第589話 敗者の責任

 森の中に居を構え、複数の犬を使って狩りを営む一族の下に生まれた老人が家を出て冒険者になると決めた時、一族の力を存分に振るうことに何の躊躇いもなかった。


 自分の力ではなく犬で敵を倒す老人を、自分の力を使わない卑怯者だと罵る者もいたが、そんな周囲の戯言に耳を貸すことなく、彼は誰もが一目置くような成果を築き上げていった。



 順調にキャリアを積み、ゆくゆくは馬鹿にしていた連中を見返してやるつもりであったが、ある事件を境に老人の人生は一転する。


「私の活躍を妬む誰かが、食事に毒を盛ったのです」

「それで犬を失ったのか?」

「いえ、毒が盛られていたのは私の食事です……その時使っていた犬は、私が意識を失っている間に食べられたそうです」

「…………ひでぇな」


 冒険者たちの間……特にたいした実績のない下位に沈む連中の間では、そういった私刑行為が度々あると聞いたことがあるが、老人が受けた仕打ちはその中でも最悪の部類に入るとシドは思った。


「……それで、お前に毒を盛った連中は?」

「勿論、殺しましたよ。そういったことを想定して、別の武器を用意しておくのは当然ですから……ただ、毒の所為で私は杖無しではまともに歩くことができなくなり、仲間殺しが原因で冒険者ギルドを解雇され、そこからは非合法な仕事を生業にすることになりましたがね」



 そこから長年に渡って裏の世界に身を置き、そろそろ自身の進退を決しようかという頃、老人に狩場を用意するという者が現れる。


「それがグリード様です。彼は私に実に多くの獲物と、様々な道具を用意してくれました」


 それは今回のようなお見合いパーティーと称して集められ、地下迷宮に逃げた女性たちだったり、ルストの街に現れるグリードにとって都合の悪い存在であったり、キマイラという新しい道具を試す機会もくれた。


「グリード様は非常にやり手ではあるのですが、その分、命を狙われることも多いですからね。特に身内に対する警戒は凄まじいものでした」

「……毒か?」

「ええ、そうです。この屋敷で働いている者は、誰もが知らない内に体に毒を盛られているのです。そして、それを知らずに仕事を辞めていった者は……」

「死ぬんだな?」


 シドの問いかけに、老人は苦笑しながら肩を竦めてみせる。


「しかもその遅行性の毒はすぐには作用せず、仕事を辞めて数か月から数年後にかけてジワジワと蝕んでいくので、誰もが毒を盛られていたと気付かずに死んでいくのです」

「クソみたいな最低の所業だな」

「フフッ、そうですね。ですが、それは我々のような裏の人間にとっては最高の褒め言葉ですよ……」


 老人はクツクツと肩を揺らしながら笑った後、大きく息を吐いてがっくりと項垂れる。


 その影のある表情は、老人が初めて見せる憂いの表情だった。



「ただ、私をはじめとする一部の人間には、毒ではなく別の薬を投与されています」

「…………それが死なない薬か?」

「いえいえ、死なないなんて優しいものではないです」


 老人はゆっくりとかぶりを振ると、自身の体に投与された薬の正体について話す。


「私に投与された薬は、ゾンビになる薬です」

「ゾ、ゾンビだって!?」


 老人の告白に、シドは驚愕に目を見開く。

 ゾンビになるということは、人であることを辞め、魔物になる……混沌なる者の尖兵となることを意味している。


 その事実に気付いたシドは、震える指で老人を指差しながら尋ねる。


「ま、まさか、あのカエル野郎は混沌なる者に連なる存在だというのか?」

「ええ、それとグリード様の右腕のペンターという男も要注意です。もし、あなたがグリード様を倒すつもりなら、先にペンターを倒すことを推奨しますよ」

「何故だ?」

「それは彼がこの屋敷を造り、キマイラを創り、あらゆる毒薬を作ったからです。彼を殺せば、少なくともこれ以上の犠牲者は防げるはずです」

「そんなことまであたしに教えていいのか?」

「構いませんよ。私もそろそろ潮時だと思っていたところですから……」


 老人は再び「ふぅ……」と大きく息を吐くと、ゆっくりとした動作で立ち上がる。


「あっ、おい……」

「ご心配なく、逃げはしませんよ」


 老人は片足を引き摺りながらゆっくりとした動作で歩き、自分が落ちた舞台の壁の一部に手を振れる。



 そのまま体重をかけて押すと壁の一部が割れ、音を立てて開いていく。


「この扉は屋敷の地下一階にある私の部屋に続いています。こちらを通った方が、地下通路に戻るよりは効率的ですよ」

「わかった……って地下一階だって?」

「ええ、気付かなかったかもしれませんが、ここは地下二階です。ここを上がったところで、残念ながらまだ地上ではありませんよ」

「そうか……」


 老人の態度から流石に自分を嵌めようとしているのではないと察したシドは、静かに頷くと、周囲を警戒していたロキを呼ぶ。


「わふっ」



 主の声に「呼んだ?」と言って駆け寄ってきたロキの頭を撫でながら、シドは何ともいえない表情で老人を睨む。


「……一応、感謝すべきなのか?」

「その必要はありませんよ。私が無様に逃げようとしたが失敗し、たまたま開いた通路をあなたが使った。それでいいじゃありませんか」


 シドに道を譲った老人は「どっこいしょ」と声をかけながらその場に腰を下ろす。そうして懐から一振りのナイフを取り出すと、柄の方をシドに向けて薄く笑う。


「最後に一つ、頼まれてはくれませんか? 流石にゾンビとはいえ、首を刎ねられれば二度と復活はできませんから」

「……らしいな」


 グランドの街の経験からゾンビの倒した方を学んでいたシドは、ゆっくりと頷いて老人からナイフを受け取る。


「こんなにちゃっちいナイフじゃ普通、人の首を落とすことなんてできないぜ……」

「難しいですか?」

「普通じゃな……ただ、あたしは生憎と普通じゃないんだ」


 手の中でナイフを弄びながら、シドはニヤリと笑ってみせる。


「まあ、何だ。せめて苦しまずに一瞬で逝かせてやるぜ」

「…………お願いします」


 老人は大きく息を吐いて目を閉じると、頭を垂れて首を差し出す。



 その前に立ったシドは、両手でナイフを持って薙ぎ払うように構えると、


「じゃあな、クソジジィ」


 別れの言葉を告げて、目にも止まらぬ速さでナイフを横に振り抜いた。

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