと言っておくから」
ユキちゃんは僕の嫁のことをお姉ちゃんと呼ぶ。というか僕とユキちゃんはギターデュオとして活動することにいつの間にかなっていた。
「BCリッチは買わなかったんだ」
「デザインはいいんだけど」
「それに、弾き語りのバックならリッケンバッカーがいいと思って」
それなら僕は12弦でも鳴らすようなのかな。ロジャー・マッギンみたいに。それよりも問題は曲なんだけど、ユキちゃんのイメージとはちょっと違うような。
「お姉ちゃんはいい曲だって言ってた」
まあ、あいつはなんでもOKみたいな感じだし。まあ逆に、知ったかぶりの人よりは信用はできるんだけれど。
僕はストラトキャスターをVOXのミニアンプにつないだ。ユキちゃんは僕よりもギターをじっと見ている。
「カッコイイ。弾いていいですか」ユキちゃんの目が輝いていた。小さなヘッドにメイプルネック。ボディはタバコサンバースト。僕も気に入ってるんだよね。
分かれた道は海のほうにつながっているように思えた。港が見える丘公園。そんなはずはない。この町のどこからも海なんて見えないのに。多分この道の先から見えるものはくすんだ町並みだけ。道の先には空と雲が見える。ここからは少し上り坂になっているから。道の先に見える植え込み。ひざくらいの高さの植え込みが不自然にその場所だけ植わっている。まるで何かを隠すように。そうかハイソックスが立っていたのはあの植え込みのところ。僕は早足でその植え込みに向かって歩いていく。植え込みの向こうには柵がめぐらされている。あの場所は公園のはずれなのだろう。僕は植え込みのとなりに立っていま来た道を振り返る。写真を撮ったのはあの辺だろうか。
「ねえ公園の奥のほうにある植物園に行ったことある」
「場所は知ってるけど、行ったことはないなあ」
「あそこは大学が管理してるから入れないでしょう」
「年に何回かは公開してるみたいだよ」
「へえ、そうなんだ」
「それよりさ、その植物園に行く途中に分れ道があるんだ。その分かれ道を植物園じゃない方に行ってみたらあったんだよ」
「何が」
「あの写真に写っていた場所」
嫁はあまり関心がなさそうな顔で僕のほうを見ている。
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