第583話 犠牲者たち

 尻尾を巻いて一目散に逃げ出した老人を追って、シドたちは狭い地下通路を駆ける。



 運動神経に優れたシドとロキの二人なら、すぐさま老人に追いつくかと思われたが、


「おわっ……」


 角を曲がった先で目の前に飛び込んできた壁を見て、シドは慌てて急制動をかける。


「おふっ!」

「どおぅわ! あぶね」


 すぐ後ろからやって来たロキと壁の間に挟まれそうになったシドは、壁に手を付いてどうにか避けながら恨めし気に背後を振り返る。


「ロキ……あたしを潰す気か?」

「キュ、キューン……」


 シドから睨まれたロキは「ち、違うんです」と申し訳なさそうに泣きながら許しを請うように頭を擦りつける。


 その態度が余りにもかわいそうに見えたのか、シドは苦笑しながらロキの頭を撫でる。


「……わかってるよ。別にあたしも本気で怒っちゃいねぇよ」

「わふぅ……」


 ロキが安心したように嘆息するのを見て、シドは少し冷静になって自分の先の通路を見る。



 シドとロキが並んでようやく通れるほどの広さの通路は、数メートル先で曲がり角になっている。


 警戒しながら先に進んでみると、その先もまたクランクになっており、何も知らずに駆け抜けようとしていたら、同じ轍を踏むことになっていた。


「もしかしなくてもこうなることがわかっていたからあのジジィ、逃げやがったのか」


 周囲の気配を探って老人の気配がすっかりなくなっていることに気付いたシドは、大きく息を吐いて状況を考える。


「この妙に曲がりくねった道にしているのは、あたしたちの機動力を削ごうとしているのか? いや……」


 シドはぶつぶつと呟きながら壁を触りながら老人の思考を読み取っていく。


「あの調子からするとあのジジィ……普段は自分が狩る側に徹しているはずだから、獲物が逃げ辛いようにしてるってわけか……」


 その裏付けとして、壁には誰かがぶつかったかのような血と思われる黒いシミがいくつもあった。



「あっ……」


 そこでシドは、視界の先にまだ新しい血の跡を見つけて急いで駆け寄る。

 もしかしたらソラが怪我をしたのかもしれないと思ったが、


「…………クソッ」


 そこにいたのは、あのドーベルマンが捕食しようとしたのか、腹部の一部が大きく抉れて、驚愕に目を見開いて絶命しているあられもない格好をした女性の死体だった。


 初日で働いている者、全員の顔を覚えているわけではないが、それでも自分に近しい者の死を見て何も思うことがないわけがなかった。


「辛かったよな……痛かったよな」


 生きたまま食べられるという想像を絶する経験をしたであろう女性を悼み、シドは手を伸ばして彼女の目を閉じてやると、地面に横たわらせて胸の腕手を組ませてやる。


「悪いけど、あんたを今すぐ連れて行けないんだ……」


 シドはもう動かない女性に向かって語りかけながら目を閉じて彼女のために祈る。


「あたしにできるのはお前を殺した奴を見つけて殺すことだけだけど、それだけは絶対にやってやるからな」


 祈りを終えて目を開けたシドは、せめて女性の顔だけは忘れまいとしっかりと目を見開いて彼女の顔を脳に刻みつける。



「わんわん」


 すると、ロキがやって来てシドの腰のベルトに噛み付いてぐいぐいと引っ張る。


「……他にもいたか」


 その行動でロキが他の女性の死体を見つけたことを察したシドは、


「案内してくれ」

「わん」


 シドからの要請に、ロキは「こっち」と鳴きながら彼女を先導して歩き出す。




 ほどなくして別の女性の死体を見つけたシドは、同じように彼女を弔ってやると、近くの壁を見て周囲の状況を探る。


 こちらの壁にも人の思われる血の他にも、動物の爪痕と思われる傷や人の頭より高い位置にある横に走る壁の傷、そして地面にあるいくつもの血溜まりを見ながらシドはさらに考察を重ねる。


「なるほど……つまりここはあのジジィにとっての狩場であり、あたしたちは謂わばそこに迷い込んだ獲物というわけか」

「わふぅ……わん!」


 シドの呟きにロキが「舐めやがって」というように鋭く鳴いて前へ出て、シドに早く行こうと急かすように鳴く。


「わんわん!」

「わかってるよ。あたしも最初はジジィだから手加減してやろうと思っていたが、今はそんな気は微塵もねぇよ」


 例えあの老人が直接手を下していなくとも、ここで殺された女性や、他にも数え切れないほどの死体がこの通路に積み重ねられたかと思うと、その死の連鎖は何としてもここで断ち切らなければならなかった。


 周囲の状況から老人の思考をある程度読んだシドは、通路の先を睨みながら獰猛に笑う。


「どれだけ策を講じたところであたしたちの前には無意味だってこと、教えてやろうぜ」

「わん!」


 一人と一匹は互いの目を見て笑い合うと、老人が待ち受けているであろう通路の先へと進んでいく。

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