真っ暗な空

幽山あき

人生ってやつ






「ねえ、どうして、リクくん」

 目の光を失ったミキは俺に問う。

 なぜ、どうして、と言われても俺こそこの状況がわかっていない。



 〜三時間前〜

 今日もいつも通りのデートをして、暗くなってきたからミキを送り、彼女は笑顔で帰宅した。

『送ってくれてありがとう。楽しかった。次はどこに行こう?』

 そんないつも通りのメッセージを交わしながら俺も帰路についた。


『夕飯どうするつもり?』


 と、母からのメッセージ。

 今日はデートに行くとも伝えていた。母はそういう所がある。聞いていないというか、聞く気がない。こちらの都合は無視である。


『メッセージ遡って。今日デートだって伝えてただろ。作ってあるなら家帰ったら食べるから捨てずにとっておいて。』

 母親の機嫌を一番取れるであろうメッセージの返し方をしてスマホをしまう。今日は機嫌がいい日だとありがたい。波の激しい母は機嫌が最悪だと些細なことでヒステリックを起こす。特に俺に彼女ができて、夜まで予定ができるようになってから悪化している。子離れできない母親というものだ。


 ブーッブーッブーッ


 スマホに一気に通知が来る。


 はぁ…

 きっと機嫌が悪い日なのだろう。今日はどんな罵声を食らうのか。憂鬱になりながら一度しまったスマホを取り出す。通知を確認しようと電源を押した瞬間、電話がかかってきた。

『どういうことなのよ!!せっかく作ったのに!』

 甲高い声で発狂する母。この様子だと本当に機嫌が悪い。

『メッセージ見返した?朝確認しなかった俺も悪いけど、ちゃんと伝えてただろ。帰ったら食べるから。』

『こっちは疲れてるのに!遊び回って!ふしだらな!!父親に似たのね!気持ち悪い!』


 また始まった。



 父は俺が中学生に上がった時に出ていった。

 母は郵送で送られてきた離婚届を何度も引き裂いて、断固として書かないつもりだった様だが、父は冷静に対応して整理をつけたらしい。

『お前も来るか』

 そういった父の目は本気で俺を心配していた。今でも焼き付いて離れない。ついて行きたかった。子供というのはなんだかんだ親を嫌えないものだ。

 俺は何も答えられなかった。

『そうか。俺がお母さんを守れなかった分、お前は側にいてやってくれ。』

 そう言って父は苦しそうに笑った。


 母親はそんな父を恨み続けている。

 今でも気分の落ち込んでいる日は父親の電話番号に電話をかけ続ける。もうとっくに解約されて、どこにも繋がらない電話番号に。


 母は俺に罵声を浴びせるときに、たいてい父を引き合いに出す。

『もう帰るから。そろそろつくよ。切るからね。』

 そう伝えて耳からスマホを離す。

 スピーカーにしてなくても怒り狂う声が響く。

 通話切断を押して、顔を上げる。




 そこまでしか、記憶がなかった。




「ねぇ、どうして?」


 ミキは俺の顔を覗き込む。

 記憶では家に帰る途中だった。しかし今は、家に送ったはずのミキと、真っ暗な部屋にいる。

 やけに声が反響する。

 何かに縛られていて、自由はないようだ。


「私に言うことないの?ねぇ、ねぇ?」


 見たことのないくらい目の血走ったミキ。

「リクくんにとって私ってなんだったの?彼女じゃなかったの?結婚するって、私は決めてたのに。」

 まくし立てるように俺に問いかけるミキ。

「なんの、ことだよ」

 状況の読めないまま、なぜだか出しにくい声を振り絞った。

「なんのこと?リクくんまだとぼけるの?」

 まっったく身に覚えが無い。

 何かしたか、ちゃんと送ったよな。メッセージも返してたし、楽しそうに帰ってたよな。

 わからん。


「すまん、何に怒ってるか教えてくれ。気づかないうちに、何かしてたかもしれない。」


 大好きな恋人がこんなに怒っている。素直に自分が悪いと言ったほうが良いと判断した。

「女と、電話してたよね」


 …は?


「してたでしょ!」

 涙をためて震えるミキ。


「あれは、母親だよ。母親のこと、話してあっただろ」


 困惑


「母親でも女でしょ!」

 まぁそうなんだけどな。いや、そうじゃないだろうよ。

「あんなに楽しそうに話してて、私とのデートのあとの時間も全部私のこと考えててよ!」

 なんだか理不尽に怒られてる気がしてきた。

「それも、そうだな」

 あの親に育てられたから、こういう子に好かれるのかな。ぼーっと考える。

 あー。これ母親もキレてるやつだなぁ。だる。

「また他の女の子と考えてる!」


 身動きの取れない俺に飛びかかり、首を絞めるミキ。


 愛されてるなあ…もうよくわからなくなってきたよ。

「何か言ってよ!言い訳してよ!」

 いや、喋れないよ?

 震えるミキの手からふっと力が抜けた。

「言い訳すら、しないの?」

 へたり込むミキ。泣きながら下から見上げられるとなんだか申し訳なくなる。

「母親だよ。浮気なんてしないし、デートのあともちゃんとミキのこと考えてるよ。」


 母親に返すように言葉を紡ぐ。

 しんどいなぁ。


「スマホ、どこにあるの」

 ポケットだよ、と伝えると奪い取るようにスマホを取る。

 画面を見てまた震えだすミキ。

「通知も私でいっぱいにしててほしいのに。クソ女!」

 無理難題を言うなよ…

 すごーくタイミング悪く母から電話がかかってきた。というかずっとかかってきていたのだろう。今日は厄日だなぁ。


「でるね。」


 さっきと打って変わってニッコリと微笑むミキ。そのままこの部屋らしき場所を出ていってしまう。

 あー。修羅場。そしてなんでこんなことになってるのやら。

 ミキは送ったあとついてきてたってことだよな。それともスマホに何か仕込んでたのか。盗聴器でもつけてたのか。

 そんなことする子だと思ってなかったしそんな素振りなかったんだけどなぁ…

 空でもなくただくらい天井を見る。真っ暗だあ…あー、すごーい発狂してるなぁ…。

 もう他人事である。


 静かになった。意外と早かった。


「お待たせ!リクくん。」

 笑顔で戻ってきた。泣きはらした目を見ると何もしていないのに胸が痛むよ。


「あのクソ女はもう気にしなくていいよ。リクくんはここでずっと私だけ見て生きてくの。ずっといっしょにいよう?邪魔者は、消すから。」

「殺す、ってことか?」

「そんなコトしたら一緒にいられなくなっちゃうよ?きっともう、生きてはいないと思うけど。」

「よく言い切れるな。なに、話したんだ?」


 内緒。と笑って俺のことを抱きしめるミキ。


「一緒にいられるなら、なんだってするけどね、それはリクくんもしないといけない事なんだよ。親だって捨ててくれなきゃ。」

「わがまま、だな」

 ゆっくりと離れていくミキ。


 やばい、地雷踏んだ。

 ぎゅっと目を瞑る。


 何もされない…?


 ゆっくり目を開ける、ゆっくり、うっすら。


「ひっ……!!」


 目。

 ミキの見開いた目が俺の視界を埋める。


「私のこと、好きじゃないの?」


「好き、だよ。」


 もうほぼ言わさせられているようなものだが、愛をつぶやく。もちろん嘘ではない。

 ただ、不安な点があまりに多すぎる。せめて解いて欲しい。母親と何を話したのかくらい教えてほしい。ちゃんと新生活らしく始めようぜ…


 なんてのんきなことを考えてしまう。


 母親には、苦しめられてきた。逃げられるのならそれも悪くない。

 ただ、ミキのことを殺しに来てもおかしくない。あの母親なんだから。

「ミキのことが心配なんだよ。」

 そう言って、促す。


「恥ずかしいから話したくないなぁ」

 ここで何を恥じらうのかわからない。



「私ね、リクくんのことずっと好きだったの。」

 俺だってそうだ。高校で出会ってすぐ、ミキに恋をした。


「ううん。私はもっと前、もっともっと前から。」

 知り合う前から?

「私ずっと見てたの、たまたま通りかけたリクくんを追いかけて、家も調べて何年も何年もかけて、ずっと。それでね、お母さんがそういう人だとわかってね、リクくんを助けたかったの。」

 はぁ。ここまで来て驚くことでもない。もともとヤンデレだったのか。

「それでね、リクくんの家がバラバラになれば、お母さんから離れられると思ったの。だからお父さんに近づいてね、もちろん初めてはリクくんにあげたかったから触らせてないよ?でもリクくんお母さんの方に残って。なんで?」

 ……


 オエッ



 盛大に、吐いた。


「だ、大丈夫?!リクくん!」

 それを、恥じらいながら言うのかよ。あの父親にも、今目の前にいる女も、気色が悪くて仕方ない。


「今すぐこれを解けよ。」

 たじろぐミキの目を睨みつける。

「なん、で?私はリクくんを助けたかっただけだよ?触らせてもないし、裸を見られたことだってないよ?」

「それ以上何も言うな。気持ち悪い。汚い。触るな。離れろ。失せろ!」


 こんな事を言えばどうなるかなんてわかってた。きっと殺される。もっと逃げられなくなる。


「そう、だよね。」


 予想外の言葉に、ミキの方を見た。

 顔面蒼白でポタポタ泣き出すミキ。

 すでにその顔に何一つ感じない。


 スルリと解かれる拘束。先程ミキが出ていった方へ走る。すぐに階段があった。それを上がると、何度か訪れたミキの家だった。

 地下室、か。


 しかし前に来たときより、荒れ果てている気がする。かすかに腐臭もする。


 まさか、な。自分の両親も殺したのか。


 それよりも脱出が優先だ。


 玄関をでる。まだ外は暗い。朝にはなっていない。

 ふぅ、と息を吐いて走り出そうとした瞬間だった。


 ザクリ。


 背中に激しい痛みが走る。

 あー。まぁそうだよね。普通にそうなるよね。


 予想通りの展開と、自分の考えの浅さに笑えてくるな。


 ズルッ。


 また痛みが走った。引きぬかれた場所から自分の血液があふれる。最後の力で振り返る。



「なんだ、死んでねぇじゃん。」





 そこに居たのは、高笑いをする母親だった。


 結局、どっちでも死ぬのか。倒れてから霞む視界で、最後の星空を眺めた。




 ははっ…

 遠のく意識の中、何度も何度も振り下ろされる刃物を見ながら、自分の人生を笑った。




 俺は、

 全ての痛みと共に

 意識も

 命も手放した。



 報われたかったなぁ。



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真っ暗な空 幽山あき @akiyuyama

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