第478話 一人の夜
俺は昨日より広く感じるベッドで、真っ暗闇の虚空を眺めながら右手を横へと伸ばす。
そこにいつもある温もりはなく、俺の手はむなしく空を掴む。
今晩、俺は久しぶりに一人の夜を過ごしていた。
「…………」
俺は手を何度も開いたろ閉じたりを繰り返して、ここにはいないミーファの温もりを思い出しながら、昨晩の夕食時から彼女の様子がおかしかったことを思い出す。
一緒に暮らすようになってから何か特別な用事でもない限り、ミーファは毎日、必ず一緒に寝ようと誘ってくれた。
それなのに、どういうわけか昨日は挨拶もそこそこに、ニーナちゃんと一緒にとっとと寝てしまったのだ。
……いや、別にニーナちゃんととても仲良くなってくれたことは、非常に喜ばしいことだし、一緒に寝てくれなくなったということは、自分の自由時間が増えることと同義なので悪くはない。
だが、この何とも言い知れない、喪失感のようなものは何だろう。
いつから俺は、隣にミーファがいないとこんなにも寂しく思うようになってしまったのだろうか。
もし、ミーファが何か悩んでいるのだったら、何としてでも手助けしてやりたいと思うが、昨晩の様子を見る限りでは、下手に話を振ろうものなら彼女に嫌われてしまうかもしれない。
それだけは絶対に避けなければならない。
だけどせめて、急によそよそしくなった理由だけでも知りたかった。
もしかして、下着を買った時のように体臭が気になるのだろうか?
それとも俺が気付かない間に、ミーファの嫌がることをやってしまったのだろうか?
その回答を今晩に聞こうと思ったのだが、生憎とミーファは俺の横にはいない。
「うう……俺はどうすればいいんだ」
なんとも煮え切らない状況に、俺は自分の体を抱きながらゴロゴロとベッドの上で悶える。
ミーファのことが気になり過ぎて、このままではまともに寝られそうになかった。
すると、
「わふっ……」
暗闇の中から鳴き声が聞こえ、巨大な影が動く気配がする。
「あっ、ゴメン。ロキ、起きちゃった?」
「わふぅ」
俺の声に、声の主であるロキは「問題ない」といつもの調子で応えると、のしのしと僅かに地響きを上げながら俺のすぐ傍までやって来る。
そうして顔を近づけてきたロキは「何かあったの?」と聞きながらペロリと俺の顔を励ますように舐めてくれる。
「うぅ……ロキ、聞いてくれよ」
優しい巨大狼に、俺は身を起こしてミーファの様子がおかしいことを話す。
「なあ、ロキ……俺、ミーファに嫌われるようなこと何かしたかな?」
「わふっ……わん」
「何もしていないのなら、どうしてミーファは急によそよそしくなったんだと思う?」
「わふぅ……」
「そんなことない、か……」
どうやらロキの目には、ミーファは俺に対して変わらず行為を抱いてくれているとのことだ。
その一言はとても嬉しいことではあるのだが、それならそれで解せないことがある。
「……なあ、だったらどうしてミーファは今日、俺と寝てくれないんだと思う?」
「わ、わふぅ……」
俺の質問に、ロキは思わず「そんなの知らないよ」と愚痴をこぼしながらも、キョロキョロと視線をあちこちに彷徨わせて必死に答えを探る。
そうして視線を彷徨わさること数秒、何か妙案が思いついたのか、顔を上げたロキは「わんわん」と嬉しそうに吠えながらある提案をしてくる。
「えっ、ロキがミーファにそれとなく何を悩んでいるか聞いてくれるって?」
「わんわん!」
「……そうか、その手があったか」
ロキの提案に、俺は暗闇の中に一筋の光が降り注いだような気持ちになる。
考えてみれば、ミーファの考えがわかれば別に俺が直接聞かなくても、誰かに聞いてもらえばいい。
それにロキは、ミーファたちの護衛の為に俺たちが仕事をしている間は、四六時中彼女たちと一緒にいることになるのだ。
ミーファたちが俺たちの言いつけを破って、ニーナちゃんと二人だけで何処か遠くに行くとは考えにくいし、どちらかというとペットに近い感覚を持っているであろうロキが相手なら、二人の警戒も緩むかもしれない。
ロキにスパイみたいな役割を頼むのは多少気が引けるが、二人が何を企んでいるのかを知るには、まさにうってつけの存在であるともいえた。
俺はナイスな提案をしてくれたロキの顔を掴み、真っ直ぐ目を見据えながら真摯にお願いする。
「わかった。それじゃあロキには、ミーファたちが何をしようとしているか探って来てもらえるかな?」
「わん」
「うんうん、よしよしいい子だ」
俺は快諾してくれたロキの頭を抱え、彼女が撫でて欲しいところをわしゃわしゃと激しく撫でまわす。
よかった。これでミーファの件はどうにかなるだろう。
俺はひとしきりロキに感謝の意を伝えると、安心して今度こそ寝ようとベッドに横になる。
「…………」
すると、何故かロキはその場におすわりしたまま動こうとしない。
「……ん? まだ何かある?」
一体何事かと思って再び起き上がると、ロキは控え目に「わんわん」とある提案をしてくる。
「えっ、よかったらロキがミーファの代わりに俺と寝てくれるって?」
「わん」
姿勢を低くし、上目遣いになって「どう?」と遠慮がちに聞いてくるロキを見て、俺はキュン、と心を鷲掴みにされる。
そんな可愛らしいお願いをされて断る奴なんかいるのだろうか? いや、いない(反語)
そんな自問自答をしながら、俺はベッドの端に移動すると、空いたスペースをポンポン、と叩きながらロキに話しかける。
「いいよ。それじゃあロキ、一緒に寝ようか?」
「わん!」
ロキは「ありがとう」と嬉しそうに吠えると、軽やかな足取りでベッドに上がり、大きな体を丸くして寝る姿勢になる。
これだけでベッドの上は随分と手狭になってしまうが、ロキの体を枕代わりにさせてもらえれば、十分寝られそうだった。
俺はロキに寄りかかるように横になると、彼女の腹部を一撫でする。
「それじゃあ……ロキ、今度こそおやすみ」
「わふっ」
ロキの「おやすみ」という鳴き声を耳にしながら俺はゆっくりと瞼を閉じる。
するとロキのとくん、とくん、という心臓の脈打つ音が聞こえ、気になって寝られないかと思われたが、逆にそれが眠りへと誘う心地よいリズムだったのか、俺の意識はあっという間にまどろみの底へと沈んでいった。
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