第442話 無……ではないけど圧倒的非力な俺

 ――翌日、丸二日続いた雨はようやく止み、久方ぶりに陽の光が姿を現した。


 雨が降っている間はずっと部屋の中にいたので、真っ先に外に飛び出して思いっきり走るのも悪くない。

 そう思っていたが、


「うわぁ……」


 母屋から外に出た俺は、そこに広がる光景を見て絶句する。

 あれだけ長く雨が降ったのだから、それなりに被害が出ていてもおかしくはないと思っていたが、実際はその予想をはるかに超えていた。


 牧場の至る所に、強風によって何処から飛ばされてきた木の破片や何かの資材が散乱し、さらに緑豊かな草原だった場所を汚すように岩や土砂などが堆積しており、まるで牧場全体がひっくり返されたみたいになっていた。


「これは酷いな……」


 俺の後に続いて出てきたシドも、牧場の惨状を見て眉を顰める。

 ニーナちゃんたち家族三人で大切に守ってきた牧場の変わり果てた姿に、大切なものを守りたいと強く願っているシドもまた、心を痛めているようだった。


 ……やっぱり、このままさよならってわけにはいかないよな。


 俺は呆然と牧場を眺めているシドに、ダメもとであるお願いをすることにする。


「なあ、シド……」

「牧場が元に戻るまでここにいてもいいか、だろう?」


 俺が何かを言う前に、俺の考えを見透かしたようにシドが口を開く。


「本当は先を急ぎたい気持ちもあるけど、世話になりっぱなしというのは、あたしの性に合わないからな」

「それじゃあ……」

「ああ……」


 シドは大きく首肯すると、ニヤリと白い歯をみせる。


「リックが許可をしてくれるなら、牧場の復帰を手伝わせてもらおう。その方がきっとミーファも喜ぶだろうからな」

「そうだね。せっかくニーナちゃんと仲良くなったんだから、もっと遊びたいだろうしね」


 牧場の修復にどれだけ時間がかかるかはわからないが、幼いミーファに構ってばかりはいられなくなるだろうから、彼女と遊んでくれるニーナちゃんという存在は非常にありがたかった。


 しかし、そうと決まれば、こうしてのんびりしている場合ではない。


「それじゃあ俺、リックさんに手伝いのこと、話してくるよ」

「ああ、あたしは先に大きな障害物だけでも邪魔にならない場所にどけておくよ」

「任せた」


 俺とシドは拳を合わせて互いの健闘を祈ると、それぞれの役目を果たすために動き出した。




 牧場が完全に復興するまで手伝いをしたいという申し出は、滂沱の涙を流したリックさんによってあっさりと受理された。


 そうして始まった牧場再生計画、最初に行うのは、牧場内のあちこちに散乱した何処からか飛来してきた物の撤去作業だ。


「「せ~のっ!」」


 俺はリックさんとかけ声を合わせて、一体何処からやって来たんだと思うほどの巨大な岩にを差し込んだ板の反対側を押す、てこの原理を使ってひっくり返す。


「ふぬぬぬ……」


 二人がかりで全力で体重をかけると岩がグラグラと揺れ、傾きが一定を超えると、重力に従って大岩がゴロリと転がる。


「ふぅ……」


 何度か同じ動作を繰り返し、通路を塞いでいた大岩をどうにか邪魔にならない位置に動かしたところで、俺は流れてきた汗を拭って大きく息を吐く。


「とりあえず、こんなものでどうですかね?」

「は、はい……じゅ、十分だとお、思いますううぅぅ……」


 大岩を動かすことに体力を使い切ってしまったのか、汗だくのリックさんは、大きく息を吐きながら崩れるようにその場に膝を付き、大岩に背中を預ける。


「はぁ……情けないですが、僕はこれだけで限界ですよ。コーイチさんは流石ですね。これだけ動いても息一つ乱していないですね」

「いやぁ……まあ、これでも鍛えていますから」


 リックさんから向けられる尊敬の眼差しに、俺は得意気になって見せつけるように力こぶを作る。


「おおっ、凄い立派な筋肉ですね。いいな……僕も鍛えたらコーイチさんみたいになれますかね?」

「なれますよ。よかったら、簡単な鍛え方をお教えしますよ」

「本当ですか!? 約束ですよ」

「え、ええ……任せて下さい」


 興奮してめちゃくちゃ至近距離で捲し立ててくるリックさんに、気圧された俺は、頬をかきながら視線を逸らす。


「おっ、コーイチ、頑張ってるな」

「お疲れ様です。コーイチさん」


 するとそこへ、牧場内に散らばった飛散物を回収していたシドとソラがやって来る。


「あっ、シド、おつ…………」


 お疲れ様……そう声をかけようとしたところで、俺は思わずその場で固まってしまう。


「ん? どうかしたのか?」


 コテン、とシドが小首を傾げるのは、きっと俺が呆気にとられた顔をしているからだろう。


 何故なら今、俺は自分が見ているものが信じられなかったからだ。


 ついさっきまで大岩を動かしていた俺だが、その前にはそこら中に散乱していた丸太を一人で担いで運んだりしたものだった。


 そして、その時思い知ったことは、水を吸った丸太……めっちゃ重いということだ。


 ここ最近の経験により、丸太を見ただけである程度の重さを計れるようになっていたのだが、いつもの調子で持ち上げようとして危うく腰を壊しかけたほど、水を吸った丸太は乾いた丸太と比べて重くなっていた。

 シドはそんな重くなっている丸太の中でも、俺と遜色ないほどの大きさの丸太を、それも左右の手に二つ同時に軽々と運んでるのだ。


「姉さん……コーイチさんは姉さんの怪力っぷりに呆れているんですよ。女性ならもっと優雅に仕事して下さい」


 そう言って苦笑するソラは、さっき俺が腰を壊しかけたものと同じぐらいの大きさの丸太を片手で運んでいる。


「ええっ!? でも、ちまちま運んでたら、何時まで経っても終わらないじゃないか」


 ソラからの指摘に、シドは不満そうに唇を尖らせると、手にした丸太を上下させながら俺に尋ねてくる。


「なあ、別にこれぐらいおかしいことないよな?」

「あっ、うん……全然おかしくないと思うよ?」

「だよな? ちんたらやってたら、日が暮れちまうから、とっとと終わらせようぜ」

「……そうだね」

「というわけだ。ソラ、残念だったな。あたしたちにとっては、これが普通なんだよ」


 一人で納得したのか、シドは「じゃあ、また後でな」と言って意気揚々と二つの丸太を持って去っていく。


「ああ、もう姉さん待って下さい。それではコーイチさん、失礼しますね」


 まだ何か言いたげだったが、先に行ってしまったシドを追いかけるため、ソラも早足で立ち去って行った。



「…………」

「…………」


 それから暫くの間、俺とリックさんは無言でその場で佇んでいた。

 俺は誇らしげに見せびらかしていた上腕二頭筋をいそいそとしまうと、同じように唖然としているリックさんに手を差し伸べる。


「続き、やりますか?」

「そうですね……頑張りましょう」


 狼人族ろうじんぞくである女性二人と比べ、互いの無力さを思い知った俺たちは頷き合うと、自分たちにできる仕事をこなすために動き始めた。

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