HOTEL
@enononono
とある日記。
私は、電車の中にいた。
徐々に下っていく、外の景色は、コンクリの暗闇一色。
車内には、金の刺繍をあしらった赤のカーペットが敷かれており、ところどころ、空席はありつつも、ほとんどの席は見知らぬ者たちが座っていた。
窓の手前には、一人の人間がいた。
「ぼく、そろそろ引っ越すんだ」
頭にはリボンが付いていて……ピーコートを羽織っている、ボブカットの少女のような容姿であったが、その声は、男性に近かった。
男とも女ともつかないその者を、ひとまず、“彼”と呼ぶことにしよう。
「今住んでる場所からは、遠い場所で……ああ、見せた方が早いや」
“彼”は、ポケットを探る。
私は、一つ、くしゃみをした。
その時は、どうも、風邪気味であった。
鼻をかんだちり紙の行方を見つけられず、トレンチコートの、過剰なまでに大きなポケットの中にしまい込んだ。
「ちょうど、こんな」
“彼”が、光る板を取り出した、その時だった。
“彼”の背後の景色が、窓の向こうの景色が、がらりと変わった。
トンネルを抜けたのだ。
そこにあった情景は、あまりにも幻想的過ぎて、この世のものではないようだった。
巨大な球がくりぬかれたかのような巨大な空間……日の光はない、夜の暗闇もない、完全に外界から遮断された空間、だのに、その穴には、光が満ちていた。
光源は見当たらない、ただただ、光だけがそこにあった。
そして、その光を反射し、空色に光輝く無数の水晶体が、湾曲する岩肌に生み出されていた。
きらり、光を反射し、水晶は私たちを窓越しに照らす。
私は興奮して、“彼”に向かってまくし立てた。
この景色を見て、まともでいられるものはおそらくいないであろう……他の乗客にあっても、一心不乱にスマートフォンを構えて、シャッター音を鳴らしていた。
しかし、
「ふぅん、そう」
“彼”の反応はそっけないもので、
「それでさ、ここなんだけど」
と、すぐさま、中断された話題へと、会話の方向を転換させていた。
気が付くと、もうあの景色は、窓からは見えない。
地下鉄のようなトンネルが、また、覆っていた。
そこから先の会話は、よく思い出せない。
寝てしまっていたのだろうか、次の記憶は、アナウンスから再開された。
「まもなく到着いたします。大きなお荷物をお持ちのお客様は、通路へお出しくださいませ。係員が回収いたします」
そうだ、私はキャリーバッグを持っていたのだった。
“彼”もまた同じであり、ほかの客がそれを出すのと同じように、通路に荷物を置いた。
またひとつ、くしゃみをした。
くしゃくしゃに丸めたティッシュをポケットにしまおうとして、そうだ、もうすでにいっぱいになってしまっていたのだった、と気が付いた。
狭い通路を行く男性、品のいい、おそらく制服だろうものを纏う男性が、がらがらと、荷物を運びながら、私に気が付くと、
「回収しますよ」
と言う。
すっかり軽くなったポケットに、不審な安心感を感じていると、もうすでに、道をふさいでいた荷物も、人の波もなくなってしまっていた。
“彼”と私はやっと立ちあがり、革靴とブーツで赤のカーペットを踏みしめ、白のドアからホームへと降りた。
そのホームは、どこか見慣れたホームのようで、しかし違和感があった。
私の知っている色とは、全く違ったのである。
さて、ようやく道筋に沿って進もうとしたその時だった。
電車のドアが閉まり、どこかへ行ってしまう。
おかしい、終点ではなかったのか?
どこへゆくのだろうか、標識を探そうにも、見つけることはかなわなかった。
上に昇る大きなエスカレータに乗りながら、その電車の全貌をとらえることができた。
灰色の、六両編成の列車だった。
そのエスカレータの構造は不思議なもので、大階段がそのまま機械に変じたようであり、木製の手すりは動かず、ただ階段が上昇するのみ。
大理石の床に乗った。
そこは大きな広場のような場所であり、ヒトが四つに分かれ、列をなしていた。
その先に何がいるのか、果たして、いたのは、あの男性と同じ制服を着た駅員。
ただ黙々と、小さなリフトに、客の荷物を積んでいくのだ。
なんだ、荷物を渡しているのか、もらいに行かなくてはいや、そうだ、私たちは荷物を渡してはいないではないか。
私は、すっかり、興味を失ってしまっていた。
先行していた“彼”の、背中を追った。
少し行ったところに、改札のような、その奥にエレベーターが見え、私たちを出迎える、ゲートがあった。
切符を渡されては、印を入れ、切り裂いては、その一端を客に返す者がいた。
客もまた、それを受けて初めて、満足げにエレベーターに乗っていくのだ。
すなわちそれをせねば、ここから先へは進めないのだと。
さて、私は切符を持っていただろうか、持っていたとして、どこへしまった?。
懐を探っても、見当たらない。
当惑する私に、
「はい」
と、“彼”は、探し物を手渡した。
それでは、君はどうするのだ、そう尋ねる前に、私は“彼”の手元にある全く同じものに気が付いた。
ああそうか預けていたのか、と、そのとき、私は思っていた。
場面はエレベーター内へと移る。
上昇する箱の中には、私と“彼”以外にも三組の者がおり、また、エレベーターボーイがひとり、それでも有り余るほど大きなものであった。
「足元にお気を付けください」
ポーン、と音が鳴って、エレベーターのドアが開く。
そこは、エントランス。
ホテルの……エントランス。
四角形に近い形状、その一角は、一面ガラス張りになっている。
車窓から見えた、あの幻想がまた顔を見せていた。
「見てきなよ。ぼくが、受付をやっておくから」
つい見とれてしまっていたのを“彼”は察して、気遣って、しかし不満げにいう。
だがしかし、私は、負けてしまうのだ、その景色を見ていたいという欲に。
やはり、私が知っている地上よりも、よっぽど明るいに違いない。
この景色をそのまま、持って帰れないものだろうか……ああ、なぜ、“彼”はあれほどまで興味を示さないでいられるのだろう。
ガラスに、手を触れていた。
一歩でも近くで見たいのだ。
この仕切りが、無くなってくれればいいのに……とすら、想ってしまう。
自分の顔の向こう側に映る景色を、ただ眺める……ふと、その時、不安に思うことがあった。
……私は、こんな顔だったか。
いや、そうだ、そうに違いないではないか。
何を言うか、そう、私の目と鼻の配置もこうだし、口だって変わらない、髪型が変わったかいや黒の短く切ったこの頭のままだ。
「いくよ」
思考にとらわれる、そのさなか、掬い出したのは“彼”。
後ろには、案内役だろう、中肉中背の男性がいた。
……どれほど歩いただろうか、薄暗い廊下、左折したところ、たどり着く。
「こちらです」
示された部屋の中に入る前に、その男性に、会釈した。
そこは、個室である。
部屋からは外の様子が確認でき、私は、あの景色と再会することになるのだった。
また吸い込まれていくその前に。
「シャワー、使えば?疲れてるでしょ」
“彼”にそそのかされるがまま、ああ、叩き込まれてしまう。
そうだ、汗だくになっていた。
いつから旅をしていたのだろう……ずいぶん長く、旅をしていたようだ。
コートを脱ぐと、なんだろうか、違和感を感じた。
なぜ、私は、拘束服などというものを着ているのだ?
「どうしたの」
異変を感じたようで、“彼”がドア越しに話しかける。
なんでもない、そう返しても、どうしようもない。
どうやって脱いだものか、さっぱりわからない……ただ、ここで“彼”に助けを求めるのは恥ずかしかった。
「大丈夫?」
大丈夫。
やけになって、どうしようもなくなった私はそう返答して、シャワーを服を着たまま、頭から浴びた。
後になって、どうかしていた、と思う。
よっぽど気が狂っていたのかもしれない。
シャワーを浴びて、なぜか、そこで革の拘束がほどけるのだ……あまりにも不可解であった。
無性に腹が立って、水を吸い重くなった白の服を放る。
一糸まとわぬ姿になったころに、“彼”は、シャワールームに遠慮も許可もなく立ち入った。
“彼”は動じない、ただ私の情けないさまを見るだけだ。
投げ捨てられた服を指先でつまみ、ドアも閉めず、拘束服を抱えてキャリーケースを開く(ぎっしりと、同じ服が詰まっている)。
「はい、これ、着替え」
たたまれたまま洗面台に置き、“彼”はドアを閉めた。
結局、同じ服を着るほかにない。
バスローブすら用意されていなかった。
ベルトと結び、外に出ると、ベットの上で“彼”は、すでに寝息を立てていた。
私と同じように、ひどく疲れていたのだろう。
まだ、外は明るいのに……
カーテンを閉めたとたん、全く光が入ってこなくなるのだ。
消灯すれば、そこはもうくらやみである。
私も、ベットに伏せた。
時が、通り過ぎてゆくようだった。
不思議と、眠った心地がしない。
しかし
「早く、起きて‼」
と“彼”が言うのだから、よっぽど長く、深く眠ってしまっていたのだろう。
外はずっと明るい、朝なのか、昼なのか、それとも夜なのか。
「早くいくよ!もう時間だ」
時間?なんの話だ。
「準備はできてる。早く、起きて!移動するよ!」
“彼”は、私の様子も見れないほど……どういうことか聞いているというのに、無視して、慌ただしく部屋を飛び出す。
キャリケースを引いて後を追うと、昨日(はたして、昨日と形容して良いものか。私の中に不満はあるが、とりあえず、昨日ということにしようと同じ)案内がいた。
「お待ちしておりました」
周りに、他の人間の気配はない。
私たちが、置いてけぼりにされてしまったのか?
「他の方は、もう外に出られましたよ。……さあこちらへ。案内いたします」
案内は、“彼”の手を引く。
荷物持ちになった私は、嫉妬に近い感情を抱きながら、エレベーターへ向かう。
ガラス張りのエレベーター内のこと、空洞が一望できる中、ゆっくり降っていく。
足元もガラス、足がすくんだ。
しかしその先に小さな穴が見えたちょうどこのエレベーターが通れるぐらいの……
そうか、この空洞を抜けるのか。
心惜しい。
青の水晶が、私を逃すまいと輝きを一層増したようだ。
さようなら。
エレベーターは、穴へ、突入した。
場面は切り替わる、空間が全く変わる。
トンネルを抜け、眼下に見えたのは、浮かぶように存在する建物。
もっと異様なのは……その空間よ。
葵水晶の代わりに存在したのは……真っ赤な、紅、紅、マグマ。
空洞の壁を伝う、マグマ!
幻想的、夢の中のようだった景色がこの上に存在するなど、嘘のようだ。
それよりも、限りなくうつつに近い。
美しい、それは否定しない、しかしこの美しさは、猟奇殺人鬼が血を観て恍惚するのに近いだろうと。
「まもなく、到着いたします」
案内された部屋(そう、ここもホテルだった)は、同じような構造をしていて……同じようにマグマが望める。
「疲れたでしょ、シャワー使いなよ」
“彼”の提案を断った。
また、ああなっては困るのだ。
かわりに彼が、シャワールームへと足を運ぶ。
寝てしまっていた。
おはよう……今、いつだ。
移動はまだか。
“彼”に尋ねた。
……“彼”は、どこだ。
部屋を飛び出した。
外は真っ暗だ。
ああ、君よ!
私はここを知らない、おいて行かないでくれ。
いつのまにか、通路は輪郭を失っている。
緑の光が、ちょうど、誘導灯の光のような……それだけを頼りに、ただ進んでいる。
もう何時間過ぎた?
ああ、もう、移動しなければ、外に行かねば……外とはどこだ、私は何をしているのだ。
緑の光が、ああ、こんなにも頼りない。
頭の中で罵った瞬間、緑の光が牙を剥く。
私は逃げた……光が、私の背中を追う。
助けてくれ。
叫ぶ。
すると、その時だった。
「どうかなさいましたか」
暗闇の中に、ポツンと、一人の中肉中背の男性が。
あの案内が、手を差し伸べているではないか。
その手にすがった。
「もう時間ですよ」
男性は、私の手を引く。
ちょうど、“彼”にしたように……。
「また、次の部屋へ。参りましょう。あなたの旅の、目的のため」
……私は、何のために、ここに来たのだろう。
「帰るためです、帰るべき場所へ……」
纏っていたものは、消え失せていた。
あられもない姿の私が、豪華な部屋の中に。
窓はない、外の様子は確認できない。
時間の流れが、やけに早い。
牢獄のようだと……そう感じた。
ガチャリ、とドアが開かれた。
私の裸体と、長い白髪が、ドアに先の光に照らされる。
そこにいたのは見知らぬ人間。
それと……“彼”。
「これはあなた。あなたの姿」
そこで。
ようやく。
目が覚めた。
HOTEL @enononono
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます