第333話 ネームタグの真の役割

 ネームタグは思ったよりもろかったのか、オヴェルク将の右手の中でバリバリと音を立てて砕かれていく。


「んなっ!?」


 この街では命と同じぐらい大切なネームタグを砕くという意図がわからず、俺は思わずオヴェルク将軍へと駆け寄る。


「師匠! な、何を……」

「コーイチよ。落ち着け」


 慌てる俺に、オヴェルク将軍は真顔になってマーシェン先生を指差す。


「ほれ、マーシェンを見てみろ」

「えっ?」


 そう言われてマーシェン先生へと目を向けると、


「うあ……あ、あがっ…………がっ…………」


 マーシェン先生は、頭を押さえまがら苦しそうにうめいている。


「マ、マーシェン先生!?」

「まあ、見ていろ。心配せずともすぐに答えが出る」


 思わず飛び出しそうになる俺を、オヴェルク将軍は手で制しながら状況を見守るように命令してくる。

 オヴェルク将軍は問題ないと言い切るが、


「ああ、あがっ、ぐがああああああああああああああああああああああぁぁ!!」


 目玉が飛び出すのでは? と思うほど目を見開き、痛みから逃れるように頭を押さえながらのたうち回るマーシェン先生は、どう見ても無事だとは思えない。


 だが、オヴェルク将軍は何か確信めいた様子で、仁王立ちのまま微動だにしない。


 きっとあのネームタグを破壊した行為は、俺が知らない何か起死回生の効果があるのかもしれない。

 だからきっと、大丈夫……。

 師匠であるオヴェルク将軍を信じて、俺はおとなしくことの成り行きを見守ることにすした。



 程なくして、マーシェン先生は糸が切れたかのようにその場に脱力すると、


「はぁ……はぁ…………ここは?」


 大きく息を吐きながら、自分がいる場所を確認するように顔を上げる。


「…………オヴェルク、儂は一体何を…………」


 そうして首を巡らせたマーシェン先生は、俺たちを見て何かに気付いたように目を見開きながら呟く。


「お主は……コーイチか? それに、あなたはノルン城のシド姫様?」

「「えっ?」」


 俺たちの名前を呼んだマーシェン先生に、俺とシドは顔を見合わせる。

 今、マーシェン先生は、忘れたはずの俺の名前を呼ばなかっただろうか?


 もしかしたら聞き間違いかもしれないと思った俺は、確認のために改めてマーシェン先生に問いかける。


「あ、あの……マーシェン先生、俺のこと、後、シドのこともわかるのですか?」

「わかるも何も、儂は一度診た患者のことを忘れるほど、耄碌もうろくしておらんよ」

「そ、そうですか……」


 ついさっき、全く逆の意味で同じようなことを言われたんですが……そう思っていると、


「いや……思い出してきた。そうじゃ、儂はお前さんたちに随分と薄情なことを言っていたな」


 さっき治療を拒んだことを思い出したのか、マーシェン先生は頭に手を当てながら、重い溜息を吐く。


「不思議じゃ……さっきまで、あれだけ獣人を憎かったのに、今はその気持ちが綺麗さっぱりなくなっておる。それだけでなく、頭にかかった霧が晴れたようで、非常にスッキリしておるよ」

「おそらくそれが、ネームタグの真の力なのだろうな」


 戸惑いの表情を見せるマーシェン先生に、止めとばかりに粉々にしたネームタグを踏みつけていたオヴェルク将軍が話す。


「とりあえずその辺の説明は追々していくとして、今は一刻も早くソラ嬢を救ってはくれぬか?」

「あっ、そうです。マーシェン先生、早くソラに薬を……」

「う、うむ、そうじゃな。任せておけ」


 俺たちの要望にマーシェン先生は頷くと、慌てるように診察室へと踵を返した。




「ネームタグには、大きく分けて二つの役割があるのだ」


 マーシェン先生が薬を調合している間に、オヴェルク将軍が自分が調べてわかったネームタグの特性について話す。


「一つは多くの者が知っている行動を記録する力……これがあるお蔭で、この街の治安は保たれていると言われているが、実際はかなり異なる」

「目的は記録……ではなく監視ですね」

「うむ」


 俺の応えに、オヴェルク将軍は神妙な顔で頷く。


「記録と謳ってはいるが、実際は管理者たちが街の者を監視、管理するために使っておる。そして、街に不利益をもたらす不穏な者を見つけると、自警団が押しかけてネームタグを没収しておるのだ」

「そして、ネームタグを失った者は、その存在すら忘れられる」

「そうだ。後はその者を煮ようが焼こうが、為政者たちの自由というわけだ」


 オヴェルク将軍によると、そうやって人知れず処理される者の数は年間で数十名いるらしいが、そうして隣人が忽然こつぜんといなくなったとしても、誰も疑問に思わないのだという。

 ただ、皆から忘れられるのは、ネームタグが壊されることで発揮するそうで、ネームタグを体内から抽出しただけでは、駄目だそうだ。


 以前、リムニ様からネームタグを紛失した際の処置について話しを聞いたが、金貨百五十枚を払ってネームタグを再発行した者はいないという。

 それはそうだ。ネームタグを失えば存在そのものが忘れられるのだから、再発行をする理由がない。

 リムニ様がどうしてあの説明をしたのかはわからないが、とんだ詐欺行為だと思った。


「そしてもう一つは、獣人に対する感情だ」

「感情……ですか?」

「ああ、ネームタグを持つ者は、獣人を見ると、憎いという感情が沸き上がってくるようになっているのだ」


 それは些細な変化で、最初は頭がチリチリと痛む程度だという。

 だが、一度芽生えた感情は決して消えることなく徐々に成長していき、長くネームタグを付けている者ほど、獣人を憎むようになっているという。


 俺が獣人に対して特に感情の変化がなかったのは、ネームタグを付けていた時間が、ほんの一か月程度だったからだということだ。


「この街は、ノルン城に最も近い街というだけあって、獣人に好意的な者が多かったのだが、いつの間にか獣人は敵という認識が多数派を占めるようになり、それが常識となっていたのだ」


 当初、オヴェルク将軍もその思考に染まっており、獣人に対して訳もわからず憎しみを抱いていたという。

 そんなオヴェルク将軍が、どうしてその事実に気付いたのかというと、先人の跡を継いで地下へと行商に出かけるようになったからだという。


「実は地下に行くことになった時、私のネームタグは破壊されたのだ」

「ええっ!? それじゃあ、師匠は街の皆から忘れられたのでは?」

「それが……どういうわけか。そうはならなかった。ただ、そのお蔭で私は過去の記憶を……シド姫たちをはじめとする三姉妹の記憶を取り戻し、心置きなく獣人たちを守るために行商を行うと決めたのだ」


 ただし、その分オヴェルク将軍に対する監視も厳しく、記憶を取り戻しても彼は下手に動くことができなかったようだ。


「でも、それじゃあ今日はどうして俺たちの下へ来てくれたのですか?」

「実は風向きが変わってな……」

「風向き?」

「ああ、実は……」


 そう言ってオヴェルク将軍が口を開くと同時に、


「できたぞ」


 薬の調合が終わったのか、マーシェン先生から声がかかる。

 しかし、話の続きが気になるのでどうしようかと思っていると、


「行こう。先ずはソラ嬢の無事の確保が先だ」

「……わかりました」


 その言葉に従い、俺たちはマーシェン先生の下へと急いだ。

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