第549話 勘違い……かと思いきや

 ソラに迫る男を蹴散らすため、シドは必死に人混みを掻き分けながら前へ進む。


「わっ、びっくりした!」

「ちょっと、危ないじゃないの!」


 押し退けられた人たちから苦情が上がるが、シドはそれらの声を無視して尚も駆ける。

 そうこうしている間にも、見知らぬ男がソラに手を伸ばしているのが見えた。


「クソッ! お願いだ。通してくれ! あたしの……あたしの大切な妹が!」


 シドは今にも泣き出しそうな顔をしながら、必死になって人込みを掻き分け、少しでもソラに近付こうとする。


 早くソラの下へと行かなければ……そう思うシドであったが、買い物客でごった返している中を押し退けて通るにも限界があり、どうしても迂回を強いられてしまう。



 そうしてソラを見た場所に辿り着いた時には、既に数分の時間が過ぎていた。


 ソラも狼人族ろうじんぞくの端くれとして、何も訓練していない人間に後れを取るようなことはないと思うが、どうか無事でいてくれ。


 そう願いながら汗だくのシドが見たものは、


「ごめんなさい!」


 男に向かって、深々と頭を下げて謝罪の言葉を口にするソラの姿だった。



 それを見たシドの行動は単純明快だった。


「――っ!? よくもソラを!」


 何をしたかわからないが、目の前の男がソラが謝らなければならないことをしたに違いない。

 そう判断したシドは、ソラを庇うように男との間に割って入ると、そのまま男の胸ぐらを乱暴に掴む。


「お前……歯を食いしばれ!」

「えっ? お、お姉さん誰? っていうか、何?」

「問答無用!」


 訳がわからず目を白黒させる男に向かって、シドはしっかりと握り込んだ右拳を振り上げる。


 そのまま男の鼻っ柱を容赦なくへし折ってやろうと思ったところで、


「ね、姉さん! ダメです!」


 ソラが慌てて駆け寄って来て、シドの右腕に飛び付きながら必死に叫ぶ。


「何を勘違いしているかわかりませんが、いきなり暴力を振るうなんて真似やめて下さい!」

「何を言っているんだ。大事な妹が、傷つけられたんだぞ!?」

「だから、それが勘違いだって言ってるんです!」


 まだ状況がわかっていない様子のシドに、羞恥で顔を真っ赤にしたソラが諭すように話す。


「この方は、私を食事に行かないかとお誘いして下さったんです。ただ、私には用事がありますから、お受けできませんとお断りしていたところです」

「えっ? でもこいつ……仲間と耳打ちして背後からソラに駆け寄って……」

「それは知りませんけど、少なくとも姉さんが心配するようなことは何もありませんでした」

「そ、そうか……」


 自分が早まったことに気付かされたシドは、バツが悪そうにそっと男の胸ぐらから手を離す。


「そ、その……何だ。悪かったな」

「あっ、うん……まあ、お姉さんの気持ちもわかったから……もう行っていい?」

「あ、ああ……」


 解放された男は、シドに怯えた目を向けた後、背中を向けて逃げるように立ち去っていく。



 平和な街中で突如として起きた暴挙に、周囲の人たちからの厳しい視線がシドに注がれる。


「…………」

「…………」


 ただでさえ珍しい獣人の姉妹に対する奇異の視線に、シドたちは互いに口を閉ざしたまま、申し訳なさそうに身を縮こまらせる。


 本当はこのマーケットでもっと情報収集をしたかったが、これ以上ここに留まるのは得策ではないだろう。



 シドは周囲の視線からソラを守るように彼女の肩を抱くと、静かに話しかけようとする。

 すると、


「――っ、キーッ! キーッ!」


 ソラの腕の中にいたうどんが、叫びながら彼女の腕の中から身を乗り出す。


「うどん?」


 一体何事かと驚くソラの腕から身を乗り出したうどんは、彼女が腰に付けているポーチに体当たりしながら地面へと着地する。


「わっ!? うどん、いきなり何をするの?」


 うどんがぶつかった所為で腰のポーチがズレたので、ソラは文句を言いながら直そうとする。


「……あれ?」


 だが、そこでソラは腰のポーチの異変に気付き、顔を青くさせる。

 浩一を真似て腰にいくつものポーチを付けているソラであったが、その内の一つ、財布が入っているはずのポーチがなくなっていたのだ。


「えっ、ど、どうして……」

「キーッ! キキーッ!」


 愕然とするソラに、うどんが大きな声を上げて顎で前方を見るように注意を促してくる。

 その声に従い、シドたちがうどんが示す先を見ると、


「……やべっ!」

「に、逃げるぞ!」


 先程、ソラに声をかけてきた男と、連れの男が慌てて逃げ出す。


 そうして駆け出す二人の男の内、連れの男の手には何やら見慣れた色のポーチが見えた。


「ああっ! 私のポーチ!」

「何だと!?」


 どうやらあの二人組は、一人がソラに話しかけて注意を惹き、その間にもう一人が背後から近付いて彼女の腰から財布を盗んだようだった。



 ソラの声で、自分たちの犯行がバレたことを悟った二人は、一気に速度を上げて駆け出す。


「クソッ、逃がすか!」


 それを見てシドが男たちを追うために駆け出すが、


「クッ……頼むから道を開けてくれ!」


 相変わらずの人の多さに足止めをされ、シドは歯噛みしながら叫ぶ。


 このまま男たちをみすみす逃してしまうのか?

 そう思った矢先、


「ププッ!」


 勢いよく飛び出したうどんが、小さな体を小刻みにステップさせながら人の間を縫って男たちを追いかける。

 思わぬ助っ人の登場に、シドは茶色い影に向かって思いっきり叫ぶ。


「うどん、すぐに追いかけるからその男たちを逃がすなよ!」

「ププッー!!」


 シドの叫びに「任せて!」と応えるように鳴くうどんの背中を見ながら、シドは犬歯を剥き出しにして獰猛に笑う。


「舐めた真似しやがって……あいつ等、腕の一本や二本折るぐらいじゃ済まないからな」

「――っ!?」

「ヒッ!」

「お、お願い……ぶたないで」


 シドが殺気を放ちながら物騒なことを言ったからなのか、近くにいた人たちが波が引くかのように一斉に彼女から距離を取る。


「…………」


 それを見て、シドは目をパチパチとしばたたかせていたが、


「ぶ、ぶたねぇよ! あたしを何だと思っているんだ!」


 赤い顔をして周囲の人たちを威嚇したシドは、男たちを追っている茶色い影を追う為に逃げるように駆け出した。

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