第440話 君とワルツを
ソラのお蔭で二頭の馬の世話はすんなりと終わったので、道具の手入れも彼女に手伝ってもらうことにした。
馬車を一通り点検して、問題ないことを確認した俺は、ソラと一緒に普段使う道具の手入れをしていた。
「それにしても……」
俺は愛用のナイフを砥石で研ぎながら、衣服のほつれを直しているソラに向かって話しかける。
「さっきソラ、本当にかっこよかったな……」
「もう……コーイチさんったら、さっきからそればっかりですね」
「いや、だって実際に凄いかっこよかったよ。馬たちがまるでかしずくように頭を垂れてさ……やっぱりソラは獣人王の娘だって……正に獣人女王様って感じだった」
「じょ、女王だなんてやめて下さい。私はまだお姫様の年です。それに私はかっこいいというよりは、可愛いと言われたいです!」
ソラは不満を露わにするように頬を膨らませると、抗議するようにポカポカと可愛らしく俺の腕を叩いていくる。
今朝は俺の体をシーツごとあっさりとひっくり返してみせた怪力の持ち主のソラだが、怒った風に見せても叩く力は心地よいぐらいに抑えられていることから、彼女もただじゃれ合っているだけというのがわかった。
ただ、流石に十四の少女に女王様というのは失礼だったな。俺は危ないので手にしているナイフを脇に置くと、ソラからの攻撃を甘んじて受けながら謝罪の言葉を口にする。
「ゴメン、ゴメン。心配しなくてもソラは十分可愛いよ。少なくとも、俺にとっては理想のお姫様だよ」
「……でしたら、態度で示してくれますか?」
ソラは拗ねたように呟くと、俺に向かって右手の甲を差し出してくる。
……どうやら俺はソラに試されているようだ。
当然ながら手を差し出されたからといって、仲直りの悪手をしようというわけではない。
さっき、ソラは自分はまだお姫様の年齢だと言った。ということはつまり……、
「わかった。任せてよ」
俺は頷いて立ち上がると、ソラのすぐ傍で膝を付き、彼女が差し出した手を恭しく下から掬い上げるように取ると、手の甲にそっと口付けをする。
「あっ……」
その瞬間、ソラがビクッ、と驚いたように反応するのがわかるが、俺は口付けした手を包み込むと、彼女に向かって笑いかける。
「姫……よかったら俺と踊ってくれませんか?」
「えっ?」
俺の言葉に、ソラの顔がみるみるうちに赤くなっていく。
「あっ、その……」
こういう展開は予想していなかったのか、あちこち視線を彷徨わせながら狼狽するソラに、すっかり騎士になり切っている俺は、悲しそうに目を伏せながら懇願するように問いかける。
「姫様は、私のような一介の騎士と踊れないと仰るのですね? 私は……私はこんなにも姫様のことを想っていますのに……」
「い、いえ、そういうわけでは……」
「では、姫様の一番の騎士である私と踊っていただけますか?」
「あっ……」
再び問いかけると、ソラはこれが茶番であるとようやく気付いたのか「コホン」と一つ咳払いをすると、頬を赤く染めて嬉しそうにはにかむ。
「はい、喜んで……どうか私のことをリードして下さいね」
「仰せのままに」
俺は恭しく一礼をすると、ソラの手を取って立ち上がる。
そうして俺たちは、互いの手を取り合ったまま見つめ合う。
ここでゆったりとしたワルツでも流れてくれれば、俺とソラは一身となって綺麗な弧を描くのかもしれないが、華々しい舞台とは無縁の人生を送ってきた俺は、ここから動くことすらできない。
それに、自分でやっておいて言うのも何だが、ロマンス小説でみるような恥ずかしいことをしているという自覚に、今すぐにでも穴に入ってしまいたい気分だ。
というわけで既にこの状況に限界を感じているが、念のためソラに確認を取る。
「…………ところでソラ、踊れる?」
「いえ、残念ながら私は社交界デビューしたことがありませんでしたので……そういうコーイチさんは?」
「ハハッ、俺はしがないサラリーマンの引きこもりだったからね。ダンスなんて夢のまた夢だよ」
程度の差はあれ華々しい舞台とは無縁の俺たちは、弧を描くことなく苦笑しながら手を離して分かれる。
「踊れなかったのは残念ですが……ありがとうございます」
だが、ソラは満足してくれたのか、俺が口付けした右手の甲を大切そうに胸に抱きながら優し気な微笑を浮かべる。
「コーイチさんのお気持ち、とても嬉しく思いました。やっぱり私にとって、コーイチさんは特別な人です」
「そ、そう?」
真正面から愛の告白にも似た言葉をぶつけられた俺は、自分の顔がみるみる赤くなっていくのを自覚して、恥ずかしさからソラの視線から逃れるように目を逸らす。
本当、シドと違ってこうして素直に気持ちを言えるところが、ソラの凄いところだよな。
本当なら今すぐ手を伸ばしてソラの華奢な体を抱き締め、彼女の全てを自分のものにしてしまいたいという欲望に駆られそうになる。
だが、ソラは未熟な少女であるし、俺に抱いている感情も、彼女が親しくしている男性が、俺以外にいないからということも大きく関与しているだろう。
だから俺はソラがもっと成長し、色々な人々と出会い、経験をしてそれでもまだ俺のことを好きと言ってくれるまで、彼女の期待に応えるつもりはなかった。
まあ、ただのヘタレだと言われたら、強く否定できないけどね。
……ともかく、このまま甘い空気に身を委ねていたら、何か起きてしまう可能性も否定できないので、俺は「コホン」と咳払いをして空気を入れ替えると、座り直してナイフを手にしながらソラに話しかける。
「えっと……そろそろ仕事に戻ろうか?」
「そうですね。早くしないとお昼ご飯までに終わりませんものね」
俺の提案にソラは笑顔で頷くと「フフ~ン」と鼻歌を歌いながら針仕事へと戻っていく。
俺はソラが歌う、レド様がよく歌ってくれたという子守唄を聞きながら、残りの道具の手入れをしていく。
何処かで聞いたことがあるような、どこか懐かしさを思わせるBGMが功を奏したのか、道具の手入れは何事もなく無事に完了した。
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