第496話 ウサギの騎士

 まるで騎士ナイトのように黒い狼との間に立ち塞がる小さな影を見て、ニーナは唖然とした様子で呟く。


「う、うどん?」


 だが、その問いかけに白いウサギは応えることなく、真っ直ぐに黒い狼を睨んだまま動かない。


「……違う、うどんじゃない」


 牧場の娘として多くの動物を見て来たニーナは、目の前のウサギが、うどんとは僅かに違う箇所があることに気付く。


「君は……耳がうどんより長いね。ひょっとしてうどんのお兄さんかお姉さん?」

「…………」

「……そうだね。そんな場合じゃないよね」


 悠長に話している状況ではないことを思い出したニーナは、ウサギの先にいる黒い狼へと目を向ける。



 ニーナに不意打ちを仕掛けてきた黒い狼は、あの一瞬で何かあったのかわからないが、右の目から口の脇を抜けるように斜めに走る大きな傷痕ができていた。


「クハッ! マサカ、ソッチカラ、アラワレルトハナ」


 右目からダラダラと血を流している黒い狼は、痛みを気にした様子もなく牙を見せつけるようにして獰猛に笑う。


「ワガ、ドウホウヲコロシタツミ、キョウコソアナガッテモラウゾ」

「えっ?」


 黒い狼の言葉を聞いて、ニーナは驚いたように目の前のウサギを見る。


「同胞を殺したって……それにあの傷……全部この子がやったの?」


 肉食動物のような鋭利な爪も、獲物を噛み切る牙もないのに、この三十センチにも満たない小さなウサギが一体どうやって黒い狼にあの傷を付けたのか、ニーナには皆目見当もつかなかったが、白い毛皮のところどころに見える赤黒いシミ……てっきり怪我をしているのかと思ったが、もしかしなくてもこの赤黒いシミは、魔物たちを倒した時についた返り血のようだ。


 そして、さっきの黒い狼の言葉から察するに、魔物たちはこのウサギを追ってやって来たのだ。


「君……」


 この小さなウサギが、これまでどんな死闘をくぐり抜けてきたのかは、ニーナはわからない。


 だが、危機的状況から救ってくれたこの白いウサギを、ニーナはどうにかして助けてあげたいと思った。


「…………」



 この状況を切り抜けるために、一体何ができるかをニーナが考えていると、


「ニーナちゃん!」


 うどんを連れて逃げたはずのミーファが戻って来て、ニーナに寄り添うように隣に立つ。


「ミーファちゃん、どうして? 逃げたはずじゃ……」

「うん、でも……」


 そう言いながらミーファが振り返るので、彼女の視線を追ってニーナも振り返ると、そこには逃げ道を防ぐように一匹のバンディットウルフがいた。


「そんな……まだいたの?」


 シドたちの前に現れたバンディットウルフの数も初めて見る数であったが、さらに伏兵がいたことにニーナは驚愕する。


「グルルルル……」


 どこからともなく現れたバンディットウルフは、唸り声を上げながらこちらを牽制するように左右にゆらゆらと動く。


「……襲いかかって来ない?」

「うん、でもミーファがにげようとすると、はをイーッ、てしてくるの」


 試しにミーファが一歩前へを踏み出すと、バンディットウルフは途端に牙を剥き出しにして低い姿勢を取るが、その足を下げると元の姿勢に戻る。


「ね?」

「うん……もしかしてあの黒い狼の命令を待っているの?」


 魔物の生態について詳しいわけではないが、バンディットウルフが野生動物と似たような性質を持っていると考えれば、あの黒い狼は群れのボスで、ボスの命に従ってミーファたちを逃がさないように牽制しながら、次の指示を待っているのではないかと思われた。


 こうなると、他にもバンディットウルフが潜んでいる可能性もでてきて、下手に動くことができなかった。


「あのね、ニーナちゃん」


 黒い狼たちの思った以上に老獪な立ち回りに、ニーナが困惑していると、ミーファが彼女の袖を引っ張りながら話しかけてくる。


「あのね……うどんがさっきからおかしいの」

「えっ、うどんが?」


 そう言われてニーナはミーファの腕の中にいるうどんを見てみると、


「フーッ、フーッ……」


 白いウサギは虚空を見つめたまま、ガタガタと小さく震えながら荒い息を吐いていた。


「もしかして、怖くて震えているんじゃないの?」

「うん、そうおもってミーファがきいてるんだけど、うどん……なんにもこたえてくれないの」

「そんな……」


 ここに来てうどんに異変が現れ、ニーナは先程感じた嫌な予感が蘇るのを自覚する。

 あの時は母親のマーガレットが遠くにいってしまうと思ったが、今度はうどんが遠くにいってしまうような気がする。


「うどん……」


 自分の中に生まれた不安を払拭しようと、ニーナは手を伸ばしてミーファの腕の中にいるうどんの頭を撫でようとする。


「――痛っ!?」


 だが、伸ばした手に突如として鋭い痛みが走り、ニーナは慌てて手を引っ込めて自分の指を見る。


 すると人差し指と中指、そして薬指の三本の第一関節と第二関節の間に、ナイフで切ったかのような切り傷ができていた。


「えっ? どうして……」


 いきなりできた傷口に、ニーナが困惑していると、


「イマダ、ヤレ!」


 黒い狼が声を上げながら地を蹴って襲いかかってくる。


 同時に、ミーファたちを挟むように位置していたバンディットウルフも動いたかと思うと、さらに草むらから二匹のバンディットウルフが飛び出してくる。


「――っ、こ、こんなに!?」


 思った以上の数が近くに潜んでいたことに、ニーナが思わず身を固くすると、彼女の視界の隅でミーファの体がぐらりと揺れる。


「ミ、ミーファちゃん!?」


 ニーナが慌てて手を伸ばしてミーファの体を支えると、白い影が彼女の体から飛び出す。


「だめ。うどん、もどって!」

「えっ……」


 倒れながら手を伸ばしたミーファの視線の先を追うと、彼女の手から逃れたうどんが、三匹のバンディットウルフに向かっていくのが見えた。


「うどん! ダメ、危ないよ!」


 うどんの体が獰猛な狼たちによって、ズタズタに引き裂かれる未来を予期して、ニーナは泣き叫ぶような声を上げる。



 だが次の瞬間、予想もしなかったことが起こる。


 うどんの姿が一瞬だけ揺れ動いたかと思うと、正面のバンディットウルフの体が空中でバラバラに引き裂かれた。

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