第517話 偉業?でも……

 俺の必殺の一撃とも言えるバックスタブは、確実に相手に致命傷を負わせることができるが、問題は即死するわけではないということだ。


 しかも相手の体大きく、生命力が豊かな者に致命傷を与えるには、攻撃をより深く、臓器に至るまで刃物を突き立てなければならない。



「……このっ!」


 熊の魔物にナイフを突き立てた俺は、返り血を盛大に浴びながら尚も全身を使ってナイフをさらに押し込む。


「グルオアアアアアアァアアアアアアアァァァァァァァ!!」


 背中に不意討ちを受けた熊の魔物が死から逃れようと、腕を振り回して無茶苦茶に暴れるが、体の構造上、真後ろを取っている俺にはどうやっても手が届かない。


 だが、少しでも真後ろから外れれば、その瞬間に奴の長い爪が俺の体を捕らえ、その余りある膂力によってズタズタに引き裂かれるだろう。


「……クッ、早く……倒れろ!」


 傍から見ると非常に地味だが、俺にとっては命を賭けた必死の攻防の終わりは、突如として現れる。


「ガァ…………アアアァ…………」


 ナイフが心臓に達したのか、熊の魔物が口から大量に血を吐きながら前の巨木に体を預けると、そのままズルズルと崩れ落ちるようにして倒れたのだ。


「はぁ……はぁ……ようやくか」


 俺は酸素を取り込もうと仮面を外して深呼吸を繰り返しながら、引き抜いたナイフに付いた血を拭き取って、腰のポーチへと納める。


「コーイチ、やったな」


 肩で息をしながら熊が立ち上がらないことを確認していると、木の上からシドが飛び降りてきて肩を組んでくる。


「シド、汚れるよ」

「わかってるよ。でも、気にするな」


 シドまで血塗れになる必要はないと思うのだが、どうしてか彼女は引き剥がそうとする俺の手を制して腕を取り、ニコニコと笑顔を浮かべている。


「……な、何だよ」

「いや、コーイチ。今お前がやったことは結構すごいことなんだぞ」

「そうなの?」


俺の質問に、シドは大きく頷きながら熊の魔物について話す。


「ああ、この魔物、ベアブローって言うんだが、こいつはタフさが尋常じゃなくて、冒険者ギルドでは最低でも三人以上じゃないと受けられないクエストなんだ。それをコーイチ、お前はたった一人で倒したんだ」

「あっ、うん……」

「何だよ。謙遜することなんかないぞ~」


 何故かやたらと嬉しそうなシドが手放しの賞賛を送ってくれるが、俺にはその凄さとやらがいまいちわからない。



 これまで対峙してきた数々の魔物がどれも巨大で、それこそレイドボスかと思うような強敵が多かったので、三人以上で挑まなければいけないと言われても「ふ~ん」ぐらいの感想しかない。


 それに、厳密にはシドに囮になってもらっているから、止めを刺したのは一人でも、完全に一人で倒したわけじゃない。


 俺の理想としては、この勝利は手放しで喜べるほどではないし、それより今は確認することがあった。



 俺はシドに「もういいよ」と言って解放してもらうと、熊の死骸から目を放して吹き飛ばされた男へと目を向ける。


「手遅れ……か」


 やはり熊に体当たりされた時に背骨が折れてしまったのか、男は苦悶の表情を浮かべたまま既にこと切れていた。


 男の顔に見覚えはないが、腰にやたらと刃渡りの大きな曲剣を吊り下げていることから、あの偉丈夫の仲間であることは間違いない。

 この男がこれまでどれだけの悪行を重ねてきたのかはわからないが、このまま放置するのも目覚めが悪いので、俺は男の顔に手を伸ばしてせめて表情だけでも安らかなものへと変えてやる。



 それと全てが終わったら、死体の処理を考えなきゃな。と思いながら、俺は森の外へと目を向けているシドに話しかける。


「……シド、森の外はどうなってる?」

「逃げた男たちにバンディットウルフとベアブローが襲いかかっているところだ。数は多いが、連中が正気を取り戻して、冒険者たちが加勢に入ればそこまで対処は難しくないだろうな」

「そう……か」


 それはつまり、正気を取り戻すまでにもう何人かの犠牲者が出るということだ。


 どうする。これ以上、死体が増えないように加勢に行くべきだろうか?


 一瞬だけそう考えたが、俺はすぐさまかぶりを振って自分の考えを否定する。

 もしここで、連中を助けたところで、その後俺たちの言うことをおとなしく聞いてくれる保証はないし、何より連中は俺が既に死んでいると思っているだろうから、下手に姿を見せて余計な混乱を引き起こすような真似は避けたい。


 それに、魔物たちの本命は男たちを襲うことではないはずだ。



 俺はロキの腹の下で心配そうに周囲を見渡しているうどん君をちらと見た後、シドに確認するように問いかける。


「このタイミングで魔物が現れたのって偶然じゃないと思うか?」

「当然だろ。あたしは見てないが、ミーファたちが見たという小さな狼の魔物が怪しいな」

「確か、その魔物がバンディットウルフや熊の魔物……ベアブローを操っているんじゃないかということだよね?」

「ああ、バンディットウルフだけでなく、ベアブローまでも従わせるということも驚きだが、ミーファが言うにはその魔物は、あたしたちの言葉を話したらしいんだ」

「言葉を介する……魔物だって!?」


 その事実は、かなり衝撃的であった。



 俺がこれまで対峙した中で一番強かった魔物は、地下墓所カタコンベで戦ったキングリザードマンだが、奴ですら言葉を介することはなかった。


 その話が事実であるなら、その小さな魔物は、ひょっとしたらキングリザードマンよりも聡明で、強力な魔物ということだろうか?

 魔物たちを操るというだけでも厄介なのに、強さもキングリザードマン以上であるなら、現状の戦力だけで倒すことなどできるのだろうか?


「大丈夫だよ」


 まだ見ぬ魔物に対して不安を掻き立てられていると、シドが俺の手を握って笑いかけてくる。


「そんな顔するなよ。今のあたしたちには、頼もしい仲間がいるだろ?」

「わんわん!」


 シドの言葉に応えるように、ロキが「そうだそうだ」と声をかけてくる。


 背中にうどん君を乗せたロキは、俺に体を擦りつけるようにしながら「わん!」と元気よく吠える。

 それは俺と一緒に戦ってくれるというありがたい意思表示であった。


「そうか……そうだよな」


 その魔物がどれだけ強いかはわからないが、あの巨大なイビルバッドですら圧倒してみせたロキがいるのだから、そんな些細な心配は無用の長物かもしれない。



 俺は期待を込めた目で見つめてくるロキの頭をわしゃわしゃと撫でると、皆を安心させるために笑ってみせる。


「わかった。それじゃあその魔物たちを操っているという魔物を見つけて、速やかに倒そう」

「それならあたしに考えがある」


 どうやってその魔物を見つける? と意見を求めるより早く、シドが手を上げて意見を出してくれる。


「あたしの見立て通りなら、そいつは非常に狡猾で、自分の手は絶対に汚さないタイプだ。だから……」


 そうプロファイリングしたシドは、件の魔物を見つける作戦を話し始めた。

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