第469話 天使のご立腹?

 倉庫の隅に落ちていた白い毛を拾った俺は、それが本物かどうかを確かめるために、指で擦り合わせてみたり、引っ張ってみたりを繰り返す。

 これが動物などの生物の毛であるなら、毛の中に含まれるたんぱく質を潰すことで形状が保てなくなってチリチリになるのだ。


 これで頭皮の怪しいあの人がカツラかどうかを知ることができるのだが……例えカツラだとわかったとしても、そっとしておいてあげるのが人間関係が円滑にいくコツだぞ。


 そんなことを思いながら潰した毛を見てみると、見事なまでにチリチリの縮れ毛になっていた。

 これでこの毛が、紛うことなき生物の毛であることが証明された。


 まあ、この世界にナイロンなどの化学物質で作られた人工のカツラがあるはずないので、最初からわかっていたことだけどね。



「コーイチさん、ちょっとこっちに来てください」


 白い毛をチリチリにさせながら弄っていると、木箱の蓋を開けて中を確認していたリックさんから声がかかったので、とりあえず拾った毛を手の中にまとめて彼の下へと向かう。


「何かありましたか?」

「はい、これを見てもらえますか?」


 そうしてリックさんが指差すのは、蓋を開けられて整然と並べられた木箱の内の一つ、その底辺の一部だった。


「…………ん?」


 リックさんの指の先を見てみると、木箱の角の部分が何やら黒ずんでいる。


「これは……」


 何だろう? そう思っているとリックさんが箱を揺らす。

 すると、黒ずんでいる部分から何かがポロポロと飛び出てくる。


 コロコロと足元に転がってきた緑色の丸い物体を一つ拾った俺は、それが何かを理解する。


「これは……オリーブですか?」

「はい、熟成して黒くなる前に収穫したオリーブです。この箱に入っているのは、これから瓶に詰めて塩漬けにする分なんですが……」

「何者かによって箱を壊されて、中のオリーブを盗まれた?」

「はい……」


 倉庫内のものに被害がでたことが相当ショックだったのか、リックさんの顔から血の気が失せ、可哀想なくらい青白くなっている。


 こんな状態のリックさんに質問するのは酷なような気もするが、被害の全容を解明にしておくことは大事だと思うので、俺は覚悟を決めて彼に質問する。


「ちなみにですが、他に被害は?」

「ない……と思います。オリーブも別にそんなに盗られたというわけじゃないです……精々、両手で掬う程度です」

「そうですか、そこまで被害が出なかったことは不幸中の幸いですね」


 侵入した何者かが、どうしてそれだけのオリーブしか手を出さなかったのは不明だが、俺の手の中には、犯人に繋がる決定的な証拠が握られている。


「リックさん……これを見てもらえますか?」

「コーイチさんも何か見つけたのですか?」

「ええ、きっとオリーブを盗んだ犯人です」

「ええっ!?」


 驚くリックさんに、俺は手の中にある白い毛を見せる。


「部屋の隅の農機具の裏に落ちていました……正直、これを見つけた時から、俺の脳内にある単語が浮かんでしょうがないです」

「え、ええ……きっと僕も同じことを考えていると思います」


 俺とリックさんは、顔を見合わせて同時にその名を告げる。


「「トントバーニィ」」と。




 それ以上は何も手掛かりを見つけることができなかった俺たちは、今日の調査は諦めることにした。



 今日の夕飯の当番はリックさんで、メインのメニューは新鮮な野菜と自家製ベーコンを使ったポトフだった。

 ただ、これが時間がない中急いで作ったとは思えないほど美味で、妻のマーガレットさんに負けないクオリティの高さに、俺は彼の料理スキルの高さに驚きを隠せなかった。


 トントバーニィなんていない。その考えを改めざるを得ないと思った俺は、彼のウサギについてもう少し情報を集めるべきだと思い、すぐ隣で一生懸命にポトフを食べているミーファへと目をやる。


「ふ~、ふ~、はふはふ……あぅ…………ほいひぃ……」


 大きく顔を前後させてジャガイモを嚥下したミーファは、今度は大好物であるベーコンを大事そうに掬ってゆっくりと口を開ける。


「みゅふふ……」


 ……う~ん、可愛い。


 このままいつまでも天使の食事風景を眺めていたいという欲求に駆られるが、それはいつでも堪能できると、俺はスプーンをテーブルに置いてミーファへと話しかける。


「なあ、ミーファ……ちょっといいかい?」

「はふ……はふぅ………………ふぅ、なあに?」


 ゆっくりとした動作でスープと一緒にベーコンを飲み込み、こちらに笑顔を向けてコテン、と小首を傾げるミーファに心を撃ち抜かれて倒れそうになるが、すんでのところで堪えて本題を切り出す。


「あのさ、お兄ちゃん。ミーファが見たっているトントバーニィについて聞きたいな~って思ってるんだけど……」

「…………えっ? な、なんのこと? ミーファ、よくわかんない」


 俺の質問に、ミーファは視線を彷徨わせながら答えをはぐらかす。


 まさか昨日の今日で自分が言ったことをすっかり忘れているとは思えないが、俺は念のために確認するように問いかける。


「ほら、昨日ミーファがニーナちゃんと一緒に見たって言った白いウサギだよ? オリーブを盗られちゃったって言ってただろ? 覚えているよね?」

「う、うん……」


 そこまで言ったところでようやくミーファも認めたが、どうしてかいつもの元気が見られない。

 だが、今は少しでも情報が欲しいので、俺は引き続きミーファに質問する。


「あのさ……よかったらその白いウサギを見た時の話、もう一度話してくれないかな?」

「…………やだ」

「えっ?」


 まさかの一言に、俺の表情が凍り付く。


 えっ? 今、ミーファ「やだ」って言わなかった?


 今の今までミーファに何かをお願いして断られることなんてなかった。そればかりか、いつもニコニコと笑顔を絶やさなかったミーファが、何だか不機嫌そうにぷりぷり怒っているように見える。

 俺、何かミーファに嫌われるようなことしたかな?


 全く思い当たる節が無いのだが、それでも勇気を出して不機嫌な天使に話しかける。


「あ、あの……ミーファさん?」

「もう、おにーちゃん、おしょくじちゅうの、おしゃべりはめっ! だよ」

「は、はい……」


 普段は楽しそうにお喋りしてるじゃん、と言いたかったが、シドから黙って食べるように躾けられているのを思い出した俺は、それ以上は何も言えなかった。



 結局、その後もミーファに何度か話しかけようとしたが、虫の居所が悪かったのか、天使様は俺の質問にまともに答えてくれることはなかった。

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