第529話 ダメですか?

「……んがっ!?」


 変な声を上げながら目を開けると、何も見えなかった。


 一瞬、もしかしてまた地下生活に逆戻りしたのかと思ったが、鼻に濃厚な木の匂いを感じて、ここが寝泊まりしているリックさんの牧場の母屋であると理解して、小さく安堵の溜息を吐く。



 ……確か、ガルムによって支配されていたロキとうどん君のお姉さんを、あの時、突如として覚醒した新たな力を使って解放したところまでは覚えている。


 その後、謎の空間で久しぶりにレド様と会話したのはうろ覚えながら覚えているのだが、一体何を話したまでかは覚えていない。


「…………う~ん」


 何か、今後にまつわる重要なヒントをもらえたような気がしたのだが、レド様との会話は夢の中での出来事みたいなものなので、残念ながら起きる頃にはさっぱりと忘れてしまっていることが殆どだった。



 だが、これまで二回ほどあの空間に行った時も同じ感じであったが、いざという時になれば思い出すことができたので、今回もきっと同じように思い出せると信じることにする。




 さてと、またしても肝心なところで気を失ってしまい、肝心なところがどうなったのかさっぱりわからないので、誰かに聞きに行こうかな?


 それに、何だかとっても体が重いし、喉もカラカラだ。既に皆が寝てしまっていたとしても、喉の潤しだけはしておきたい。


 そう思って体を起こそうと手を動かしたところで、


「いぎっ!?」


 左腕にと胸に、まるでナイフを突き立てられたような鋭い痛みが走り、思わず悲鳴を上げる。


 そういえば、洗脳されたロキに思いっきり胸を切り裂かれ、噛まれたんだったっけ?


 暗闇でよく見えないが、軽く触ってみてキチンとした処置がされているのは確認できたが、それでも少しでも体を動かすと泣きたくなるような激痛が走る。


 …………あの時の俺、ロキに噛まれた後もどうして普通に動けたのだろうか?


 まあ、きっとよくあるアドレナリンだか、エンドルフィンとかの物質によって興奮状態にあったからなのだろうが、腕だけならともかく胸の痛みも相まって、起き上がって井戸まで行ける自身がない。



 一体どうしたものかと思っていると、


「…………あれ? コーイチさん、起きましたか?」


 すぐ近くからソラの声が聞こえる。

 いや、近いなんてものではない。声のした方は俺のすぐ背後……調度、重いと思っていた腰の辺りだ。


 一体何事? と思っていると、重いと思っていた腰が軽くなり、室内が仄かに明るくなる。


 どうやらソラがベッドのすぐ脇にあるサイドチェストの上にあるロウソクに火を灯したようだ。



 えっ……と、ちょっと待って。これ、どういう状況?


 何事もないように立ち上がったソラは、サイドチェストの上の水差しを手に取ると、そのまま俺の口元へと持ってくる。


「喉、渇いてますよね? よかったら飲んで下さい」

「あ、ああ……ありがとう」


 俺は差し出された水差しに向かって顔を伸ばそうとするが、どうしてか体がピクリとも動かないことに気付く。


「あ、あれ?」

「ああ、ごめんなさい。そういえば、コーイチさんと離れたくないって、ミーファがいるのを忘れていました」

「えっ、ミーファが!?」


 そう言われてかけてある布団を無事な右手でめくってみると、俺の腰にミーファががっちりと抱き付いて寝息を立てていた。

 ミーファがこうして俺に寄り添ってくれているということは、彼女の機嫌は治ったということだろう。


 よかった。これでこそ、うどん君を救うために頑張った甲斐があるということだ。


「ミーファ……」


 可愛い寝顔に思わずほっこりして表情が緩むが、このままでは身動きが全く取れないので、ミーファには悪いがちょっと離れてもらおう。



 そう思ってミーファへと手を伸ばすが、彼女は「ん~!」と唸り声を上げて俺の手を払いのけてさらにしっかりとしがみついてくる。


「……えっと、ミーファさん?」


 全く動けないんだけど……どうしたらいいんだ?


 さっきよりしっかりと抱き付いてくるミーファを見て、もしかして起きているんじゃないかと思ったが、本当に寝ているのだとしたら、起こしてしまうのも可哀想だ。



 困ってしまって途方に暮れていると、ソラが小さく苦笑しながら身を乗り出して水差しを俺の口まで運んでくれる。


「この子、コーイチさんが怪我したのは自分の所為だって、だからコーイチさんが治るまで看病するって聞かなかったんです」

「………………んぐっ、んぐっ、そ、そうなんだ」


 俺はソラに「もういいよ」と礼を言って水差しから口を離すと、改めて彼女に問う。


「じゃあ、ソラも俺の看病を?」

「はい、流石に姉さんもロキも疲労していましたし、かといってミーファ一人に任せるわけにはいきませんからね」

「なるほど……」


 それで、夜まで看病してくれていたが、疲れて眠ってしまったというオチだろう。



 そうとわかれば、腰にしがみついているミーファを起こすのは悪いと思い、俺は彼女をこのままにしておくことにする。

 問題があるとすればトイレに行きたくなった時だが、その時のことはその時考えようと思う。


 でも、そうなる時になることが一つある。


「ミーファが俺の横で寝ているのはわかったけど、ソラは?」

「はへっ?」


 俺の問いかけに、ソラは手にしていた水差しを思わず取り落としそうになるほど狼狽する。


「いや、ミーファが俺の腰にしがみついているのはわかったけど、ソラも俺の背中にくっついていたよね?」

「えっ? あっ……はい」


 俺の詰問に、ソラは観念したように頷くと、水差しで顔を隠しながら赤くなった顔で呟く。


「その、ミーファとコーイチさんが余りにも仲睦まじくて、ちょっと嫉妬してしまいました………………駄目でしたか?」

「うっ……」


 そんな恥ずかしくて堪らないといった顔をされて「ダメだよ」なんて言える男なんているだろうか?


 当然ながらそんなこと言えるはずもなく、俺は「次からはちゃんと許可取ってね?」なんてわけかわからないことを言ってお茶を濁すのであった。

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