第407話 黒い箱と見知らぬ男

 泰三が放ったディメンションスラストは、真っ直ぐに黒い箱へと吸い込まれていく。

 絶対防御不可能の必殺の一撃を前に、ただの黒い箱は成す術もなく、簡単に壊される……そう思っていた。


 だが次の瞬間、信じられないことが起こる。


 絶対に当たると思った泰三のディメンションスラストが、黒い箱を捉えることなく空を切ったのだ。


「なっ!?」


 黒い箱の代わりに、レンガで造られた煙突を破壊しながら泰三が驚いて目を見開くが、その気持ちは俺たちも同じだった。


「は、箱が……消えた?」


 この目でジッ、と黒い箱を見ていたから間違いない。

 泰三が放った槍が黒い箱に当たる瞬間、まるでワープするかのように忽然と消えたのだ。


「おい、あの箱は一体何なんだ!」


 俺は驚愕の表情で固まっているエスクロの胸ぐらを掴むと、ナイフを突き付けながら凄む。


「ネームタグをこの街に持ち込んだのはお前なのだろう? いつ、何処であの箱を手に入れたんだ!」

「し、知らない……知らないんだ!」


 ナイフの刃から逃れるように、エスクロは激しく首を横に振りながら後退る。


「あ、あれは……夢でもらったものなんだ!」

「夢?」

「そう、夢だ! ある晩、寝ていたら枕元に知らない男が立っていて、この街を自由に支配できる力をやるといわれて……」

「まさかその言葉を信じたのか?」

「わ、私だって半信半疑だった! でも、滔々とネームタグの説明をされて、朝、起きた時にあの黒い箱と、管理者用のネームタグが置いてあったんだ……そこから毎晩、枕元に男が立っては、私にネームタグの使い方について教えてくれたんだ」


 レクチャーを聞き終え、朝起きる度に黒い箱から次々とネームタグが増えているのを見たエスクロは、手に入れたネームタグで先ずは貴族たちを支配し、足場を固めたところでリムニ様に治安を守るのにいい物があるとプレゼンを行ったという。


 そうして半ば強引に街中にネームタグを配り終えたエスクロは、夢の中の男の言葉通りに、グランドの街を裏から牛耳るようになった。


「……それじゃあ、追加の管理者用のネームタグは?」

「そ、それもその男の命令だったんだ。より多くの人間を支配下に置くため、仲間を増やした方がいいと……そして、ブレイブとジェイドを紹介されたんだ。わ、私はその男の言うことを聞いていたに過ぎん。本当だ! 信じてくれ!」

「…………」


 全身から水を浴びたように、大量の汗を掻きながら必死に弁明するエスクロは、一見すると、嘘を吐いていないように見える。

 これでもし嘘を吐いているのだとすれば、相当な役者だと思うが、このデブにそんな度量はないだろうから、夢の中の男に操られていたというのもあながち間違いではないのだろう。


 こうなると俄然気になるのは、エスクロにネームタグの使い方を教えたという男だが……これは十中八九、混沌なる者に連なる者に間違いないだろう。


 おそらくだが、裏で手を引いていたのは……


 そうして考えに没頭していると、


「コーイチ!」


 シドの叫ぶような声が聞こえたかと思うと同時に、目の前がいきなり暗くなり、俺は何事かと顔を上げる。


「…………えっ?」


 すると、目の前に知らない男が立っていた。


 まるでアニメの世界から飛び出してきたかと思うほどの、恐ろしく整った顔立ちの男は、この世界で初めて見る褐色の肌の持ち主で、百九十センチはあるだろう長身から感情がまるで見えない翡翠色の瞳で俺を見ている。


 そして、その男には決定的な身体的特徴があった。


 瞳と同じ翡翠色の髪の毛の間から覗く、先の尖った長い耳を見て俺は、反射的に思ったことを口にする。


「長い……耳…………エルフ?」


 俺が呟いた瞬間、それまで凪のように穏やかだった男の顔に、感情の色が灯る。


 それは怒りだった。


 そう思った次の瞬間、俺の体にまるで車と正面衝突したかのような衝撃が走り、そのまま壁に叩き付けられる。


「がっ…………はっ!?」


 背中を強打した衝撃で肺の中身を全て吐き出したが、俺の体にかかる圧は治まらず、クラベリナさんがエスクロの私兵にしたように俺の体が壁の中に埋まっていく。


「あがっ……が……ああ……あああああああああぁぁ…………」


 壁に挟まれプレスされる激しい圧に、俺の耳に全身の骨がミシミシと軋む音が聞こえるが、余りの痛みに気絶することすら許されない。

 それでも圧が収まることはなく、肋骨の何本か折れたのか、明らかに響いてはいけない音が脳内に響き、口の中に血の味が広がる。


 ヤバイ…………このままだと……死ぬ。


 手足は疎か、指の一本すら動かすことができずに死を覚悟したその時、


「このっ、コーイチを解放しろ!」

「この私を無視するとは感心しないな!」


 片手剣を手にしたシドとクラベリナさんの二人が、果敢にも褐色の男へと斬りかかるのが見える。

 圧倒的な速さを持つ二人の不意を突いた左右同時攻撃は、どう見ても回避不可能に思えた。


 だが、二人の刃が交差する寸前、褐色の男は現れた時と同じように、まるで最初からその場にいなかったかのように掻き消える。


「おわっ!?」

「なんと!?」


 目標を失った二人の刃は、そのまま互いを斬りつけるところだったが、


「クラベリナ、合わせろ!」

「無論です」


 阿吽の呼吸で無理矢理刃の軌道を変えると、互いに剣をぶつけ合って火花を散らすだけで事なきを得る。


「クッ……」


 それと同時にかかっていた謎の力が無くなり、俺は力なくその場に崩れ落ちる。


「浩一君!」


 そのまま床に倒れようかと思ったが、その寸前に泰三が駆け寄って来て抱き止めてくれる。


「大丈夫ですか。怪我は?」

「……ないように見えるか?」

「す、すみません。本当ならもっと早く助けるべきだったのですが……」

「いや、いい……今のは流石に無理があった」


 例え襲われたのがシドであっても、すぐさま助けに入れたかと問われれば、自信がない。

 それだけ褐色の男の存在と、そこからの攻撃が青天の霹靂だった。

 シドとクラベリナさんが動くのが後少し遅かったら、俺はこうして小言をならべることもできなかっただろう。


 肋骨の一本や二本は折れたかもしれないが、逆に言えばその程度で済んだのだ。


 俺は口の中に溜まった血を吐き出すと、咄嗟に動いてくれた泰三に向かって素直に感謝の意を伝える。


「泰三、ありがとな。お蔭で助かったよ」

「当然ですよ……」


 俺の言葉に、泰三は照れたように頬を染めながら笑う。


「だって僕たち、親友ですから」

「ああ、そうだな」


 改めて言葉にすると恥ずかしいが、こうして再び泰三と肩を並べられるようになったのは、非常に喜ばしいことだった。

 そして、こうして肩を並べられたのだから、俺は久方ぶりに泰三に相談してみることにする。


「泰三……あいつの顔、見たか?」

「あの耳……間違いないでしょうね」

「だが、俺がそれを指摘した途端、奴はキレやがった」

「ということは間違いないでしょうね」


 俺たちは同じ結論に至ったようで、互いに声を合わせて褐色の男の正体を告げる。


「あいつは……」

「あの方は……」

「「ダークエルフだ」」

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