第514話 劇団・動物愛護

「えっ?」

「何が……」

「起こったんだ?」


 いきなり現れた黒い狼を見て、冒険者たちは突如として現れた巨大な黒い狼、ロキを呆然と見やる。


「おい、あれ……ガルムじゃないのか!?」


 すると、ロキの姿を見た冒険者の一人が、驚いたように叫び声を上げる。


「ど、どうしてこんなところにガルムがいるんだ!」

「ガルムだって!?」

「見たことないけど、あんな巨大な狼……ガルム以外に考えられないだろ!」


 冒険者たちは、口々にロキのことを「ガルム」と口にしながら警戒するように武器を構えると、離れた場所にいる偉丈夫へと声をかける。


「か、頭ぁ……この場合はどうするんですかい?」

「ど、どうするって……とにかくトントバーニィだ! 奴が口に咥えているトントバーニィだけでも奪うんだ!」


 ロキを倒すことは無理でも、口に咥えているトントバーニィだけでも確保しろと命令を出す。


 だが、


「……わふっ」


 ロキは口に咥えたうどん君を真上に放ると、そのまま一口で丸呑みする。


「――んなっ!?」

「ぎゃああああっ! ト、トントバーニィが!?」


 トントバーニィを丸呑みしたロキに、殆どの冒険者たちは悲鳴にも似た声を上げて立ち尽くす。


「こ、こいつ!」

「今すぐ吐かせるんだ!」


 しかし、二人ほど勇気がある……というよりは考えなしなのか、今すぐロキを襲って、飲み込んだトントバーニィを吐き出させればいいと果敢に前へと出る。


「ま、待って! 待って下さい!」


 流石にロキとこの二人を戦わせるわけにはいかないので、俺は飛び出した二人の間に割って入るように立ち塞がる。


「ガルム相手にたった二人で挑むとか正気ですか!? まさかあの狼の実力を知らないのですか!?」

「な、何だよ。お前は知っているのか?」

「ええ、それはもう……何せ動物愛護団体ですから」


 俺は大仰に頷きながら、まだ見たこともないガルムの恐ろしさを語る。



「巨大な体躯を持ちながらも、その俊敏さは輝きの如し、一度腕を振るえば大木は薙ぎ倒され、その牙は岩をもかみ砕く、故に我が故郷ではガルムを見たら全てを捨ててでも逃げろ。子供頃からそう教わっているのです」


 実際のロキの情報にさらに色を付け、俺は恐怖で震えてみせる。


 果たして俺の演技が上手く伝わったのか、二人の男は矛を収めると、顔を青くして問いかけてくる。


「それが本当なら、俺たちに勝ち目はないじゃないか」

「どうするんだよ。このまま全員、奴の腹の中に納まれって言うのか?」

「それについてはご安心を」


 俺は白い仮面の下でほくそ笑みながら、仰々しく両手を広げて声高々に演説する。


「俺は伊達に動物愛護団体を名乗る者ではありませんよ。当然ながらガルムと接触したこともあります。ここはどうか俺に任せて下さい。見事、ガルムを手懐けてみせましょう」

「おおっ……」

「本当か!?」

「ええ、お任せを……」


 俺は胸に手を当てて深々と頭を下げると、姿勢を低くして警戒態勢を取っているロキの前へと進み出る。



 この場にいる全員がこちらに注目しているのを確認した俺は、ロキに向かって仰々しい感じで語りかける。


「おおっ、森の王、ガルムよ! 突然の事態に驚いたであろう。だが、安心召されよ。我等は其方に危害を加えることはない。白い災厄の供物をもって、どうかこの場はお退き願いたい」


 そう言って俺はロキに向かって両手を広げる。

 それは「こっちにおいで」という合図だ。


 その瞬間、ロキは弾丸の勢いで飛び出したかと思うと、大きく跳んで上空から俺へと襲いかかる。


「うわああっ!?」


 情けない声を上げながら倒れた俺にロキは馬乗りになると、事前に指示した通り胸の辺りを甘嚙みする。


 すると、さっき深々と頭を下げた時に胸に仕込んだ血糊の入った袋が破け、周囲に赤く染められた液体が撒き散らされる。


「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああぁぁ、い、痛い! 痛いよおおおお! 誰か、誰か助けてええええええええええええええええええええぇぇ!」


 尚もじゃれつくように顔を押し付けてくるロキに対し、俺は追加の血糊の袋を破りながら全力で叫ぶ。



 ついでに手に付いた血糊を仮面に塗りたくりながら、俺は先程の二人の男に向かって必死に手を伸ばす。


「こ、こんなはずじゃ……お願い…………たす…………けて……」

「う、うわあああああああああああああああぁぁぁ!」

「ば、化物だ! 逃げろ! 逃げるんだああああぁぁぁ!!」


 俺の死にそうな声を聞いた二人は、助けに来るどころか踵を返すと、一目散に逃げ出す。



 最初に逃げ出す者が現れた後は、なし崩しだった。


「ヤ、ヤバイ……本物のガルムだああああぁぁぁ!」

「俺たちの適う奴等じゃないぞ!」

「あいつが食われている間に逃げるぞ!」

「ギルドに援軍を……いや、軍隊の要請をするんだ!」


 まるで蜘蛛の子を散らすように、俺たちの周囲に集まった男たちが逃げていく。


「お、おい、お前たち、ちょっと待て!」


 一目散に逃げる仲間を前に偉丈夫が待つように指示を出すが、当然ながらそんな命令を聞く者などこの場にはいない。


 何故なら彼等の目的は、安全な場所から弱者を一方的にいたぶって金を奪うことであり、命を賭けて強力な魔物と戦うことではないからだ。



 命令を無視して次々と逃げる仲間たちを見て、偉丈夫は歯噛みしながらこちらを見る。


「あ…………あがっ…………が……」


 俺はぐりぐりと顔を押し付けてくるロキの動きに合わせて、脊髄反射するようにビクビクと痙攣してみせる。


 ちなみにシドは、俺がロキに襲われると同時に姿を消し、近くで俺たちのことを見守っているはずだ。



 体の半分が赤く染まった俺を、誰も助けることがないのを見た偉丈夫は、


「チッ……おい、お前等、俺を置いていくな!」


 舌打ちを一つして、逃げる仲間を追うようにこの場から立ち去っていった。




 周囲にいた男たちが全員いなくなったのか、周囲が静かになったのを確認した俺は手を伸ばしてロキの腹部をポンポン、と叩く。


「ロキ、もういいよ」

「バフォッフ……」


 俺の要請にロキは変な泣き声を上げながら顔を上げると、大きく口を開ける。

 すると、口の中から白い毛玉が俺の胸の上に落ちてくる。


 それはロキに飲み込まれたはずのうどん君だった。


「……プゥ、ププゥ」


 うどん君は顔を上げて体中に付いたロキの唾液を振り払うように身震いすると「酷い目に遭った」と言いながら、俺のことを恨めし気に睨んでくる。


「ごめんごめん、今すぐ綺麗にしてやるからな」


 俺は間違いなく今回のMVPであるうどん君を労うように、優しく撫でながら唾液まみれの体を丁寧に拭いていった。

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