第581話 例え簡単に勝てないとしても

 いくらルーファウスが強靭な肉体を誇ろうとも、鬼人オーガであるラドロの膂力に適うはずもなく、勝負は一瞬でつくと思われた。


 だが、


「ハハハ、無様だね」


 ラドロから何度目かとなるダウンを奪ったルーファウスは、長い髪をかき上げながら爽やかに笑う。



「クッ……」


 鼻から大量に血を流しながら、ラドロは歯を食いしばってこちらを見下しているルーファウスを睨む。


「鬼人である自分の方が強いはずなのにどうして? って顔をしているね」


 ラドロからの視線を心地よく受けながら、ルーファウスは自分の額をトントン、と指差しながら話す。


「実に単純な話だよ。僕は単にのうのうと暮らしてきた君と違って、荒事に慣れているからね。実戦経験が違うんだよ」

「じ、実戦経験……」

「そうだよ。特にこう見えて僕は、拳で戦うのが大好きでね」


 ルーファウスは軽くシャドーボクシングを披露した後、自分の拳に付いたラドロの血をペロリと舐める。


「だってそうだろ? この拳で相手を壊せば、骨の砕ける音だけでなく、感触まで楽しむことができるんだからさ。特に君は頑丈そうで、長い時間楽しめそうだよ」

「……だからといって」


 ラドロは口内に溜まっていた血の塊を吐き出すと、再びファイティングポーズを取る。


「こんなところで、諦めるわけにはいかないんだ!」

「ハハッ、無駄だと思うけどね」


 まだまだ余裕のルーファウスは、軽やかにステップを踏みながら両拳を構える。


「このまま夜が明けて君が死を迎えるまで、僕の遊びに付き合ってもらうよ」

「そんなつもりは毛頭ない」


 せめてもの強がりを言ったラドロは、



「……シドさん」


 油断なくルーファウスを睨みながら、女性たちの介抱をしているシドに話しかける。


「すみません、女の子たちを助けてもらって」

「気にするな」


 シドは気を失っている女性たちの体を布で隠してやりながら、犬歯を剥き出しにして怒りを露わにする。


「あたしだって女だ。こんな玩具扱いされた奴を放っておけるほど人間できちゃいねぇよ」


 シドはポキポキと指を鳴らしながらラドロの隣に並んで構える。


「おい、二人で協力してとっととこいつを倒すぞ」

「いえ、シドさんは先に行ってください」


 鼻息荒くして前へ出ようとするシドに、ラドロは手を伸ばして制す。


「こいつは僕が倒しますから、シドさんはロキ君とソラさんを助けに行ってください」

「いいのか?」

「はい、ここにソラさんがいないということは、きっとあそこから外に出たんだと思われます」


 ラドロは前を見据えたまま、この部屋の元々出入り口があった場所を指差す。


「ソラさんだけじゃなく、他の子も……アイシャもそこから外に出たはずです。彼女たちの身にも危険が迫っているでしょうから、この男一人に時間を取り過ぎるのはよくないです」

「…………わかった」



 ラドロの覚悟を見たシドは、ゆっくりと頷いてルーファウスと距離を取りながら、ロキに一緒に来るように手招きする。


「それじゃあ、こっちはこっちでやらせてもらおう」

「ええ、存分に暴れて下さい」

「任せろ。そっちこそ死ぬなよ」



 ルーファウスが追ってこないことを確認したシドは、出口まで一気に駆け抜けると、出ていく前に背後を振り返ってラドロに話しかける。


「ああ、そうだ。最後に一言だけいいか?」

「何ですか?」

「こう見えてロキも女だ。だからこいつは君、じゃなくてちゃんな」

「わん!」


 シドの言葉に続いてロキも「そうだよ」といった風に吠える。


「…………」


 その発言に、ラドロは暫し目を見開いて驚いたように固まっていたが、


「フッ、それは失礼しました」


 思い出したかのように小さく拭き出すと、肩の力が抜けたように柔らかな笑みを浮かべながら謝罪の言葉を口にする。


「それでは改めてシドさん、ロキちゃん。ソラさんを頼みます」

「任せろ。あたしたちは無敵だからな」

「わんわん」


 ラドロからの言葉に、シドたちはニヤリと笑って風のように去っていった。




「……良かったのかい?」


 シドたちが立ち去るまでその場に佇んでいたルーファウスは、相変わらず余裕の笑みを浮かべたままラドロに尋ねる。


「さっきの獣臭い女がいれば、もしかしたら君でも僕に勝てたかもしれないよ?」

「その必要はないよ」


 ラドロは大きく息を吐くと、自分の角を一撫でして大きく息を吐く。


「君は間違いなく僕が倒すから」

「へぇ……どうやって?」

「当然、真正面からさ」


 そう言って拳を構えたラドロは、幾度となく打ちのめされたルーファウスに向かって突撃していった。



 その後も向かってくるラドロを殴り続けたルーファウスであったが、


「はぁ……はぁ……はぁ……」

「どう……した? もう……終わりかい?」


 顔中を痣だらけにし、倍以上に膨らんだ顔になったラドロは、折れた鼻を乱暴に元の位置に戻し、溜まっていた血を排出してルーファウスに問いかける。


「まだ夜が明けるには……時間はある……けど?」

「はぁ……はぁ……この、化物め…………」


 ルーファウスは殴り過ぎた所為で赤く滲んだ拳を見下ろし、忌々し気に呟く。


「まさか、僕の拳が先に壊されるなんてね……」

「どうやら鬼人の丈夫さを……舐めていたようだね」


 ルーファウスと同じように肩で大きく息をしながらも、ラドロは傷付いた顔の向こうでニヤリと笑う。


「それじゃあ、ここから先は僕の番だね」


 ラドロは大きく息を吐いて呼吸を整えると、息も絶え絶えといった様子のルーファウスに向かって歩き出す。



 最早逃げる気力すらないのか、ルーファウスは諦めたようんに嘆息しながらラドロに尋ねる。


「ちなみだけど……見逃してくれる気は」

「ないよ」


 ルーファウスが喋り終わる前に、ラドロはハッキリと断じる。


「数々の女の子たちを不幸にしたお前を、僕が許すはずないだろ」

「チッ……お前もこっち側に来れば、楽に生きられたものを」

「興味ないね」


 ラドロは腕の調子を確かめるようにグルグルと回しながら自分の想いを吐露する。


「少なくとも僕は誰かを踏みにじって生きるより、寄り添って生きたいだけさ」


 そう言ってラドロは大きく膨れ上がった右手を振りかぶると、立ち尽くすルーファウスに向かって容赦なく鬼人の腕を振り下ろした。

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