硝子越しの篭球

Barufalia

彼が眼鏡をかける理由

 真夏の体育館、冷房機能の類は存在せず体を冷やすのは外から流れ込む微小の風のみ。

 そんな中、私の目の前で一つのボールを賢明に追いかけて走るメンバー達。ボールは縦横無尽にコートを飛び回り、やがてひときわ高く上がると緩やかな軌道を描いてゴールに収まる。

 私がこのバスケ部のマネージャーになってから何度見たかわからない光景だ。それでも、飽きることなく私はその光景を目で追い続けていた。

 ゴールが決まると、そこで練習終了の笛が鳴る。さっきまであんなに走り回っていた部員たちは力を使い果たしたようにその場に倒れこむ。夏の暑さで余計に体力を持っていかれるのだ。この季節はいつもこんな状態になる。もう大会も近く、特に気合が入っているこの時期はなおさら気合が入っている。

 私たちマネージャーはタオルと飲み物を持って一人一人に渡して回った。部員のサポートは言っても楽なものではない。そもそも私を含めて三人しかいないのだ。スムーズにマネージャーの仕事をこなすには圧倒的に人数が足りない。今年に入って人数が減ってからは私たちマネージャーの負担も顕著になったが、私はめげずに続けていた。一人の幼馴染のために。


「お疲れ様、晋太郎」

「おお、いつもありがとうな」


 私は最後の一人に他の皆に渡すものと一緒に別の布を渡した。彼の眼鏡クリーナーだ。

 三風晋太郎。小学校からの幼馴染だった。ずっとバスケ一筋な奴で、私が一緒だろうがなんだろうがひたすらにバスケをして、バスケの話をしていた。「マイケル・ジョーダン」の話なんて、もう何度聞いたかわからない。

 おかげで私もそれなりに、特にNBAに関してはそこそこ知識がついてしまった。

 どうでもいいが私が好きな選手はステフィン・カリーだ。あんなにきれいに、スムーズに3Pを決められたら誰だって惚れてしまう。晋太郎にこの話をしたら止まらなくなるのでここで話しておこう。

 

 その関係に不満があったわけではなかった。私も彼のバスケをする姿は好きだったし、どこまでもひたむきに努力を続ける彼を応援しようとずっと思っていた。


 そんな彼も高校三年で部のエースとなり、私はマネージャーとして部を支えている。皆を引っ張る彼の姿をかっこよく思うのと同時に、一つ腑に落ちないこともあった。

 それが晋太郎の眼鏡だった。バスケで眼鏡をかける人間なんて、ほとんど見たことがない。少なくとも、彼がこれまで話してくれたバスケ選手にそんな人はいなかった。

 絶えず動き続けるバスケで眼鏡というのはそれだけで一種のハンデのようなものだ。少しずれても視界がゆがんだり距離感がぼけたりする。ゴールの小さいバスケでは、それは致命的だ。実際、それなりにミドルからのシュートの上手い彼が外す原因のほとんどはそれだった。シュートを外した後、決まって眼鏡を調整しているからすぐにわかる。レイアップはあまり影響はないみたいなのだが、それでもゴールの狙いが定まらなくなって外すことはある。

 それだけでも大問題なのだが、彼の問題はそれにとどまらなかった。

 練習中にジャンプシュートの最中に眼鏡が落ちて踏み割ったり、顔面にボールが直撃してずれたりと、破損が非常に多いのだ。眼鏡をはずすとバスケどころか日常生活にも大きな支障をきたすので、もちろんそうなったら続行は出来ず、すぐに店に行って修理をしてもらわなければならない。

 この前なんてツルが折れて修理に行ったところ、部品の在庫が無いと言って結局数日間ほとんど動かずに出来るフリースローを延々とやっていたのだ。


 もちろんそんな状況を皆良しとしているわけではない。

 ことあるごとにメンバーも、顧問もコンタクトに変えるよう提案している。私も一度そう言った。

 当然だ。部活にとっては彼はエースだ。私にとっても・・・大事な幼馴染なのだ。そんな彼が大きなハンデを背負って活動を続けることを推奨出来ようはずもない。

 しかし、彼は今現在でもそのまま活動を続けている。「そんなのは俺の勝手だろう」といってまったく聞き入れようとはしなかった。

 彼が引き下がる気がない以上、もうこちらから下手な口出しは無意味だった。

 だが、もう最後の大会が迫っているのだ。どうしても、晋太郎には万全の状態で挑んでほしい。今までも試合中に眼鏡が破損して出場できなくなったこともあったのだ。今回は、そんな終わり方は絶対にしてほしくない。

 学校からの帰り道、私はもう一度言うことにした。


「ねえ、晋太郎」

「どうした、美沙?」

「眼鏡、やめたらどう?前も壊して部活の半分くらい休んだでしょう」

「・・・またその話か。どうしようが俺の自由じゃないか」

「勝手じゃないの!!」


 思わず大声が出てしまった。こんな声を出すのは随分と久しぶりだった。晋太郎も驚いたようにこちらを見たまま固まっていた。

 恥ずかしさで顔が熱くなるが、なりふり構わず私は続けた。


「私は晋太郎に後悔してほしくないの。もし眼鏡が原因で試合に出れないなんてなったら、それでシュートを外して負けちゃったら、絶対後悔する。バスケはチームなのよ。みんなで勝つために戦うの。それでも眼鏡が良いなんて言うなら、ちゃんとした理由を聞かせてよ」

「・・・美沙に怒られるのなんて久しぶりだな」


 晋太郎の口ぶりは相変わらず軽かったが、ふざけている、というわけではないようだった。一度足を止め、近くの土手に座り込む。

 少し悩んだが私も彼の隣に座った。こうやって隣で座るのは思えば久しぶりだ。再び顔に熱を帯びてきたので慌てて思考を追い払って晋太郎の言葉を待った。


「なぜ眼鏡を止めないのか。簡単だ。バスケのゴールが上にあるからだ」


 ふざけているのかと思った。再び怒号をぶつけようと思ったが、どうもそういうわけではないようにも見える。そう語る彼の顔は真剣そのものだった。


「誰かが言っていた。眼鏡は下を向くとずれちまうから、正面か上しか見れないんだって。だから、俺は後ろ向きな自分を封印するために眼鏡をかけるんだと。随分前に見た言葉だが、俺はそれに惚れちまった。するとどうだ。バスケのゴールはあんな見上げる場所にある。そのゴールを目指す限り、常に上を向いていなきゃならない。いつだって下を向いている余裕なんてない。だから眼鏡をかけてるんだよ」


 彼は眼鏡を外し、夕焼けと重ねるようにそれを見る。もう高校三年だというのに、すごく純粋な目でそれを見ていた。

 一体他の人間が聞いたらどう言うだろうか。ふざけていると一蹴するだろうか。少なくとも私は、それを否定する言葉は持ち合わせていなかった。

 多分、これは彼なりの覚悟なのだろう。


「それに、決めてるんだよ、こいつと一緒にてっぺんに行くってな。頂点を見るまでは、俺はこれを外す気はないさ」

「・・・そっか、ならもう私は何も言わない。頑張ってね」

「わかってくれてよかったよ」


 私は立ち上がって土手を上がる。迷いは消えたわけではない。ただ、幼馴染として彼の覚悟を応援したいと思っただけだ。あれで負けたりなんかしたら、きっとみんなに責められるだろう。それいったことかと。お前のせいだと、それでも、晋太郎は折れないだろう。その強さを、かれは持ってるから。


「そんなに眼鏡が好きだとは思わなかったよ。正直意外だった」

「・・・そりゃあ、お前が選んでくれた眼鏡だからな・・・」

「ん、何か言った?」

「なんでもない。早く帰ろう」


 話も終え、私たちは再び歩き始めた。前を見て進むため・・・か。私も眼鏡、かけてみようかな。ちゃんと正面から、彼に思いを伝えるために。

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