第495話 初めて見る魔物
最初に異変に気付いたのは、ミーファのすぐ近くで周囲の様子を探っていたうどんだった。
「――ッ、キーッ! キキーッ!」
「わっ、びっくりした。うどん、どうした……」
突如として大きな声を上げるうどんに、ニーナが驚きながら顔をそちらに向け、その途中で顔が凍り付く。
「あ、ああ、あっ……」
「ニーナちゃん?」
声にならない声を上げながら震え出すニーナを見て、何事かと思ったミーファもゆっくりと彼女が見ている方に目を向ける。
そこにはバンディットウルフより一回り小さい黒い狼がいた。
だが、顔に付いている目は他の魔物同様に四つで、だらりと開いた口から覗く歯は鋭く、あの牙で噛まれたらただでは済まなそうだった。
「――っ、おねー……」
咄嗟に声を上げて姉たちに助けを求めようとするミーファだったが、その瞬間に黒い狼が口を開いて威嚇するのを見て、咄嗟に口を噤んで声を上げるのを止める。
黒い狼が口を開けた意味は「もし大きな声を上げれば今すぐにでも襲いかかるぞ」だった。
「ミ、ミーファちゃん?」
「だめ、うごかないで」
ニーナを手で制したミーファは、ジッと黒い狼を見据えたままどうしたらいいかを考える。
旅に出る前、ミーファ一人で魔物に出会った時の対処法についても、シドたちから教わっていた。
バンディットウルフをはじめとする狼の魔物は、基本的に一匹でいる時、目が合っている時は積極的に襲ってこないから、決して目をそらしてはいけないと教わった。
しかし、この初めて見る黒い狼は、これまで聞いたどの魔物と何かが決定的に違っていた。
それが何かわからないが、ミーファは目の前の魔物から凄く嫌な気配を感じていた。
すると、
「…………オイ」
目の前の黒い狼の口が動いたかと思うと、
「オレタチノエモノ、ヨコセ」
たどたどしくはあるが、人の言葉を発してきた。
「ま、まものが……」
「喋った!?」
まさか魔物とコミュニケーションを取れると思っていなかったミーファたちは、目を丸くして黒い狼を見やる。
コミュニケーションが取れるなら、もしかしたら話が通じるかもしれないと、ニーナが勇気を出して黒い狼へと話しかける。
「あ、あの……私たち、あなたに危害を加えることなんてしませんから、ここは見逃してくれませんか?」
「……ダメ、ダ」
逃がして欲しいというニーナの願いを、黒い狼は口から涎を垂らしながら拒否する。
「ニゲタケレバ、エモノ、オイテケ」
「獲物? それって私たちの持っているおやつとかじゃダメなの?」
「チガウ、エモノ……トントバーニィ」
「ト、トントバーニィって……うどんのこと?」
ニーナがうどんへと視線を送ると、黒い狼は口の端を吊り上げて不気味な笑みを浮かべる。
「ソウダ、トントバーニィ……コロス……カナラズ」
「ちょっと待って。どうしてうどんだけを狙うの。一体、どうして」
「ドウシテ? キマッテル……トントバーニィ、ウラギリモノ」
「う、裏切り者って……どういうこと?」
「…………」
そのニーナの質問に、黒い狼は答えることなく、大きく口を開けて欠伸を一つすると、
「……モウイイ。ツカレタ」
人語を介するのは体力を使うのか、黒い狼は一方的に話を打ち切って獰猛な牙を剥き出しにする。
「ヨウヤクミツケタ、トントバーニィ……コロス、ソレダケ」
咄嗟にうどんの危険を察知したニーナは、立ち上がって黒い狼との間に立ち塞がると、両手を広げてミーファに向かって叫ぶ。
「――っ、ミーファちゃん!?」
「うん、うどん!」
それだけで全てを察したミーファは、立ち上がってうどんに向かって手を伸ばす。
「プゥ!」
うどんも素早くミーファの言うことを理解し、彼女が伸ばした腕に飛び付くと、そのまま未発達の胸の中に納まる。
「行って、ミーファちゃん!」
「うん!」
ミーファは力強く頷くと、うどんを抱えて全力で走り出す。
本当は一緒に逃げるのが正しいのかもしれないが、ニーナとミーファでは走る速度が違うし、黒い狼の狙いがうどんである以上、先ずは白いウサギを守るのを最優先にするべきだと考えたのだった。
「ううっ……怖いよ」
今にも泣きそうになりながらも、ニーナは震える足をどうにか鼓舞して、黒い狼がミーファたちを追いかけられないように立ち塞がる。
「い、行かせないよ!」
両手を広げ、精一杯の強がりを見せるニーナに、黒い狼は「ブハッ」と大袈裟に吹き出しながら笑う。
「……バカナヤツダ」
そう呟いた黒い狼の姿が揺らいだかと思うと、ニーナの視界から消える。
「えっ?」
何処に行ったの? とニーナが首をキョロキョロと巡らせると、その隙に彼女の背後に回った黒い狼が地を強く蹴って大きく跳ぶ。
「グルオオオオオオオオオォォォ!」
黒い狼の鳴き声にようやく気付いたニーナが背後を振り向くが、ずらりと並んだ鋭利な牙がすぐ目の前まで迫っていた。
「――っ!?」
突然の事態に、ニーナは叫ぶことも忘れてその場に立ち尽くす。
咄嗟に脳裏に浮かんだのは、優しい父と母の姿だった。
(パパ……ママ……ごめんなさい)
ニーナは両親に謝罪しながら、死を覚悟してギュッ、と目を閉じる。
ここで自分は死んでしまうかもしれないが、親友のミーファだけはどうか無事でいて……そんなことを願いながら、ニーナは来るべき衝撃に備える。
次の瞬間、すぐ耳元で金属同士がぶつかるような甲高い音が響いて、ニーナはビクリと身を竦ませる。
だが、来るべき衝撃も、痛みもやってくる気配はない。
一体何が起こったのだろうと、ニーナはおそるおそる目を開ける。
「…………えっ?」
そうして目を開けて飛び込んできたものを見て、ニーナは驚きの声を上げる。
ニーナの足元には、白に毛皮に赤黒いシミを持つウサギが、彼女を黒い狼から守るように立ちはだかっていたのだ。
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