第337話 雨と殺人鬼

 そうして、俺たちがやって来た場所は、グランドの街の領主たるリムニ様が住む屋敷近くの区域だった。


 オヴェルク将軍によると、度重なるイビルバッドの襲撃に、領主であるリムニ様に万が一があったことを想定して、何処からか霊薬エリクサーを手に入れたという。


 どうしてそのような噂が立ったのかというと、ここ数日、リムニ様の屋敷に物々しい連中が何かを運び入れた時から周辺の警備がやたらと厳しくなり、不用意に近付くことすら許されない雰囲気になっているという。

 だから市井の者は、何かしら重要な物がリムニ様の屋敷に運ばれたと……色々とうわさが飛び交う中、最も有力なのが霊薬だというわけだ。


 あくまで噂なだけに、霊薬が必ず手に入るという保証があるわけではないが、ソラを救うためならば、例えリムニ様の屋敷であろうと、魔物の巣であろうとも潜入してみせると俺は思っていた。

 それに、正面切って戦うのではなく、潜入作戦であるのなら、俺のアラウンドサーチが活きてくる。


 アラウンドサーチを有効に使いながら速やかに霊薬を見つけ、屋敷から脱出するからだが……こればかりは出たとこ勝負となってしまうのは仕方ない。


 幸いにも屋敷の構造は、ある程度理解している。


 流石に霊薬がありそうな場所はわからないが、ある程度は絞って探索ができるので、屋敷内で迷うような苦労はしないと思う。

 後は、厳しいと言われている警備が、どれほどのものかだが……、


「コーイチ、そこで止まれ!」


 すると突然、先を行くシドが俺の肩を掴みながら、耳元で注意を促してくる。


「…………何だか様子が変だぞ」

「変? でも、だって……」


 俺はアラウンドサーチを少しだけ発動し、周囲に反応がないことを確認した後、眉を顰めながらシドを見やる。


「この近くに、俺たち以外の人はいないみたいなんだけど……」

「だからだよ」


 俺の疑問を打ち消すように、シドはヨーロッパの古都を思わせる街並みに忙しなく視線を巡らせながら話す。


「聞いた話だと、領主の屋敷周辺は、かなり警備が厳重になっているというはずだろ?」

「うん、そう聞いたけど……」

「だったらおかしくないか? もう、屋敷は目と鼻の先なのに、警備の一人も見当たらないなんて……いくら夜半過ぎだからって、おかしいと思わないか?」

「……確かに」


 シドの言う通り、今登っている坂を上り切れば、リムニ様の屋敷までは目と鼻の先だ。

 屋敷周辺は特に金持ちが多い地域なので、雑多なイメージのある商店街と違って見通しがよく、警備の者がいたらかなりの遠目からでもわかるのだが、本当に人一人……それどころか野良犬の一匹すら見当たらない。

 まるで、ここら辺り一帯だけ世界から隔絶されたかのような雰囲気に、俺はうすら寒さを覚え、思わず自分自身の体を抱く。


 すると、頭の頂点に何か冷たいものが当たる。

 何事かと思って天を仰ぐと、


「…………雨?」


 暗くてわからなかったが、どうやら空は曇天で覆われていたようで、ポツリポツリと降り出した雨は、あっという間に本格的な雨へと変わる。


「うわっ!? もう……耳が濡れちゃう」

「シド、こっちへ」


 俺はフード付きの外套マントを外すと、シドを抱き寄せて彼女の頭にすっぽりと外套を被せてやる。


「ありがとう。コーイチ」


 外套を被ったシドは、頭の上にある三角形の耳を守るように押さえながら、小さく呟く。


「……全く、雨期でもないのに、急に雨になるなんて聞いてないぞ」

「雨期……」

「ん? どうしたコーイチ?」

「いや、ちょっとね……」


 俺はなんでもないとかぶりを振りながら、ある事柄を思い出していた。




 それは、オヴェルク将軍から霊薬の存在を聞され、迷わず霊薬を手に入れるために動くことを決めた時のことだった。


「コーイチ……」


 一旦シドと別れ、身の回りの道具の最終チェックをしている俺の下へ、オヴェルク将軍がやって来て嬉しそうに口を開く。


「聞いたぞ。キングリザードマンを倒したのはお前だったそうだな。それだけじゃなく、姫を悪漢の手から守ったそうじゃないか。よくやったぞ」

「そんな……たまたまですよ」


 オヴェルク将軍からの手放しの賞賛に、俺は静かにかぶりを振る。


「俺があそこまで戦えたのは……シドを守り切れたのは、全て師匠が俺を鍛えてくれたからです。特に、冒険者たちと戦うことになった時は、俺が持っている力だけでは絶対に勝てませんでした。だから、お礼を言うのは俺の方です」

「そうか……」


 俺の言葉に、オヴェルク将軍は満足そうに何度も頷く。


「それだけ謙虚な言葉が出るなら、お前は大丈夫そうだな」

「……師匠?」

「いやなに、少し心配になってな」


 オヴェルク将軍によると、力を手に入れて間もない者は、往々にして自分の力に溺れ、傲慢になることがあるという。

 自信を持つことは悪くないが、自分の力に慢心し、おごり高ぶるのは良くない。

 どうやらオヴェルク将軍は、俺が自分の力に過信していないかどうか、チェックしに来たようだ。


 俺はそんな師匠であるオヴェルク将軍を安心させるため、深々と頭を下げながら笑いかける。


「師匠、安心して下さい。俺ごときが自分の力を過信するなんて、百年早いとしっかり自覚していますから」

「うむ……だが、あまり自分を謙遜し過ぎるのもよくないぞ。過小評価も過ぎると、大胆な決断が下せなくて、結果として物事に失敗するからな」

「……はい、肝に銘じます」


 なるほど、そういうこともあるのか。

 自分の力を過信することなく冷静に状況を見守り、時には大胆に決断を下す。

 口で言うのは簡単だが、実行するとなると、とてつもなく難しい。


 師匠のありがたい言葉を胸に刻んだ俺は、忘れ物が無いかと最終チェックを行う。

 すると、


「コーイチ、これを持って行け」


 そう言いながらオヴェルク将軍は、俺に新しい外套を手渡してくれる。


「前のは汚れたと聞いたからな。私が前に使っていたものだが、質は保証しよう」

「あ、ありがとうございます」

「うむ、私の見立てではこの後、雨が降るからな。持っておいて損はないだろう」

「雨……」


 雨という言葉に、先程までレド様の話をしていたこともあり、夢の世界で彼女から受けた言葉を思い出した俺は、思わずオヴェルク将軍に尋ねてみる。。


「あの、師匠……この世界に雨期ってあるのですか?」

「雨期? ああ、それはあるが……それがどうかしたのか?」

「はい、実はレド様から雨期に気を付けるように言われたのです……」

「雨期……それは本当か?」

「いえ、正確には聞いたわけじゃないんですが……」


 あの時は、互いの声が聞こえなかったので、唇の動きから何と言っているかを目で見て読むしかなかったのだが「雨期に気を付ければいいのか?」という俺の問いかけに、レド様は何度も頷いていた。


「といっても、もしかしたら雨期ではなく別の言葉なのかもしれないのですが……」


 俺がそう告げると、オヴェルク将軍はおとがいに手を当てて考えだす。


「雨期……うき…………もしくはそれに近い言葉の何か…………か」

「何かわかるのですか?」

「そう……だな」


 オヴェルク将軍は渋面を作りながら静かに頷くと、


「私にとっては、余り思い出したくない名前なのだがな……」


 そう言いながら、頭に浮かんだ雨期に繋がる名前を告げる。


「ユウキだ」

「えっ?」

「かつてイクスパニアを恐怖に陥れた殺人鬼の名前……その男の名がユウキだった」

「ユウキ……」

「レド様がその名を口にしても何らおかしくはない。何故ならユウキが殺人鬼になり下がってから死ぬまで、彼を召喚したことをずっと悔いておったからな」


 オヴェルク将軍は悲しそうに目を伏せると、


「……まあ、奴は確実に死んだはずだ。奈落の底に落ちるのを、私自ら確認したのだからな」


 そうハッキリと断じる。


「まあ、これはあくまで可能性であって、レド様が何を仰ったのかはご本人にしかわかるまい」

「そう……ですね」

「ああ、だから本当に雨期と仰ったのかもしれない。だとしたら安心しろ、雨期が来るまでまだ一ヶ月以上もあるから、今日の作戦には何ら支障はない」

「わかりました。わざわざありがとうございます」

「気にするな。お前たちには、一番危ない橋を渡ってもらうんだ。代わりにソラ嬢とミーファ嬢のお二人は、絶対に守ってやるから安心して行ってこい」


 そう言ったオヴェルク将軍は、最後に俺の肩をポン、と叩くと「邪魔したな」と一言告げて部屋から退出していった。

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