第590話 動き出す者たち

「……もう、一体どうなっているの?」


 いく目かのドアを開けて中の様子を見たアイシャは、苛立ちを隠すことなく乱暴に扉を閉める。


「どうしてどの部屋にも窓が一つもないの」


 ペンターに背中を向けて逃げ出したアイシャたちは、一刻も早くこの屋敷から出るために手当たり次第に部屋に入り、部屋の窓を割って外へ出ようとしていた。


「しかも、どの部屋も異様に狭くて、これじゃあ一人中に入っただけでいっぱいじゃないの」


 そう言いながらアイシャが乱暴に開けた次の扉も、両手を広げることができないほどの狭い空間で、二メートルも前に進むと無機質な壁に当たる縦長の構造をしていた。


「何なのこの部屋、私の家よりも狭いじゃない」


 室内には寝床と思われる分厚い布が敷かれていたが、それ以外は他に何もない部屋だった。


「こんなところじゃ休んだ気にもなれないわ。それに、こんな寝るだけの部屋じゃまるで……」


 この部屋に住んでいるかもしれない者のことを想い、アイシャは敢えてその先を言わずに代わりに表情を曇らせる。

 自分も決して裕福とはいえない生活を送っているが、この部屋は人が暮らすにしては余りにも何もなさ過ぎだとアイシャは思った。


 これだけ狭い部屋では、全ての部屋に窓がないのも頷けた。



「……本当、金持ちって奴はどいつもこいつもロクな奴がいないわね」


 アイシャは酒場で見たグリードの姿を思い浮かべ、見つけたら思いっきりぶん殴ってやろうと固く決意しながら窓を探して他の部屋を見ていく。



 だが、アイシャたちが一階だと思い込んでいるここは実は屋敷の地下一階であり、いくら探しても窓など無いのだが、そんなことを知る由もないアイシャたちは、ひたすら無駄な努力を重ねていた。




「もう、どうしてどの部屋にも窓がないの!」

「アイシャさん……」


 その後も開け続けた部屋の中に窓がないことに対し、八つ当たりのように乱暴に扉を閉めようとするアイシャさんの手を、ソラが静かに手を伸ばして止める。


「お気持ちはわかりますが、あまり大きな音を立てるのは……」

「そ、そうね……誰かに見つかるわけにはいかないものね」


 ソラの指摘で少しは冷静になったのか、アイシャは静かに扉を閉めて何かを考えている様子の彼女に尋ねる。


「ねえ、ソラ……あなた、この屋敷にはいる時に一階に窓があるかどうか確認した?」

「そんなに詳しく見てはいませんが……でも、普通に窓はあったと思います。それに、最初に案内された部屋には窓はありましたよね?」

「そうよね、だから私も窓から逃げようとしたんだけど……」

「もしかしたらですが……」


 自分の意見が間違っていたかと不安そうになるアイシャに、おとがいに手を当てて考えに耽っていたソラが自身の考えを告げる。


「私たちが一階だと思っていた場所は、実はまだ地下なのではないでしょうか?」

「ええ、そんなことない…………とも言い切れないか」


 背後を振り返ったアイシャは、これまで辿って来た道を見て小さく息を漏らす。

 そこには等間隔で設けられたドア、ドア、ドア……ここだけ見てもとても異様な光景だった。


 扉の反対側は壁となっていたが、もしこちら側にも同じようにドアが並んでいたらと思うとゾッとしない。



 思わず身震いするアイシャに、ソラが居並ぶドアを眺めながら口を開く。


「アイシャさん……もうむやみに扉を開けて回るのはやめにしましょう」

「えっ、どうして?」

「考えてみて下さい」


 ソラは今しがたアイシャが開けた扉をなぞりながら、深刻な顔で切り出す。


「これまでは運よく部屋の中に誰もいませんでしたが、もし、中に誰かいたとしたら……それこそ、さっき見た大男が中にいたとしたら?」

「い、一瞬で殺されちゃうわね」


 自分がいかに迂闊なことをしていたかと知ったアイシャは、青ざめながら次に開けようとした扉から逃げるように距離を取る。


 そしてそれが、結果としてアイシャの命を救うことになる。


 アイシャが扉から離れると同時に扉が乱暴に開き、中から人影が飛び出してきたのだ。


「――っ!?」

「アイシャさん!」


 突然の事態に声も上げることもできず驚き固まるアイシャに素早く駆けよったソラは、彼女の手を取って一気に駆け出す。


「足を動かして! 足を止めたら死んでしまいます!」

「…………」


 アイシャはコクコクと必死に頷き、転びそうになりながらもどうにか足を動かしてどうにか走り出す。



 無事にアイシャが駆け出したのを確認したソラは、背後を振り返って扉から出てきた人影へと目を向ける。


「あぅ…………うぅ……うああああぁぁ!」


 扉から出てきたのは、腰にボロ一枚を巻いた薄汚れた男性と思われる人物だった。

 手足は骨が浮き出るほど細く、少しでも小突けばあっという間に倒れそうなほどか弱く見えるが、限界まで見開かれた目はギラギラと怪しく光り、口の端から泡を吹きながらソラたちに迫ってきていた。


「…………」


 男性は本当なら大丈夫かどうか確認するぐらいに弱って見えたが、ソラは歯牙にもかけずに逃げることを優先する。


 それはとある確信があっての選択だった。



 すると、


「あぁ……あ、ああ……」

「ううあああ…………ああ・……」


 前方の扉が次々と開き、中から同じような骨に僅かに肉が付いただけの人影が次々と現れる。


「ソ、ソラ……」


 両手を突き出し、虚ろな目でこちらにゆっくりと歩いてくる人影を見て、アイシャが思わず身を強張らせる。


「止まらないで!」


 足を止めようとするアイシャを強く引きながら、ソラは人影に向かって突撃していく。


「やああああああぁぁ!」


 勢いを殺すことなく人影に突撃したソラは、足を振り上げて手前の人影の胸を思いきり蹴り飛ばす。


 防御すらせずにソラの蹴りをまともに受けた人影は、そのまま後ろにいた別の人影を巻き込みながら倒れる。


「あぁ…………」

「うああああぁぁ……」


 折り重なるように倒れた人影は、弱りきった手足では自力で立つこともできないのか、もがくだけで立ち上がって来る気配はない。



 勢いを殺さずに着地したソラは、繋いだアイシャの手を強く引きながら叫ぶ。


「さあ、今のうちに!」

「わ、わかったわ!」


 ソラの勢い圧されたアイシャは、困惑したように頷きながらも、しっかりとした足取りで人影を避けて廊下をさらに奥へと駆けて行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る