第258話 黒い死神
――同時刻、
「やあああああああああああああああっ!」
長槍と呼ぶにはやや短い、片手でも扱えるサイズの槍を振るう黒髪の少年の一撃が、傷だらけのリザードマンの喉笛を捉える。
リザードマンは黒髪の少年の仲間だった死体の上に重なるように倒れるが、今は仲間を慮る余裕などない。
「はぁ……はぁ…………次!」
槍を引き抜くと同時に吹き出す血を左手で防ぎながら、黒髪の少年は少しでも生き残った仲間を助けるために周囲に目を走らせる。
すると、視線の先でもう一匹のリザードマンが、誰かに向かって斧を振り下ろすのが見えた。
確かあの位置にいたのは……、
「に、兄さん! クソッ! この化物共めえええええぇ!」
リザードマンに頭をかち割られた兄を見て、弟である黒髪の少年は槍を構えると、悪態を吐きながら執拗に死体を攻撃し続けるリザードマンへと突きを繰り出す。
「死ねぇっ!!」
背後から後頭部を狙って突き出された攻撃は、見事にリザードマンの頭を捉え、傷口から噴水のように血が吹き出す。
「……フン、ザコが!」
槍でリザードマンに止めを刺した黒髪の少年は、力尽きたリザードマンの背中を蹴って突き刺した槍を抜こうとする。
だが、
「……あ、あれ?」
リザードマンの喉に刺さった槍が骨か何かに引っかかったのか、力の限り引き抜こうとしてもビクともしない。
「こ、このっ!」
焦った黒髪の少年は、手っ取り早く槍を引き抜こうと、リザードマンの背中を蹴り飛ばしてその勢いで抜こうとする。
しかし、それは完全に悪手だった。
背中を蹴られたリザードマンの死体は、そのまま黒髪の少年の槍を頭に突き刺したまま、汚水が流れる水路へと落ちてしまったのだ。
「あっ!?」
自分の失態に気付いた黒髪の少年が慌てて槍へと手を伸ばすが、無情にも槍はリザードマンの死体毎、水路へと沈んでいく。
「あ、ああ……」
魔物蔓延る下水道で自分の得物を失うという失態に、黒髪の少年の顔から血の気が引く。
するとそこへ、
「キシャアアアアアアァァ!」
仲間を殺されたことに怒ったリザードマンが水路を挟んだ通路の向こう側から現れる。
「ヒッ!?」
兄と共に幾度となくクエストで魔物を倒してきた黒髪の少年だが、流石に徒手空拳で敵を倒せるほどの猛者ではない。
「だ、誰か!?」
慌てて近くにいるはずの仲間へ助けを求めるが、それに応える声はない。
彼の仲間は、既に物言わぬ死体になっているか、負傷して行動不能に陥っているか、恐怖に慄いて自分たちを見捨てて逃げてしまったかのいずれかだった。
「そ、そんな……」
助けが来ないとわかり、少年は愕然としながら迫りくるリザードマンから逃げるように後退りする。
「ギャッ! ギャッ!」
目の前の獲物が戦う術がないことがわかるのか、リザードマンは手にした曲刀と盾を打ち鳴らして挑発しながら汚水が流れる水路へと飛び込む。
「クッ……」
リザードマンが水路を渡り、自分がいる場所まで来るまで十秒もない。
少年は後退りしながらも、反撃できる手筈がないものかと必死に辺りを見渡す。
すると、
「こっちだ!」
自分の背後から、誰かが呼ぶ声が聞こえた。
(お、女の声……どうしてこんなところに?)
いきなり響いた見知らぬ女性の声に、黒髪の少年は狼狽える。
「リザードマンが水路から上がったら、何も考えずにこっちに向かってただひたすら真っ直ぐ走れ!」
「だ、誰だ!?」
「話は以上だ。死にたくなければ言う通りにするんだな」
謎の声は一方的にそう告げると、それ以上は何も言うことはなかった。
「…………」
いきなり響いた怪しげな声に、黒髪の少年はどうするか考えようとするが、
「ギギャッ!」
「――っ!?」
水路を渡ってきたリザードマンが、悪臭を辺りに振りまきながら現れる。
汚水を滴らせたリザードマンの姿を見た黒髪の少年の行動は早かった。
「……もう、どうにでもなれ!」
謎の声にかけてみることにした少年は、声のした方に向けて駆け出す。
駆け出した黒髪の少年の先には、いくつかの脇に逸れる通路があるが、謎の声はただひたすら真っ直ぐ進めと言っていた。
もしかしたら全て自分を嵌める罠かもしれないが、騙されて死ぬとしても、魔物の餌になるよりかはまだマシだと思った。
一縷の望みを信じて、黒髪の少年は脇目も振らず全力で駆ける。
そうして最初の脇道を通過し、二つ目の脇道を通過した時、黒髪の少年は背後に誰かが現れる気配を感じる。
足を止めることなく後ろを振り返ると、薄汚れた白いフードを目深に被った人影がリザードマンとの間に立ち塞がるかのように立っていた。
女性らしいシルエットの人物の登場に、黒髪の少年は助かったと思うが、その視線がある一点に注がれる。
「……し、尻尾!? ま、まさかあんた……」
獣人なのか? 言外に驚きながら問いかける黒髪の少年に、白いフードを被った獣人は一瞥もくれようとしない。
それはそうだ。何故なら、すぐ目の前にまでリザードマンが迫っているからだ。
「…………」
突然の獣人の乱入に驚いた黒髪の少年だったが、今はそんなことを気にしている場合ではないと悟り、余計なことを喋らないように両手で口を塞いで事の成り行きを見守る。
だが、白いフードの獣人は、迫りくるリザードマンを前に武器を構えなければ、迎撃態勢を取ろうともしない。
「お、おい! あんた……」
そのまま死ぬ気か? と問おうとする黒髪の少年だったが、そこでリザードマンに異変が起こる。
「――ッ、グガッ!?」
リザードマンがいきなり呻き声を上げたかと思うと、口から紫色の血を吐き出してそのままうつ伏せに倒れたのだ。
「…………えっ?」
一体何が、と驚く黒髪の少年は、そこで初めてリザードマンの背後で誰かが立っていることに気付く。
それは、黒いフードを目深に被り、リザードマンのものであろう血の滴るナイフを手にした人物だった。
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