第439話 馬と王女様
一晩で去ると思われた嵐であったが、翌日になっても叩き付けるような雨は変わらず降り続いていた。
「ふみゅう……あめ、やまないね」
俺が泊まっている部屋の窓に張り付いて外の様子を眺めていたミーファが、自分の息でできた窓の霜に指で何かの文字を描きながら、そわそわしたように呟く。
「ねえ、おにーちゃん。きょうはおでかけするの?」
「今日かい? ううん、今日は一日ここでお休みすることになったよ」
「ほんとう?」
「ああ、リックさんにも雨が止むまで、牧場にいていいって言われているからね。だからミーファも、今日はニーナちゃんと思いっきり遊んできていいんだぞ」
「わかった! ロキ、いこ!」
「わふっ!」
まだ牧場にいられるとわかった途端、ミーファは笑顔を弾けさせると、ロキと一緒に風のように部屋の外へと飛び出していく。
「……やれやれ」
昨晩のニーナちゃんとの間に何があったのかはわからないが、あれだけ人見知りを発動していたミーファが一転して懐くのだから、人間関係というのは本当に容易く変わるものである。
「……さて、と」
ミーファとロキがいなくなって一人になった俺は、大きく伸びを一つすると、荷物の中から外套と工具を取り出す。
こうして時間ができたのだから、俺たちの旅のお供である馬と馬車の様子を見ておきたかった。
グランドの街を出発してまだ三日だが、外での生活が始まるとやることが多くて、命を預ける馬の健康管理や、身の回りの道具の点検にまで手が回らないでいた。
だからまだ三日、されど三日と思い、今日こそは馬車をはじめとする道具の手入れを徹底的に行おうと思っていた。
「まあ、これもある意味では恵みの雨ということなんだろうな」
俺は一向になり止む気配を見せない滝のような雨を見ながら、納屋へ向かって歩き出した。
「あっ、コーイチさん。おはようございます」
「おはようございます。リックさん」
納屋に行くと、何か作業をしていたのか、笑顔のリックさんが出迎えてくれた。
これから料理でもするのか、エプロンをつけたリックさんは昨晩、俺が直した天井を見てニッコリと笑う。
「今日も生憎の空模様でしたが、コーイチさんに直していただいた天井のお蔭で、納屋の中は平穏そのものですよ」
「ハハッ、そう言ってもらえると助かります」
つられるように俺も天井へと目を向けると、確かにまだ一部湿っている部分は残っているが、補修はしっかりとできたのか雨漏りは完璧に止まっていた。
うん、我ながら上出来だな。
俺は自分の仕事ぶりを自画自賛しながら、嬉しそうなリックさんへと目を向ける。
「もしかしてですが、今日の昼食はリックさんが作って下さるんですか?」
「ええ、こう見えて僕の趣味は料理なんですよ。今日は腕によりをかけて作りますから、楽しみにしていてくださいね」
「わかりました。楽しみにしています」
料理が本当に好きなのか、今にも踊り出しそうなくらいテンションが上がっているリックさんを笑顔で見送った俺は、先ずは俺たちの命を預けている馬たちの様子を見に行く。
「おはよう、元気にしているか?」
「ブルルル……」
飼葉を食んでいる二頭の馬に話しかけると「元気だよ」という返事が返ってくる。
「今日は一日ここにいることになったから、今のうちにゆっくりと休んでくれよ」
俺は二頭の馬たちに労いの言葉を投げかけながら、一頭ずつ丁寧にブラッシングをしていく。
こういう時、動物と会話できるアニマルテイムというスキルは非常に重宝する。
「……ここがいいのか?」
「ブルルル……」
「なるほど……じゃあ、こっちかな?」
「ヒヒーン」
「ここがいいんだな。よし、任せろ」
ブラッシングをする時、対象の動物とコミュニケーションを取れるということは、非常に効率的に作業ができるということだ。
ブラシをかけて欲しい場所から、力加減、何処までやればいいかを全て当人の希望を聞きながらできるから、実に効率的に作業できるのだ。
ただ、これは非常に便利なのと同時に、ある問題もあった。
それは、
「ヒヒーン、ブルルル……」
「わかった。わかった。もう少しで終わるから、待ってな?」
「ブルルル……」
「えっ? まだまだ終わらないって? いやいや、さっきは後少しだって言ってじゃん」
動物とコミュニケーションが取れるということは、彼等の気持ちがわかってしまうが故に、普段では絶対に起こり得ないような、動物同士の関係による問題が発生するのだ。
「ブルルル……」
すると、まだブラッシングをかけてもらっていない馬が、不満を露わにしたようにもう一頭の馬にぶつかる。
「ブル……」
すると当然ながらぶつかられた方も「あっ、やんのか?」とケンカ腰になる。
「あっ、おいこら。ダメだって!」
一触即発の雰囲気に、俺は必死になって止めようとするのだが、人と比べて圧倒的に力強い馬同士の激突を止められるはずもない。
このままでは命を預ける馬同士が、俺の所為で怪我をしてしまうかもしれないと、必死になって二頭を宥めていると、
「…………何をしているんですか。コーイチさん?」
二頭の馬の間に入って、もみくちゃにされている俺にソラが話しかけてくる。
「あっ、ソラ調度いいところに!」
ソラの姿を見た俺は、藁にも縋る想いで彼女に助けを求める。
「お願いだから、彼等を止めてくれ!」
「止めてって……お馬さんを止めればいいのですか?」
「そう、早く!」
「わ、わかりました」
俺の要請に頷いたソラは、ゆっくりとした足取りでこちらに向かって歩いてくると、
「すぅ…………はぁ…………」
大きく深呼吸を繰り返す。
あ、あの、ソラさん? そんな悠長に構えている暇なんてないんですけど……、
だが、焦る俺とは対照的に、ソラは何処までもマイペースだった。
「ソラ、はや…………く」
堪らずソラを急かそうとする俺だったが、その声が徐々に小さくなっていく。
何故ならソラの纏う雰囲気が、いつもの穏やかな少女から一変していたからだ。
「…………ソラ」
まるで全てを統べる王のように、超然とした雰囲気を纏ったソラは、ゆっくりと顔を上げると、ただ一言だけよく通る声で断じる。
「お静かになさい」
「は、はい!」
その言葉に、俺は思わず背筋を伸ばして気を付けの姿勢を取る。
ソラの迫力に圧されたのは俺だけじゃないようで、二頭の馬もさっきまで諍いを起こしていたことを完全に忘れたかのように、二頭並んで空に向かってかしずくように頭を下げる。
マ、マジですか?
まさかたったの一言で、馬の争いを治めてしまったソラに向かって、俺は尊敬する眼差しを送る。
「フフフ、いやですわ。コーイチさん。照れてしまいますわ」
俺の視線を受けたソラは一転して少女の雰囲気に戻ると、自分の頬を手で包み込みながら恥ずかしそうに笑った。
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