第236話 わがままお姫様

 俺がナイフを定位置となる腰に付けると、


「……はい、ありがとうございます」


 ソラは安心したようにようやく笑顔を浮かべてくれた。

 ……まあ、これでソラが笑顔になってくれるなら安いものか。

 ほんの数秒で自分の考えを改めていることに苦笑しながら、俺はいまだに腰にしがみついたままのミーファに話しかける。


「ミーファ、ソラも納得してくれたし、そろそろ放してくれないかな?」

「…………やっ!」


 だが、ミーファはいやいやとかぶりを振りながら、俺の背中に回した手にさらに力を籠めてしがみついてくる。


 う~ん、これは参ったな。


 まだ起きたばかりで体が本調子でないが、すぐさま腹が空いてくるだろうし、このままではトイレも儘ならない。


「コラッ! ミーファ、いい加減に……」

「シド、いいから」


 堪らず声を荒げるシドに、俺は静かにかぶりを振って止めさせる。


「……だけど」

「いいからここは俺に任せて」

「ううぅ……コーイチがそう言うなら」


 俺からの要求に、シドは渋々ながら従ってくれる。

 ここで怒って引き剝がすのは簡単だが、それでは姉妹の関係に歪みを生みかねないので、俺としてはもっと穏便に解決したい。


 では、どうするか?

 俺はしがみついているミーファへと手を伸ばすと、


「……よっと」

「わわっ!?」


 そのまま無理矢理ミーファを持ち上げると、驚く彼女の小さな体をギュッ、と力強く抱き締める。


「ミーファが放してくれないなら、お兄ちゃんもミーファのこと放してやんないぞ」

「……ずっと?」

「ああ、ずっとだ。嫌だって言ってもずっとついていっちゃうぞ。それこそお風呂も、トイレも一緒だ。全部見られちゃうけどそれでもいいのかな?」

「…………うん、いいよ」


 俺の言葉にミーファは小さく頷くと、そのまま俺の首にしがみついてくる。


「……………………あれ?」


 何だか思ってたのと違う展開になった。

 俺の予想では、ここでミーファがいくら何でも風呂やトイレは違うと、嫌がられるものだと思っていたのだが、まさかの両想いになってしまった。


「…………コーイチ、お前、ミーファは対象外なんじゃなかったのか?」

「コーイチさん、不潔です」


 俺の行動に、シドとソラの二人からの冷たい視線がグサグサと突き刺さる。


「あっ、いや……これは違うんだ」


 堪らず二人に反論するが、


「いや、いいんだ。コーイチが選んだのなら好きにするがいいさ」

「姉さん、私たちはお邪魔でしょうから、とっとと行きましょう」


 そう吐き捨てるように言うと、二人連れ立って部屋から出ていってしまう。


「あ、あの……」


 立ち去る背中に躊躇いながら声をかけるが、二人の背中はどんどん遠ざかっていく。

 一刻も早く誤解を解かねばと思うのだが、


「みゅふふ……おにーちゃんとずっといっしょ」


 恍惚の笑みを浮かべたミーファが頬擦りしてくるので、暫くまともに身動きを取ることができなかった。




 それから俺はどうにかミーファを宥め、今日一日はミーファと過ごすことを条件に、風呂やトイレもずっと一緒にいるという約束を破棄してもらった。

 ただ、


「おにーちゃん、ミーファがごはんたべさせてあげるね。はい、あ~ん」

「あ、あ~ん」


 俺は三白眼でこちらを睨むシドとソラの視線に耐えながら、ミーファから差し出されたパンを食べる。


「どう、おいしい?」

「うん、美味しいよ」

「でしょ? えへへ~」


 朝食の時間もミーファは俺から片時も離れようとはせず、むしろ二人の姉に見せつけるようにアピールしていたのは正直参った。


 ミーファは今年で五つになるということだが、こんな子供でも意外にしっかりとした恋愛観を持っているようで、二人の姉に対して何やら対抗心を燃やしているようだった。

 女の子の方が精神的には成長が早いという話を何処かで聞いたことがあるが、それは獣人でも同じようだった。




 まるっきり針の筵といって過言ではない地獄の朝食を食べ終えると、今度はミーファと手を繋いでデートすることになった。

 といっても外が危険な状況になっている以上、集落から出るわけにはいかないので、俺とミーファは集落の中をあてもなく歩く。


 すると、


「あら、ミーファちゃん」


 水路の近くに立ち寄ったところで、井戸端会議を開いていた奥様方に声をかけられた。


「今日は何だか楽しそうね。お兄ちゃんとお散歩してるから?」

「ううん、これはでぇとだよ」

「デート? あら~、ミーファちゃんはお兄ちゃんのことが好きなのかい?」

「うん、だいすき~!」


 満面の笑み浮かべたミーファが俺にべったりとくっつきながらそう言うと、奥様方の目が怪しく光りながら何やらコソコソと話し出す。


 …………いっそのこと殺してくれ。


 奥様方による明らかに意味ありげな視線を向けられ、俺は顔を真っ赤にしながらそんなことを思っていた。

 実際、これまでもソラによる行商人への恋人宣言で、俺はロリコンではないのかという説がまことしやかに流れているということだが、今回のことはその噂に拍車をかけることになりそうだ。

 さらには、ずっと一人でいたシドと二人で死体漁りスカベンジャーの仕事をしていることからも、俺とシドの関係を疑っている者もいるという。

 こうなると三姉妹まとめて面倒を見ているという噂が立つ日も、そう遠くないのかもしれない。


 …………ヤバイ、本当に死にたくなってきた。


 俺はこれから降りかかるであろう周りの評価を憂い、大きく溜息を吐いた。

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