第504話 動物の交渉人

「ほら、現れただろ?」


 俺たちの前に姿を現した白いウサギを見て、シドは得意げな顔でこちらを見ながらニヤリと笑う。


「さあ、コーイチ。ここからはお前の出番だ。交渉はお前に任せるぞ」

「あっ、うん。任せて」


 シドから背中を押された俺は、警戒するように引くい姿勢でジッとこちらを見ているトントバーニィへと近付く。


「こんにちは、ごめんね。驚かせたよね?」


 俺は敵意がないことを示すように、両手を広げながら明るい声音で話しを続ける。


「実は君たちと話がしたくてここに来たんだ……その、俺の言っていること、わかるよね?」


 まだ魔物化していないのなら、アニマルテイムの効果もあって俺と会話が成り立つはずだし、友好関係を結べるはずだ。


 だが、相手は既に何匹ものバンディットウルフを屠り、既に魔物化の傾向が出始めていると思われる。

 それに、ニーナちゃんの話によると、森を追われたトントバーニィの何匹かは、既に人間の手によって犠牲になっているという。


 おそらくヴォーパルラビットと間違われて狩られたのだと思うが、被害者側からしてみればそんなことは関係ない。



 間違いなく人間に対して忌避感をもっているであろうトントバーニィが、俺の言葉を果たして受け入れてくれるだろうか。


 とにかく俺にできるのは、話が通じていると信じて声をかけ続けるだけだ。


「どうかな? よかったら話を聞いてくれないかな?」

「…………」


 できるだけにこやかに話しかけているつもりなのだが、まだ警戒を解くつもりはないのか、トントバーニィは無言を貫いている。


 う~ん、こいつは困ったな。


 正直なところ、時間もないのにここで硬直状態が続くのは好ましくない。



 一体どうやってこの状況を打開しようかと考えていると、


「おい、コーイチ!」


 背後からシドが自分の腰を指差しながら話しかけてくる。


「腰に付いているオリーブを交渉材料に使うんだ。相手はただの野生動物なんだし、食べ物の一つや二つ与えておけば、すぐにこっちの言うことを聞いてくれるはずだぞ」

「あ、ああ……」


 言いたいことはわかったけど、そういうのは本人の見ていないところで言ってほしいよ。

 もし、シドの言葉がそのままトントバーニィに筒抜けだったら、この時点で交渉の余地は潰えてしまうのだけど……、


 そんな一抹の不安を抱えながら、俺は手を上げたまま視線だけ腰のポーチに落として話す。


「その……一応お土産に君たちが好きだって言うオリーブの実を持って来たんだけど、先ずはそれだけでも受け取ってくれないかな?」

「――ッ!?」


 おっ、もしかして効果覿面か?


 オリーブという単語を聞いて、トントバーニィの腰が浮いたのを確認した俺は「ちょっと失礼するよ」と断り入れて腰のポーチからマーガレットさんが丹精込めて作った黒く熟したオリーブを一つ取り出す。


「ほら、とっても美味しそうだろ? 今ならこの袋の中身を全部上げるから、俺と話をしてくれないか?」


 そう言いながら俺が腰のポーチをポンポンと叩くと、


「…………プッ」


 トントバーニィの体が小さく震え出し、俺の目を真っ直ぐ見ながら話す。


「プッ、ププッ……プゥプゥ」

「あっ、うん。勿論大丈夫だよ」

「プッ……」


 俺が頷くと、トントバーニィは踵を返して出てきた穴へと戻っていった。




「…………で?」


 トントバーニィが消えたのを見て、シドが隣までやって来て話しかけてくる。


「あのウサギは何て言ってたんだ?」

「話を聞いてもいいけど、皆を呼んできていいか? って」

「皆、ということは他にも何匹かいるのか?」

「おそらく……ニーナちゃんによると、ヴォーパルラビットに追われて皆揃って逃げてきたって話だから……でも、ここまで来られたのは何匹だろう?」

「さあな、でも、人間に襲われたって話だから数は多くないんじゃないか?」

「そうだね。でも、もし何十匹ものトントバーニィが現れたらどうする?」

「…………」

「…………」


 溢れんばかりのトントバーニィに囲まれる姿を想像して、俺とシドは顔を見合わせる。

 もし三百六十度、全てを白いウサギに囲まれたとしたら、それはそれで大変な恐怖である。


 俺は今後の展望に若干の恐怖を覚えながらも、シドに確認するように尋ねる。


「ところでシドはトントバーニィについて何か知らない?」


 さっき初めて聞いたけど、ゲーエフっておそらく先代の獣人王つまりはシドのお爺さんの名前ってことだよな?

 あそこで獣人王の名を出したということは、もしかしたら何か知っているのかもしれない。


「ほら、家族の誰かからお爺さんの武勇伝を聞かされたとかでさ」

「おいおい、コーイチ。あたしを誰だと思っているんだ?」

「おっ、そうだよな」


 やっぱり一国のお姫様となると、国の歴史について学んでいるような。



 だが、そんな淡い俺の期待は、次のシドの一言であっさりと瓦解する。


「こと座学においては、あらゆる手を尽くしてサボるのがあたしという人間だぞ」

「…………ですよね」


 シドの性格からいってそんな気はしていたが、予想通りの答えを聞いて俺はがっくりと肩を落とした。




 結局、俺たちは一体どれだけのトントバーニィが現れるだろうかという戦々恐々しながら、あの白いウサギが再び現れるのを待ち続けた。

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