第10話

 俺がいつも特訓をしている時間帯、アイリさんは自分の部屋で研究などをしているらしい。

 俺がアイリさんの部屋の扉をノックし、呼び掛ける。

「アイリさん、侑人です。今、お時間頂けますか?」

「いいわよー。どうぞ入って来て」

 アイリさんの返事を受け、扉を開ける。

 何度もこの部屋に来てはいるが、毎回圧倒される。壁の全面が棚になっており、俺には何だか判らない物の数々が陳列されている。アイリさん曰く「魔法具、若しくは魔法具の試作品と失敗作」との事。

 部屋の中央には作業台が鎮座し、用途不明な器具が並ぶ。複数人が座って話をするようなスペースは無い。

「こんな所で立ち話も何だし、キッチンに行きましょう」

 アイリさんの提案に従い、俺達はキッチンに移動した。


「…成程ねぇ」

 俺が話し終えるとアイリさんは、肯定とも否定とも取れない、曖昧な返事を返してきたが、

「ま、バランちゃんがオッケーを出したのなら大丈夫でしょ。まだまだ話しは聞き足りないんだけど、ユートの人生だものね」

 と、直ぐに納得をしてくれた。

「ちなみにユート、バランちゃんから遠話石は貰った?」

「はい。つい先刻」

「んじゃ、どうしても聞きたい事が出来たら、私の方から連絡するわ。バランちゃんに使わせて貰うから」

 と言うアイリさん。どうやら遠話石は対になっているらしい。

「それで、いつ出発するつもり?」

「俺としては、決断した以上は早い方が良いので、明日で考えてますが」

「そう。それじゃ今夜の夕食は豪華にしましょ。お別れ会ね!良いわよねマーテルちゃん?」

 アイリさんの呼び掛けに、いつもの如くその背後に控えていたマーテルさんが答える。

「畏まりました。こんな事もあろうかと、しっかり食材は調達済みです」

 流石はデキるメイドさんだ。やる事に隙が無い。

「ユートとアンバーちゃんは、今日はもう訓練も情報交換も無し。明日出発出来るように準備をしておいてちょうだい」

 俺は着の身着のままこの世界に来たので、特に纏めるような荷物も無いのだが、アンバーさんは色々準備も必要だろう。なので俺は、今日は書庫でのんびり読書をする事にした。


 そして夕食の時間。キッチンのテーブルには豪華な料理が並ぶ。

 そして席にはアイリさん、マーテルさん、アンバーさん、俺。そして謎の初老の紳士。

「…どちら様で?」

「我だ」

 独特な一人称。思い当たるのは一人しか居ない。

「え?バランタインさん?」

「ユートは初めてだったかしら。竜族は人の体、竜人体になれるのよ」

「折角の機会なのでな。いつもの姿では参加出来ぬ故、久方ぶりに竜人体となってみたぞ」

 流石は竜、やる事成す事ファンタジーだ。

「皆グラスを持ったわね。…それじゃ、ユートとアンバーちゃんの出発を祝って、かんぱーい!」

「かんぱーい」「乾杯」「何だその掛け声は」「はしたないです」

 アイリさんの乾杯の音頭に、皆の心が一つにはならなかった。この世界では乾杯は主流では無いのか。

 そんな祝い?の席で、皆から俺は今後のアドバイスを受ける。

 まず街に行ったら、冒険者ギルドで冒険者登録をする事。冒険者証が身分証明になるそうだ。

 そして装備を整える事。回避メインなので軽装で充分だが、特に手は攻撃を受けると近接・魔法共に支障が出るので、指まで隠れるグローブか手甲をお薦めされた。

 宿屋は値段が安過ぎると、部屋の鍵も安物で物盗りに狙われ易いので、そこそこ以上の所を選ぶ事。

 街中での刃傷沙汰は当然ご法度、自己防衛以外での攻撃魔法の使用も禁止。

 もし怪我や病気になったら、診療所に行く事。教会でも治療は可能だが、お布施として診療所の治療費の数倍の料金を取られるらしい。

 などなど、世間話も挟みながら時間は過ぎていった。


 皆が大分お酒が廻ってきた頃、唯一幾ら飲んでも素面のバランタインさんが声を掛けてきた。

「ユートよ、答えられぬかも知れんが、お前は何処まで目指す?」

 問いが端的で、俺には答えようが無かった。バランタインさんはそのまま話を続ける。

「…レベルとは存在力。魔素を取り込む事で存在力が向上する。レベルが2000を超えると精霊と同列となり、5000を超えると、我を含む神霊と同列となる。人族の範疇で生きるか、人族を超える存在を目指すか。選ぶ時が来よう」

「今までに、レベル2000を超えた人って居るんですか?」

「過去、英雄と呼ばれた者の中の幾人かは超えていたな」

「…到達するかも判らないんで、その時になったら考えますよ」

「…そうか」

 バランタインさんはそう返し、グラスをあおる。

 身体強化の事もそうだが、何だか意味深な言い方が多い気がする。何かを確信しているのだろうか。

「…アイリッシュ様もダウンしておりますので、そろそろお開きにしましょう。ユート様は、アンバー様をお願いします」

 マーテルさんから声が掛かる。見ると、アイリさんもアンバーさんもテーブルに突っ伏して寝ていた。

「いやいや、アンバーさんは女性ですよ。俺じゃまずくないですか?」

「何かまずい事をされるのですか?」

「そんなつもりはありませんけど、ただ部屋に連れて行くには、体を触りますし」

「なら大丈夫です。宜しくお願いしますね」

 …何か大丈夫なのだろうか。だが、何を言っても状況は覆らなそうだ。

 仕方ないので、大人しくアンバーさんを部屋に連れて行く事にする。歩けそうにも無いので、肩を貸すだけでは足を引き摺ってしまう。なので俺は、所謂「お姫様だっこ」でアンバーさんを持ち上げた。

 …想像以上に軽い。そして柔らかい。…雑念が生じる前に、さっさと事を済ませよう。

 アンバーさんの部屋に行き、扉を何とか開ける。

 既に出発の準備は済んでいるので、家具とベッド以外には目立つ物の無い部屋。だが俺の部屋とは違い、女性らしい匂いが満ちている気がする。

 起こさないようにそっと、アンバーさんをベッドに降ろす。

 初対面では無表情な印象だったが、一緒に過ごすうちに、表情の変化こそ少ないが感情豊かな子である事を知った。眠っている今は、年相応の無邪気な表情をしている。

 魔法を身に付けられたのは、アンバーさんのお陰だ。結果、戦闘の幅が広がり、今後生きて行く術を多く得られた。感謝してもし足りない。何か返せるものが無いものか。

 そんな事を考えながら、俺はそっと扉を閉じた。



「…抱き抱えられただけで、ここまで動揺するの私?不意打ち。不覚」

 アンバーは一人、ベッドの上で羞恥に悶えていた。

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