第420話 一人旅?
「それがこの地図……ですか?」
下水道でのことの顛末を聞いたソラは、スールから受け取った地図広げながら可愛らしく小首を傾げる。
「果たしてこの地図は、何処の地図なのですか?」
「それなんだけど、どうやら西の方ということだけはわかったんだ」
そう言いながら俺はベッドの上に腰かけると、ソラの脇から地図を覗き込んで地図の上に指を走らせる。
「ほら、この広大な森の中を走る河の南側に、砂漠地帯が広がっているだろう? ここら辺で砂漠といえば、オアシスの中にあるエリモス王国、そしてカナート王国ぐらいらしいよ」
「エリモス王国は知りませんが、カナート王国といえば……確か、遥か西にあるという、ノルンと同じように獣人が国を治めているんですよね?」
「知ってるんだ?」
「あっ、いえ……その、書物で読んだだけです」
ソラは恥ずかしそうに顔を赤らめると、僅かに身を捩って俺と距離を取る。
「あっ……」
そこで俺は、いつの間にかソラと息がかかるほどの距離で会話していたことに気付く。
「ご、ごめん……」
「い、いえ、地図が一枚しかないのですから、仕方ないですよ」
ソラはゆっくりとかぶりを振りながら、俺がなぞった通りに細い指を走らせる。
「……では、コーイチさんはこれからこの二つの国に向かうつもりなのですね?」
「うん、そこでエルフとコンタクトを取って、どうにかソラに魔法の師事をしてくれる人がいないか探してみるよ」
「あ、ありがとうございます。でも、そんな遠くまで行くの大変じゃないですか?」
「そうだね。移動だけで二、三か月かかるらしいけど、そこまでの足と旅費は、今回の功績にリムニ様が出してくれると約束してくれたんだ」
実を言うと、スールから地図を貰ったその足で、リムニ様に報告がてら旅に出たいという旨を伝え、正式に許可を貰っていたのだ。
「そう……ですか」
俺から話を聞いたソラは憂いの表情で顔を伏せると、何度も地図の上をなぞり続ける。
「…………」
「…………」
そのまま暫くの間、無言の時間が流れる。
……………………どうしよう。
顔を伏せてしまい、長い髪の毛で表情が見えなくなったソラの横顔を呆然と眺めながら、俺は彼女に本意を伝えきれなかったことを後悔していた。
本当なら旅に出ると言った時点で、ソラにも一緒に来て欲しいと言うべきだったのだろうが、何だか言いそびれてしまった。
しかも、さっきの言い回しだと、まるで俺一人で砂漠の王国まで行くような感じになっているが、流石に今の実力で一人旅をするほどの勇気はない。
かといって戦えない……しかも病弱なソラを連れての長旅となると、彼女の体にかかる負担も相当だし、ミーファをどうするかという問題もある。
リムニ様にお願いすれば、ミーファのめんどうは見てくれるだろうが、果たしてあのわがままお姫様がおとなしく残ることを了承してくれるだろうか。
それに相棒であるシドも、生活の基盤を地上に戻すことになった獣人たちと、グランドの街の人たちとの架け橋となるべく色々と駆け回っている。
獣人たちを率いる者として大切な時期の真っ直中にいるシドに対して、職務を放り出して俺と一緒に来て欲しいというのも憚れる。
また、泰三もクラベリナさんを支えるという使命を全うするため、俺と一緒に行くことはないと既に宣告されているので、このままでは一人旅となってしまうのだ。
…………こうなったら、師匠辺りに声をかけてみようかな?
そうなると、俺の貞操的な意味で色々と不安でしょうがないが、ソラのためにも今は一刻も早くエルフを見つけなければならないので、そこは俺が我慢するしかないだろう。
後はどうやってお尻を守るべきかを考えていると、
「あ、あの……」
意を決したようにソラが顔を上げて俺の目を見ながら話しかけてくる。
「コーイチさんは、砂漠にはお一人で行くのですか?」
「い、いや、そのできれば誰かと一緒がいいと思うんだけど……」
まさかソラの方から声をかけて来てくれるとは思わなかったが、これはチャンスかもしれない。
俺は「ゴクリ」と喉を鳴らして口内溜まっていた唾液を飲み込むと、ソラの目を見て探るように尋ねる。
「その……ソラはどうする?」
「どうする……とは?」
「いや、あの……今後、元気になったらソラはどうしたいのかな……って」
おそらく俺が「来て欲しい」と言ったら、ソラは無理を押してでも一緒に来てくれるだろう。
だが、外の世界は常に危険と隣り合わせで、いつ死んでもおかしくない危険な場所だ。
そんな場所に「一人で旅をするのが寂しいから一緒に来て欲しい」なんて軽々しく言えるはずもない。
だから、何となく俺から旅の話を提案するのは卑怯なような気がするので、できればソラの方から自発的に「一緒に行きたい」と言って欲しかった。
俺は地図を握るソラの手に自分の手を重ねると、再び同じ質問をする。
「ソラは……元気になったら何をしたい?」
「そ、それは……」
「おい、その質問は卑怯じゃないか?」
すると、部屋の入口から非難するような声が聞こえ、俺は反射的に後ろを振り返る。
「わぷっ!?」
「きゃっ!?」
その瞬間、俺に向かった何かが突撃してきて、俺はソラを巻き込むようにベッドの上に倒れる。
な、何だ?
いきなりことで驚いたが、ソラと思いっきり密着してしまっているので、とにかく一刻も早く身を起こさないと……
そう思って顔を上げると、俺の胸に小さな影が張り付いていることに気付く。
顔を俺の胸に押し付け、いやいやとかぶりを振る栗色の髪の毛の持ち主は、三姉妹の末妹、ミーファだった。
まさか、こんなに泣くほどシドにこってり絞られたのだろうか?
いくらなんでも、小さな子供にからかわれたぐらいで大人げないぞ。そんなことを思っていると、
「おにーちゃん、いっちゃやだ!」
目に大粒の涙を目一杯溜めたミーファが、必死の形相で叫ぶ。
「ミーファ、これからもおにーちゃんといっしょがいいの! どうして、どうしていっしょじゃなくなっちゃうの!?」
「ミ、ミーファ……」
どうしてミーファが、俺がこの街を出ていく話を知っているんだ?
驚いてシドの方に顔を向けると、彼女は肩を竦めながらシニカルな笑みを浮かべる。
「黙っていたみたいだけど、あたしはコーイチがこの街を出ていくことは既に知っていたんだよ」
「ど、どうして?」
「単純な話さ。コーイチの親友が教えてくれたんだよ。コーイチが旅に出るけど自分は行けないから、代わりにあたしに一緒に行ってくれってね」
「あ、あの野郎……」
まさか女の子と話すのが苦手な泰三が、俺の知らないところでそんな根回しをしているとは思わなかった。
だけどこれでシドが一緒に来てくれるなら安心だな。
俺は泰三のフォローに密かに感謝しながら、ホッ、と一息つく。
だが、
「だけど、あたしはコーイチと一緒に行ってやろう。なんて言わないからな」
「えっ?」
安堵する俺の期待を裏切るようなシドの声に、俺は愕然となる。
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